高頻度の取材に編集側が追い付いていない今日この頃です。
ですが、安全第一で行きましょうね。
安全第一と言えば、毎日工事現場の脇を通るのですが、連日の如くちょうどよくラジオ体操をやっています。
私も職業柄.、始業時の準備体操と現場での指差呼称を行いますが、ビシッとして気持ちがいいですね!鉄塔下の結界内に入るときも、ダム天端から歩いて行くときも「足元確認ヨシ!」なんて呼称すると気持ちいいことこの上ありません!きっと土木現場の方々の血と汗の香りを肌で感じることができるかと思います。
さて、たまった資料の一つ、栃木の五十里ダムになります。「いかり」と呼びます。
なぜ五十里なのかというと、江戸から五十里離れているため、地名にこの名がついたそうです。江戸・会津間の宿場町だったようですね。一里塚なんて小学生で習った記憶がありますが、一里が約3.9kmなので、鬼怒川温泉の上に位置するここから江戸までは約200kmというわけですね。
▲古臭い堤体がベテランの臭いを漂わす
五十里ダムは1956年に竣工しました。これだけの規模で、と思う方も多いでしょう。立派な堤体は高さ112m、建設当時は国内第1位を誇りました。
当時多目的ダムはまだ珍しく、ここは国内3番目の事例だそうです。
▲3連クレストゲートは目にも優しい緑色
発電用ダムラッシュの当時、数年後には電発奥只見、電発田子倉など北日本でも150mクラスのダムが次々と完成していきます。大きさの印象は薄れてしまったダムかもしれませんが、国内でも有数の観光地の日光、そして鬼怒川温泉などにやってきた観光バスは、竣工当時にこぞってここに寄ったといいます。
戦後10数年、巨大ダムは国民の中でも特別な思いがあったでしょう。
▲クレストゲート拡大。古臭いダムは男臭くていい
解説に書いてありますが、ゲートは2→1→3号ゲートの順に開くそうです。やはり中央から開くそうです。
近隣の川治ダムとは導水路で結ばれており、貯水量と流れ込み量が反比例している両ダムは持ちつ持たれつの関係を保っています。
▲ダム管理事務所はリニューアルされている
上写真はダム資料館「わくわくダムダム資料室」です。
私もわくわくしすぎてダムダムすることもたまにありますね(意味不明)。wktkみたいな状態でしょうか。
実際に「ダムダム」なんて命名しているところは初めてです。ダム写真集の第一人者萩原氏もびっくりです。
建物はリフォーム・建替えされているようです。このくらいの年数の多目的ダムは、ここといいあちこち更新されているところが多いですね。それでいて古臭い堤体なので違和感アリアリです。堤体はそのまま、建屋は替える、100年スパンの土木施設と建築の違い、そして偉大さとタフさを見せつけられます。
そうそう、ここにはオリジナルキャラクターがいるそうですよ。その名も「いかりくん」というそうです↓
▲いかりくんの説明
なんでも、役所の広報誌が堅苦しい、食わず嫌いの様に見てくれない、ということでフレンドリーな内容のダム広報誌を目指して発刊された広報誌兼ダムのキャラクターだそうです。
早速突っ込んでしまうのですが、ニュースネタ「『栃木県職員が描いたイメージキャラクターが普通の姉ちゃんな件について』や、その後の「魚のイメージキャラクターがそのまま魚な件について」を見ると、どうも栃木県民は極度に具体化されたリアルな人物・動物像をキャラクターとして扱うことがあるようですね(藁)
きっと「いかりくん」も、栃木県の土木採用の公務員といったらこれみたいな代表格のイラストなんでしょうか・・・いやそれともベースとなった社員か何かがいるのでしょうか・・・会ってみたい・・・
そういえば、取材の都合上、お昼にダムカードを頂戴しに資料館へ行ったのですが、「昼休み中にすみません」ってもらったところ「いいえ(笑)」と返事が返ってきました。
もう、ダムカードブームで土木中毒者らに昼食すら阻害される管理員の方々には頭が上がりません。
皆さんも、ダムを訪れるときはお仕事をある程度意識して伺いましょうね(苦)