関東土木保安協会

Kanto Civil Engineering Safety Inspection Association

~ 土木の迫力 機械の技術 礎となった男達の魂 ~
関東土木保安協会は、鉄とコンクリートの美学と保全活動を追求します。


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関東土木保安協会です。

 

皆さん、転車台はイメージできますでしょうか。

そう、機関車トーマスなどで出てくる、機関車を転回させるものです。

転車台は容易に転回できない鉄道車両等には最適なアイテムですが、自動車でも立体駐車場などでその姿を見る事ができますね。

場所が限られれば、例え自動車と言えど転回が容易にできることが求められます。

 

しかし、それが大型の自動車となると話が少し違います。

今回は、その昔には所々で目にする事ができた「アレ」についてフォーカスを当ててみましょう。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

埼玉県桶川市。

それほど広くない面積ながら、高崎線沿線の他市町村と同じく、中山道の宿場町として栄えました。

現在、人口7万人を有す市となっています。

 

そんな桶川市ですが、高崎線の桶川駅で面白い物があります。

冒頭で述べたあれ、ターンテーブルです。

その期待された役割通り、狭い駅前の限られたスペースでバスを転回させるために設置されています。

というのも桶川駅は、工場跡地の再開発があった西口に対し、中山道沿いの古き良き街並みを残す東口は、現在でも昭和感あふれる雰囲気を存分に残しているのです。

 

▲桶川駅東口の様子

 

さて、東口に降り立ってみましょう。

駅前に向かって伸びてくるのは幅員7mの道路、そして左右に広がるのは一方通行の狭すぎる路地です。
この21世紀の現在でも、駅前ロータリーとは無縁の、田舎の駅前(より込み入ってるとも思えますが)のような光景が広がっています。

 

▲上写真の奥から駅舎方面を望む。バスが転回するのは難しい空間だ


日高屋、ロッテリアとテナントを横目に進むと、バス停があります。そしてその先に、、ありましたありました。。例のブツが。
 

▲バスのターンテーブル


こちらが、バス用のターンテーブルです。
外観は、滑り止め加工がされた鉄板が円形になっているだけで、立体駐車場に見られるような普通車用のものと変わりないです。

 

 

▲ターンテーブルの拡大。立体駐車場のものを大きくした印象

 

ここが特徴的というのは、テーブル上部に動作用のスイッチがブラブラと下がっているところでしょうか。

 

▲バスの脇に垂れ下がる操作紐。紐色と先端を色違いにして区別している


紐は2本下がっていて、説明書きによると青×黒が120度回転で赤×白は180度回転のようです。

 

▲操作紐の注意書き


以前は竹ノ塚にも同様のものが残っていましたが、このタイプでした。

各地でも似たようなものが散見されるので、運転士が操作するこのようなタイプが主流なのでしょう。

 

▲時代を感じさせるポールと、先端の修復感溢れるスイッチ収納箱


この場所は、比較的高頻度なバスの運行間隔とその敷地の制約から、進入してきた方向と全く同じ方向に180度転回しようとすると、すでに後続のバスが後方に控えていることがあるため、120度転回して車両の出入りをやりくりしています。
このやり方を行うとどういうことになるかというと、バス停が設置されている脇を通過したバスが転回後120度斜め(バス停より道路側)に向くため、バス停から少し離れた所にバスが停車することになります。
雨天時も何のその、乗客達には折角の屋根付きのバス停から数メートルの徒歩を強いることになっています。なんとも苦労が見られるバス停です。

 

▲東武バスが行っていた時代の注意書き。紐の色が異なっていたらしい


バス自体も、中型車が運用されており、私が訪れた日も全ていすゞ/日野自動車のエルガミオ/レインボーでした。
需要もあっての選定なのでしょうが、隣にはタクシーも並ぶなか、あの駅前にバスが3台も発着しやりくりするのを想像すれば、中型車でないと難しいのかと納得します。

なお、別にコミュニティバスも走っていますが、こちらはショートボディで小回りが利くようになっており、駅前での折り返しもしません。

 

