鉄道マンの連携プレーで実現した被災地への「燃料列車」 | 鉄道マンたしろかおるのナイショ話

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元山手線運転士・元参議院議員 たしろかおる の鉄道ブログです。

元山手線運転士で、現在は参議院議員の たしろかおる です。


今日で東日本大震災発生から5年を迎えました。改めまして、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


私はこれからも、東日本大震災の記憶、教訓を風化させることなく、被災地の復旧、復興や防災、減災の取り組みを続けていく決意です。


今回は、鉄道マンの連係プレーで走らせた被災地への「燃料列車」のことを書きます。



東日本大震災発生直後から、私は鉄道マンの仲間たちから刻々と入る現場の情報をもとに、自分ができることを考え、具体的に行動していきました。


震災から8日目には支援物資を持ち、車で仙台へ、翌日には釜石へ入り、支援活動を行いながら、私の眼で現地の状況を把握しました。そして、国政の場で、いま必要なことを発信しました。


同時に進めていたのが、被災地の方々が切望していた燃料輸送の方法を探ることでした。 私は鉄道現場の仲間たちの知恵を借り、寸断された鉄道路線を迂回しながら、燃料や物資を積んだ貨物列車を一刻も早く、被災地まで運転させようと動いていました。


現場の仲間たちの出した答えは「迂回運転可能」ということでした。私はJR貨物の労使と連携して準備を進めました。貨物列車を運転していない線区に貨物列車を走らせるために、乗務員訓練メニューまで準備しました。


また、JR東日本の労使とも協力し、設備のチェックが行われました。そして、横浜市にある根岸線の根岸駅から日本海縦貫線を通り、青森経由で盛岡貨物ターミナル駅までのルートと、根岸駅から新潟、磐越西線経由で郡山貨物ターミナル駅までの二つのルートで、貨物列車を走らせる準備が進んでいきます。


この手配が進んだところでネックになったのが、電力の問題でした。当時は計画停電が行われ、貨物列車運転に必要な電力が供給できないということでした。 私はすぐに政府の震災対策本部に、被災した方々の命を救うため、燃料列車に優先して電力を供給することを訴えました。


そして3月18日、電力供給が確保されるとすぐに18両のタンク車を連結した燃料列車は横浜市の根岸線根岸駅を発車。翌3月19日、私が被災地入りし、被災した山田線を視察していた時、盛岡貨物ターミナル駅に最初の燃料列車が到着し、タンクローリー40台分の燃料が届いたとの報告が入りました。私は思わず「ガッツポーズ」をしました。



多くの鉄道マンの連携により実現した燃料列車の迂回運転。私も鉄道マンの一人として、国会議員として、その実現の一翼を担えたことを、今でも誇りに思っています。


私はこの経験をもとに、鉄道貨物輸送の重要性、鉄道輸送の全国ネットワークを維持することが、災害大国日本にとって、とても重要なことであると確信しました。


そして私は、JR貨物の経営問題に端を発する貨物鉄道輸送ネットワークの存続問題や、東日本大震災被災地をはじめとして災害で現在も寸断されている鉄道路線の復旧問題について、災害対策の面からもネットワークの維持、被災路線の復旧が必要であると訴えています。



私はこれからも、自らが現場に立ち、現場の声をもとに具体的に行動した東日本大震災での経験をいかし、国政の場で奮闘していきたいと思います。


本日もご覧いただき、ありがとうございました。





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