幻の論文 | Talking with Angels 天使像と石棺仏と古典文献: 写真家、作家 岩谷薫

幻の論文

 新年早々、大量の文章を書かなきゃいけない仕事が2つも入り、最近まで、しょっちゅう文章を書いており、ブログまで文章を書く気力がありませんでした…見て下さった方々すみません。
 一つは、白夜書房の『Sundari』さんからの御依頼。パワースポットとしてのロンドンの墓地について、執筆を依頼されました。作者としては勢い込んで、書いたのですが、08_01_25_記事「難しそう」なのと「紀行文らしく」との御要望で、以下の力の入った長い論文はボツになってしまいました。笑!編集者の仰ることももっともで、作者は作品に近すぎて、遠いところへ飛んでしまうことがあります。でも、せっかく書いたし、難しくても解ってくださる方は必ずいると思うので、アップしてみます。おヒマなら読んでください。『Sundari』は3月15日発売だそうです。もう少し、解りやすく、別の視点から別の内容の私の文章と写真が掲載されているはずですので、いずれ、よろしければ御覧ください。文章を書くのは大変ですね…。
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『パワースポットとしてのロンドン19世紀の墓地』

 禅の世界では、悟りの境地の超純粋経験を『不立文字』と表し、言語で表現できるものではないとし、また、神話学者のジョーゼフ・キャンベルは神について『最善のものは思考を超えているから語ることはできません。次善のものは誤解される。』と表しています。
 ここに紹介した天使達との出会いも、これらの表現に非常に近い衝撃的な経験でした。私の人生の中で、一番美しく大切な記憶に違いないのですが、その感動をいくら文章にしてみたところで、言葉はあふれ出てくるにもかかわらず、書けば書くほど本質はすり抜けていき、キャンベルの言うように誤解すらされてしまうものなのです。
 この部分の少し解りやすい例は、リュック・ベッソン監督の『ジャンヌ』という映画にあらわれています。神の声が聞こえるというジャンヌ・ダルクは尋常ではない衝動と、ものすごいパワーで突き進みます。しかし、結局のところ普通の人とは言葉や行為において共通項が無く、理解されるべくもなく、魔女として火刑にあってしまうのです。映画の中でもジャンヌは雄弁でした。でも言語を介している限り、そのあまりにも神聖な一人称の出来事は、基本的には伝わっていないのです。その後、ずいぶん後世になってジャンヌ・ダルクは聖女に列せられましたが。
 幸い、私はカメラマンなので、その超純粋経験の残滓を映像として残すことができます。超純粋経験をあえて伝えようとするのであれば、言語よりも映像の方が少しばかり雄弁なのです。それは密教の曼荼羅も証明しています。曼荼羅は言語化できない教えを図像化しているものなのです。
 ですから、あえて今回は、私が「この場所でどうだった」とか「その後どうした」とかを記すのを極力控えました。純粋経験はその場その場、この写真と出会った今この場で各々が、経験すればいいことのように思えたからです。私の場合その後どうなったか、何か観てしまった人の衝動の残滓をお知りになりたい方は写真集『Talking with Angels-ロンドンの天使達』の「あとがき」に少し記しています。その超純粋体験はあくまで私の場合であり、一般論ではありません。でもその超純粋体験を経験するからこそ、人それぞれ生きる価値があるものでしょう。
 墓地という場所は、恐ろしい場所でもなく、そうした自分に向き合える場所なのです。埋葬は、その人の再生を暗示しており、生き残った人の再生をも暗示しているのです。それはロンドンと言わず、自分の家のお墓でも、もちろんそうなのです。
 暗いと思っている中にこそ光があり、誠実であるかぎりメッセージは必ず聞き取れるはずなのです。

 ロンドンの墓地に限って言えば、明らかに私にとってのパワースポットです。
この天使達との出会いによって、ずいぶん私の人生そのものも変わりました。それはひょっとすると、ストーンヘンジなども含む、イギリスのレイラインのせいかもしれませんし、もし生まれ変わりがあるのなら、私はロンドンの墓地にかつて埋まっていたような気さえするのです。かの、天国や地獄を見てきたと言って、一世風靡したスウェーデンボルグの才能も、イギリス滞在がきっかけで開花したと聞きます。ロンドンやイギリスそのものに何か不思議なパワーを感じずにはいられません。
 もし墓地に足を踏み入れる場合、地元の人々やそこの霊達にも「礼」をつくす気持ちで入ってください。万が一、いやな「気」が流れているような予感のする場所は、極力避けるのが懸命です。そしてできることなら一人で行くことをお勧めします。ジャンヌも映画の中で言っています、「一人じゃないと神は降りてこない」と。純粋に一人になって、天使と対話、そして自分自身と対話してみてください。そこから言葉では表現できない超純粋経験がはじまるのです。