▲先端には暴進防止の大きな車止めが設置されている


郊外、人口増加、団地、バス増発、駅前開発・・・
全く別の言葉同士が、繋がっているとふと感じます。
木造アパートから、鉄筋コンクリートの集合住宅へ。
そしてその集合体が団地へ。
団地の居住者達が通勤者となって駅へ。
桶川も他の都市同様、その流れに乗ってきたと言っても間違いないでしょうが、その痕跡が駅前のこの誰にも注目されないであろう丸い鉄板に凝縮されているというのは大袈裟でしょうか。

せかせか動く円盤に、想いを寄せつつ眺めている私であります。

▲ゆっくりとターンテーブルへ移動するバス。動作させるタイミングは状況による


なお、稼働中の様子を見たい方、現地に行かなくとも、動画サイトに他に取材された方々が動作の様子を多数アップしているので、見てみてください。

 

▲土地借用の詳細。平成92年までの30年契約だ


借地の看板を見ると、ターンテーブルは1987年に設置されたようで、契約上は昭和92年(2017年)までの借地となっています。
借用名目は、ターンテーブルの設置に伴うと。うん。
結構な代物かとも思いましたが、意外と経年は若かったですね。
が、それでも30年経ちます。他のターンテーブルも絶滅寸前の今、アフターサポートを考えると苦しい状況なのかと察してしまいます。

 

▲車両が載った状態。ここから動作を開始する


そんな希少なターンテーブルの今後ですが、去就は公式には明らかにされていませんが、既に余命宣告がされたに近い状況です。
長年暗礁に乗り上げていた東口駅前の再開発事業が決定し、2019年の竣工に向けて工事が進んでいます。駅前でも立ち退きが進み、今の古典的な街路が大きく姿を変えようとしています。
完成予想では、ロータリーが設置され、バス乗り場も新設されるとのことです。
となると、ターンテーブルは必然的に不必要となるのは想像できます。
撤去費用もかかるため、このまま残置されるとも思いましたが、前出の写真にあるように借地である上に更新の都合もあるため、早々と撤去される可能性は高いと思われます。

▲夕日を浴びて回転するバス


駅前再開発なぞ何のその、まだまだ郊外型大規模SCなど数少ない、往年の駅前街路の香りを存分に漂わす貴重なアイテムとして名残惜しいですね。

あまりの名残惜しさに、夜まで張り込んでみました。

 

▲昼夜働き続ける、縁の下の力持ちだ


て・ん・か・い・・・・・

ダム、発電所、全国の様々な土木施設がインフラツーリズムとして注目されるなか、炭鉱や製糸場など近代の施設も世界遺産となり注目されていますね。

このような現在細々と残っているような現役稼働中の生きた近々代遺産というべき代物は、その立ち位置から容赦なく撤去されるのは目に見えています。
どうか、生前の姿を多くの方に評価されて最期を迎えられるように、と願うばかりです。

 

 

<参考>

・桶川市 : 桶川駅東口周辺地区の整備について

 

 

 

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写真を漁ったら、少し前の東京駅の写真が出てきました。


 
▲新しい架線柱と、古い架線柱が並んでいる


そういえば、東京駅には開業当時からの架線柱がついこないだまで残っていたんでしたっけ。

明治41年製。東京駅竣工時から使われていた架線柱です。
5,6番線に14本だけ残っていました。
柱には当時のレリーフが刻まれ、アカンサスを装飾化した柱頭など、優美なデザインでした。


隣には、何やら真新しい架線柱が光っています。
老朽化のため、この架線柱に置き換えられました。
現在は何事もなかったかのように、新しい架線柱のみが建っています。


▲置き換え間近の架線柱


ふと周りを見てみると、高度経済成長期に建った丸ノ内のビル街ですら、スクラップアンドビルドが進んでいます。



容赦なく古きが駆逐され、新しきばかりがもてはやされているのでは、と時折感じる中、「再現された」新しき古きがチヤホヤされています。
老朽化でやむを得ないのはわかるのですが、何かにつけ「現役のまま」保存すべきのものはあるのではないかと思ってしまうものです。


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おばんです。

関東土木保安協会です。

 

ダムの記事を書きたくても書けません。

 

 

さて、さいたま新都心という所があります。

ここは21世紀も始まったばかりの2000年代初頭、旧国鉄の大宮操車場の跡地を中心とした再開発で、一挙に中央省庁の張り出しやさいたまスーパーアリーナやコクーンを中心とする商業施設が立ち並び、名実ともに新都心となった一角です。

