ロンドンの天使の取材日記 | Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫

ロンドンの天使の取材日記

$『Talking with Angels』西洋墓地の天使像 : 岩谷薫-10_3_24 うとおしい雨が多いですね。ロンドンの3月はPM4:30頃には、もうかなり暗かった記憶があります。そんな事を思っていると、古い取材日記を見付けました。
 写真の天使を撮った頃のものです。この写真は逝っちゃってます。笑。『Talking with Angelsーロンドンの天使達ー』81ページに掲載したものです。
 ちょっと長い日記なので「オヒマな~ら、見てよね♪」(来てよねか…) 
───────────────────────────── 

 そういえば、3月の取材でも不思議な事があった。その日はもう取材最終日で、ある墓地の撮影に行った帰り道のことだった。3月の取材は、もちろん、いい写真も撮れたが、総体的にはまだ草木も葉をつけておらず、枯れ枝のみが、まるで人の血管のように神経質に写る、少し悲しげな天使の写真が多かった。取材の中身としては満足なのだが撮影としては100点とはいかない気分だった。そんな気持ちで帰り道を捜したが、その地区は近くに鉄道の駅がないので、バスでホテルに帰ることにした。
 ただ、バスに乗るにはある程度、ロンドンの町の名を知っておかないと、一直線に書かれた路線図は全然解らない。しかたなく、最終駅だけをたよりに、どこへ行くのか判らないけれど、とりあえずそちら方面行きという感覚で乗ってみる。
 夕日のなか、見知らぬロンドンの町なかをバスまかせで走っていると、しばらくして渋滞にはまる。
 別にもう帰るだけなので、イライラなくもなく、ただボーと外を眺めていると、そこには見覚えのある光景が…。…Brompton Cemeteryの前で車が渋滞していたのだった!
 「最後まで天使に呼ばれているのなら仕方ない。もう撮影するつもりはないけれど、御挨拶だけをして明日、ロンドンを発とう。」そうふっと思い立ち、衝動的にほとんど停車しているバスを降りてみる。軽い気持ちで「ありがとう」と、一言だけ言うつもりだった。
 でも、墓地に行ってみて驚いた。
 夕日が死ぬほどきれいなんだ!黄金に染まった黄昏の中、天使たちが祈っている。それはそれは天国の光景だった。かなり疲れていたにもかかわらず、そんなことは一気に吹っ飛んでしまいカメラマンとしては、こういう光景は撮らずにはいられない。 
 ほとんど狂ったようにシャッターを切りはじめる。いい夕日と出会える時間はものすごく短い。
 大急ぎで撮る。
 あまりにも気分が高揚し慌ていたこともあり、10枚ほどフィルムを入れずに切ってしまう。こんな痛恨のミスはプロとして、やった事はないのに、そんな自分を責めるひまさえもなく、心の中で「Thank you…Thank you very much」と言いつづけてとり憑かれたように撮る。明らかに、あの時私の精神の半分はどこかへ飛んでしまっていた。天国を見た瞬間だった…。

 今、思い返してみると、きっとあの時、Brompton 墓地の天使達が「今、夕日がきれいだから来てみなさい。」と導いてくれたにちがいないと確信に近い直観がある。本当に、感謝だった。
 ここの天使達はいつもやさしい。少しも恐くない。毎回僕はここに来て元気になる。かなりパワーがあり不思議な場所。
 はじめて僕が霊的存在を感じたところ。5年来、ずっと僕の部屋の壁に貼ってある天使の写真があるのだが、それはここに居る天使。
 ここには今まで3度も訪れているのになぜか一度も碑文は読まなかった。1895年 28才で亡くなった女性。僕がはじめてこの人に出会ったのも28才の時だ。しかも13日に亡くなっている。また、13だ。ホテルの部屋番号も13、さらにロンドンを去る日も13日の金曜日13時。(註:この旅ではその他にも 13という数字にものすごく縁のある不思議なものだった。) 
 13と言う数字に関して、ジョーゼフ・キャンベル先生も興味深い事を言っている。

 『13という数字は変身と再生の数字です。最後の晩餐に連なったのは12人の使徒とキリストで、そのキリストはいったん死んで、また生き返ることになりました。13という数字は12という限界範囲から脱出して超越界に入ることを示す数字です。』

 そして、タロットでは死神の数。あの大鎌で光の国へ行ける魂だけを選んで刈っていく、本当は天使の数。僕もカメラという大鎌を持って、1カット、1カット 選んで刈って行く死神。もちろんこのカードには再生、復活という意味がある。