ここに、2014年になって新たに鉄塔マニアを振り返らせる塔が建ちました(私だけでしょうか)。
ソフトバンクテレコム大宮センターというビルの鉄塔です。

きれいな通信ビルの一言ではまとめきれないこの物件、鉄塔を眺めるためと言わんばかりに整備されたショッピングモールのデッキから撮影しつつ、 早速向かってみましょう。

 

 

▲さいたま新都心駅前からもよく見える鉄塔だ

 


ソフトバンクの公式HPでは、データセンターとしては登録されていない様子で、電話交換局とは言わないまでも、純粋なる電気通信設備を有すビルのようです。

外観は、近年建設が進んでいるデータセンターなどにみられるもので、窓が無く機械設備がビル内に並んでいることが伺えます。

窓が無いためにかえって目立つ壁面は白系で統一され、非常にクリーンな印象です。

 

 

▲ビル外観。電話交換局を最新のデザインで仕上げた印象

 

 

どうでもいいですが、窓なしのビルというのは、貨物機に似ていますね。

旅客機も通常のビルも窓を有しますが、貨物機も通信ビルも特に必要性のないものなので設置されていません。

人間が通常いない空間には、光というものは不要なのです。

こういう合理的な点はなかなか萌えるポイントであります。

 


▲窓は無く、これぞ電気通信設備を収容しています、といったイメージ

 


それでそれでそれで、一番触れたいのがこの現代において電波塔を堂々と搭載している点なのです。
しかも、後述しますが、諸事情によってか電波塔としては使用できないためか、今現在アンテナ類は一切確認できないんですね。

 

 

▲鉄塔。現状、アンテナ類は確認できない



何度もボケじいさんのようにお伝えしていますが、高度経済成長と共に発展の一途を歩んできたこの国のマイクロ波無線通信網は、光ファイバー網の充実と共に、現在では衰退の一途を辿っています。

特に、電気通信界においては、昭和末期から現れた新参の通信事業者らが、事業開始後で独自に無線網を全国へ構築した後、2000年初頭にはほぼ全ての無線局でアンテナの撤去などが行われていました。

現在、当時建設された多数の比較的新しい無線局は多くが更地となっており、以前からあったNTTの鉄塔も撤去が相次いでいます。

幸か不幸か、 技術の発展は全国の景色をあっという間に変えた後に、あっという間に元に戻していきました。

 

そんな背景を話した後に、この鉄塔です。

どうでしょうか、立派過ぎなのです。

 

 

▲正八角形の架台を持っている

 

 

架台は3段、電電公社系とは異なる正八角形のものが設置されています。

造りからして、大型のアンテナが載るガチな設計です。

架台の手すりが気になりますが、これがある辺り、パラボラアンテナの搭載などは意識していないものなのでしょうか。

さらに上部には同じ形の骨組みだけがありますが、何のデザインなのでしょう。

アンテナ類は一切設置されていない状態のようです。


ソフトバンクには、千葉ニュータウン内に旧日本テレコムが建設した「千葉ビル」がありますが、こちらが代表的な90年代の通信ビルでしょう。

近代的なビルに鉄塔が載っています。

しかし、その鉄塔も前述の理由により携帯基地局としてしか機能していないのが現状です。

 

携帯基地局であれば、従来みられた大型のパラボラアンテナのようなものではなく遥かに小型なアンテナとなり、鉄塔も小型ですみます。

 

ところがですよ、マイクロ波の風なぞ一切吹かないこのご時世に、携帯基地局向け鉄塔にしては立派すぎる鉄塔が建っているんですよ。

しかも、着工後に一部近隣住民から この鉄塔から発せられるであろう電磁波を心配する声が上がり、建設反対運動の理由の一つになっているようです。

そんな影響なのか、鉄塔にはアンテナ類が一切設置されていない状況です。

 

 

▲どのようなアンテナを載せる目的で建設したのだろうか

 

 

これからソフトバンク社内の独自無線通信網を構築するにしても、そんな動きはなさそうですし、それでは未だに独自の無線網を残す官公庁用に貸し出すのかとでも思いますが、そもそもそんな話もなさそうにみえます。

もしや、震災の教訓からネットワークの強化を謳っていた同社が、今後全国に無線通信網を張り巡らす計画があるのか、、と壮大な夢を見てしまいます。

 

 

 

時代と逆行しているといっても過言ではない、最新の通信ビルへの鉄塔搭載、これは何を意味するのかよくわかりませんが、近隣住民の方の不安材料になってしまったのは否めません。

 

立派なアンテナが載ることなく終焉を迎えるのか、はたまたバリバリの電波塔として機能し始めるのか、今後も目が離せない同ビルです。

新技術と話題性で市場に攻め立てる同社が出したこの解が、現状ではスマートフォンに昔の携帯のアンテナを付けて出したように滑稽かつ謎な答えとしてしか私は受け取れないのですから。。

 

 

 

 

<参考>

 

・大東京圏の案内とルポ : ソフトバンクが携帯中継基地を建設(さいたま新都心)

 

さいたま新都心に高さ39m、その上に51mの電波塔 巨大電波塔ビル建設

 

さいたま新都心東口ソフトバンクデータセンター 日陰の規制不適合で建築確認取り消し

 

・My News Japan : ソフトバンクが埼玉新都心のど真ん中で巨大電波中継局建設へ

 

・日本弁護士連合会 : 電磁波問題に関する意見書(PDF)

 

・東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行

 「(仮称)さいたま新都心第二期開発計画 商業棟新築工事」

 

・日経アーキテクチュア : 日影の算定方法に違法判決、さいたま地裁

 

 

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長野県は松本市。

駅前には城下町らしい活気ある風景が広がります。

 

城下町に限らず、旧来の鉄道交通の発展により栄えた地方都市の中心部には、バスターミナルが栄えていましたね。

バスタ新宿が最近開業し、最新のバスターミナルの姿とはこれだ、と言わんばかりの華々しい活躍をみせています。

対称的に、地方都市におけるバスターミナルは、バス路線の減少と設備の老朽化と共に、陳腐化している所も多く、駅前の改良事業によって当初の姿とは異なってきているものもありますね。

 

ここ、松本市の駅前にもありましたありました、バスターミナルが。

松本バスターミナルです。

上部にあるビルと合わせて少し触れましょう。

 

 

▲松電バスターミナルビル外観

 

 

松本バスターミナルは、松電バスターミナルビルに設置されています。

松電バスターミナルビルは1978年4月に竣工しました。

この頃は既にバスから車掌さんが消えていた時代でしょうか。

 

ビルのオーナーであるアルピコグループは、 電鉄事業を起源とし、スーパーからボーリングまで多彩な事業を有す巨大グループへと変貌しました。

そんな会社が、駅前に立地するバスターミナルについて、商売のチャンスと考えないわけがありません。駅ビルならぬバスビルとして、バスターミナル併設の商業施設を開業させます。これが松電バスターミナルビルです。

まだまだ郊外型大規模ショッピングdセンターなどない時代、駅前のバスターミナル併設にして立派なデパートということで、賑わったことでしょう。

 

 

▲現在の核テナントはアリオだ

 

 

平成23年にリニューアルが施され、現代的な雰囲気になりました。

現在の核テナントはアリオです。

これがヨーカドーだったらまた雰囲気が一昔前でいいんですがね。そんなものは一般消費者達が求めていない望みですから。

 

それでも、全体的な雰囲気は昭和のデパートそのもので、何ともよい佇まいではないですか。

ビル側面のガラス張りのエレベーターなど古臭くて素敵です。

夏季にはビアガーデンなどもあり、駅前デパートの姿そのものです。

店内の様子が出せればいいのですが。

 

 

▲写真右側よりバスが進入する

 

バスが行き来するターミナル部は現在も現役バリバリで、こちらも現代的な乗り場に刷新されています。

バスターミナル移転の話もないので、まだ暫くはその姿を駅前で見せてくれるでしょうか。

 

 

▲バスターミナル入口

 

 

ところで、バスターミナルの奥にある出口を見てみると、面白い物が。

車両の感知器がビルの庇から伸びて直付けになっています。

いちいちこんなところに触れてしまいますが、なんとも土木臭い。

 

 

▲バスターミナル裏側の出口

 

 

ふと、駅前の旧来の百貨店なりデパートなりの撤退報道が続く中、郊外型の大型SCの魅力とは何ぞやと思います。

消費者が離れこのような商業ビルが廃れていく一方で、ありきたりなテナントを有す大型SCは、結局はどこも似通った中身となってしまい、個々のアクが強いテナントでしか差別できないのではないでしょうか。

何故今○○が人気、などと昭和レトロへの人気を特集する事もある現代、敢えて'60's、70'sのデザインや空気感を残していく事は、当時の文化を伝える事にもなります。

 

クラシックカーが貴重な遺産として重宝され、昭和末期の車は陳腐化した単なる旧世代の車として扱ってはいないでしょうか。ネオクラシックカーなどと言われていますが、どの時代の物も大事な遺産になるべきものなのですが。

それと同じように、建物も、商業施設も、その空気感をと共に一時代を築いたものであれば大事にしないと、全国どこでも当たり前にみられた風景を二度と見られなくなってしまいそうで、なんだか残念なのです。

 

 

<参考>

・アルピコグループ公式サイト : グループ沿革 

 

・アルピコ交通株式会社 : 公式サイト

 

・アクセス信州 : 松本駅・松本バスターミナル のりば案内

 

 

 

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ちょっと前にグアムに視察に行ってきた際の写真がいくつか出てきましたので載せてみます。
公衆電話になります。


成田空港なのですが、こちらの見慣れない電話はKDDIのものです。
NTTのグレ電ことDMCシリーズと仲良く並びます。



▲成田空港に鎮座するKDDI公衆電話


いわゆる、外国の公衆電話の外観を持ちます。
クレジットカードも使えるとのことです。
流石は海外仕様です。


▲電話機外観。大きさはさほどではない


しっかりとKDDIの固定資産管理がされているようでした。
なんと1996年頃のもののようですね。
古臭くありません。


続いてホテルにあったものです。
こちらは外観も中身も完全に海外といった面持ちです。




▲ホテルの公衆電話


こちらも勿論カード対応です。
消防救急の緊急連絡先の記載もあるほか、リムジンというボタンもあります。
タクシーやリムジンの会社に直通なのでしょうか。



▲ディスプレイ部拡大


日本と海外の様々な製品・機器との比較同様、こちらもディスプレイと操作ボタンはシンプルなものです。
何か、国内にもこう、シンプルな電話があったような。。。


あ、NTTが10年強前に設置していたICカード電話ですね(笑)




最後はグアムの空港の電話機です。
やはり、こちらも簡易ディスプレイがあります。




国内の公衆電話も、DMCシリーズになってからこの様なディスプレイが設置されましたね。





そういえば、これらの電話機は受話器のコードが全て金属製です。
海外では取扱を雑にされる事が多いからなのでしょうか。

電車のシートがモケット張りじゃない点などもそうですが、耐久性などのメンテナンス性を考慮しての仕様なのでしょうか。







面白いですねぇ。


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関東土木保安協会です。

 

栃木県の県道を走行していると、何やら臭いものを発見しました。

こういうの大好きなので載せてみましょう。

 

 

栃木県の県道4号線が、丁度東北自動車道を跨ぐ箇所です。

飯田橋という橋がかかっています。

 

 

▲鹿沼方面から見た飯田橋。片側1車線の道路なのだが

 

 

この県道は片側1車線なのですが、写真奥(南側)に何やらもう一つ橋が架かっています。

どれどれ近づいてみましょう。

 

 

▲県道南側にもう一つ橋が架かっている

 

 

分かる方はもう御察しかと思いますが、こちらがこの県道の拡幅準備工事部分になります。

こんなネタは全国にゴロゴロ転がっていますが、ここまでがっちりと橋桁を架けてしまっている例はあまりないかもしれませんね。

 

県道4号線は、宇都宮市と鹿沼市を結ぶ主要なルートで、「鹿沼街道」の愛称で呼ばれています。

道路は利用者も多く朝夕には結構な交通量があるものの、片側1車線で慢性的な渋滞が発生していました。

そのため、宇都宮環状線との合流部付近から道路の拡幅・付け替え工事が行われ、現在約2km程度が片側2車線道路として開通しています。

 

 

▲車道予定部分は暫定歩道として運用している

 

 

で、何がグッとくるのかと言いますと、その経年なんですね。

この道路は遥か昔からあったのですが、そこへ東北道が後からできたため、この橋が新設されたのですが。

東北道が開通したのが1972年ですが、この時に既に飯田橋は完成しています。

東北道としては最も初期に開通した区間です。

橋に掲げられた銘板にもしっかりとその記録が載っています。

1971年・・・現時点で既に45年も経過していますよ。。

 

 

▲飯田橋の銘板。旧日本道路公団が建造した

 

 

これは、45年前に既にこの県道が4車線化する目論見があった、ということでしょう。

今でこそ周囲の拡幅工事が進んでいるために先見の明があったということになりそうですが、それにしても45年間も計画が埋もれたままで、ようやく今の今になってその結果を出すことになるかもしれないとは。

なんとも面白いですね。

 

恐らく、当時から県側では道路の4車線化計画だけはあったのでしょうが、その具体性はさておき、高速道路の建設で費用は公団持ちだという事で、前もって架橋しておいたのではないかな、と察せます。

時代は70年代、これから人口も交通量も伸び続ける筈で、どうせなら建ててもらってしまおう、みたいな背景もあったかと思われます。

 

 

▲橋は経年もあり、コンクリート表面などは風化が進んでいる

 

 

それにしても、本来の使い方をされずに約半世紀が経過した土木施設とは、なんともトワイライト的な、哀愁漂うプチ遺構の旅情を誘ういいものです。

歩道なども旧規格そのままの設計で、正方形のタイルを敷き詰めたバリアフリーってなんですか臭漂う'70sそのものの姿なのです。

よく高度経済成長期に多数建設がされた都道府県立のスポーツ施設などもこういう歩道の造りをしている所が多いですよね。

 

苔とか生えていい味出してますねぇ。

えっ?風化?いやいや「いい味」です。

 

 

▲旧態然とした歩道。これでいてまだ最終の形態ではない

 

 

そんな県道4号線ですが、流石は土木大国北関東の栃木県。

造り過ぎと言っても過言ではない優秀な道路整備網の流れに乗り、この道路も4車線化計画が進められています。

宇都宮側からはもう目の前まで、鹿沼側からはまだ少し距離がありますが新規のバイパスが、この橋に向かって4車線を進めてきてくれています。

 

 

▲なんとか4車線化で開業した姿をみたいものである

 

 

約半世紀の間、風化するだけの片側と車に踏まれ続けた片側。

既に人口減少の社会情勢の中、4車線分全てが開通日はいつ来るのでしょうか。。

 

 

10年後開通していなかったら「違算幻影」の企画としてでも取り上げましょうか(笑)

 

 

 

<参考>

 

・栃木県 鹿沼土木事務所 : 主要事業について(PDF)

 

・栃木県 宇都宮土木事務所 : 主要地方道宇都宮鹿沼線荒針工区の4車線化供用開始について(PDF)

 

 

 

 

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関東土木保安協会です。

3連続の電波塔ネタとなります。

 

 

 

 

新橋は駅の北側に、いくつか赤白の背の高い鉄塔が見えますが、山手線の線路沿いにある鉄塔があります。

これが皆さんご存知の方も多いであろう、東京電力の本社ビルです。

今回は、鉄塔の追っかけであれば一度は気にしたであろうあの塔、あまり注目はされていないようですので、本協会でガッツリと表舞台に出てもらいましょう。

 

 

▲新橋駅前のビル街に顔を出す東電本社ビルと鉄塔

 

 

東京電力は数年前まで本社機能を3ビルに分散していたようですが、昨今の原発問題の波で資産整理を余儀なくされ、現在は2ビルに減少、うち1ビルがこの本店本館ビルです。

 

このビルを指しているのかはわかりませんが、原発問題の最中にはしきりに「本社ビル売却」の声もあがったようですね。しかし、このビルに関してはそんな事はたやすくできません。

何せ首都圏の根幹を担う電力送電網の制御など行っているためで、内部には送電網の制御に関わる機械類などが収容されているとみられます。

このビルに関しては何が何でも直轄でなければ、健全な電力運用上大きな支障が生じることでしょう。

 

 

▲東京電力本社、本店本館の外観

 

 

このビルの脇を通過する際に、ブラインドが閉められた窓の隙間がちらっと見えたりします。

スモークがかった窓越しに見える中の景色は、映画で出てくるような大きな古典的な会議卓と数名の職員達の姿だったりします。それが夜遅くであったりすると。。ああ、遅くまで御苦労様です、といった気分になります。

電力会社だからこそでしょうか。あの重厚な雰囲気、ちらっと見えただけで少し重くなりますね。

 

 

▲ビルにはパラボラアンテナも設置されており、衛星回線も保有しているとみられる

 

 

本店本館は1972年に竣工しました。あの福島第一原子力発電所の運転開始の翌年です。

当時、これからの日本の電力網に新しい光が差し込むことが期待される中での竣工であったと予想され、そびえ立つ電波塔も誇り高かったことでしょう。

当時は高度経済成長期も終わり、オイルショックの時代。それでも、爆発的に増加する人口に、送電網の拡充を行っていた背景があります。

 

 

▲ビル外観。14階建てのようだ

 

 

ところで、ブログにてビルのフロア数が記事によって異なることを突いているネタがあります。

なんでも、公式資料では15階建てなのに対し、記事によっては16階建てになっているとのこと。

これなのですが、文末の東電公式資料の通り、15階で正解なのでは、と思われます。

外観からビルの階数をカウントすると、14階あり、そのほかによく見るとビル最上階の目隠しがされた部分に、鉄塔直下の1階が確認できます。

ただ、鉄塔直下のところはよく見えない上にペントハウスは2階あるとされているので、具体的にどうカウントするかは不明ですが。

 

 

▲鉄塔部。3本の鋼管によるラーメン構造だ

 

 

鉄塔は鋼管を3本組み合わせてラーメン構造としたものです。

送電鉄塔を始め、各発変電所間通信用の電波塔を建設し続けてきた同社からすれば、随分とすっきりとしたシンプルなデザインです。

各柱は寄り添いあって、折れない3本の矢を指すような、そんな印象です。

あぁ、褒めすぎですかね。

 

アンテナは、電力会社のマイクロ回線はまだまだ主要区間で残っているので、結構載っていますよ。

円形の架台にびっしりと取り付けられたその姿、今後も続けてほしいものですが。

先端の丸いレドームは、パラボラアンテナか何かが収容されているものかと思われます。

 

 

▲鉄塔頭頂部拡大

 

 

あの鉄塔は何のためにあるのですが、など質問サイトに載ることが多いですが、行政機関のマイクロ波アンテナと同様、この鉄塔もアンテナも、各地の発変電所と通信を行うためにあります。

電力会社は、送電網においては無人運用がほとんどですが、そのため各発変電所の計測、監視、緊急時の操作などを遠隔で行う必要があります。そのため、空中の無線回線を保有しているという訳なのです。

現在は、電力会社自前の光ケーブルによるネットワークが充実してきましたが、それでも地上での不測の事態に備えられるマイクロ波網はメリットがあります。

 

 

▲アンテナ付近をさらに拡大。カメラや八木アンテナも確認できる

 

 

さらにアンテナ付近に寄ってみると、何やら防犯カメラのようなドームが確認できます。

防犯上設置されているのでしょうか。地上をみるものではなさそうですが。

小型の八木アンテナも確認できますね。何かの局として貸し出しているのでしょうか。いやいや、自社回線でしょうか。

 

 

▲鉄塔下部。カモフラージュされている

 

 

鉄塔下部は最近のビルじゃないですが、カモフラージュのような加工がされており、鉄塔の長さが分からないようになっています。

もうじき経年半世紀を迎えるビルにしては、随分とお洒落なデザインではないですか。

鉄塔に対し、ビルが比較的低層なのですが、このプロポーションの悪さを綺麗に打ち消しているのに気付かされます。

内部には螺旋階段があり、鉄塔へとつながっているようです。

 

同社の資料では、13,14階が情報通信機械室、15,PH1階が機械室とのことなので、この辺りに電波を送信するための機械類がうじゃうじゃと収容されていることでしょう。

 

 

▲結構背が高い鉄塔は、都内でも目を惹く存在だ

 

 

現在。ホールディングス制に移行した同社は、業務別の3社に分裂し、ロゴマークであるCIも変更されてしまいました。

1987年から使われていた「T」をモチーフにした旧CI、でんこちゃんと合わせて一時代を築いた感もあるあちらも結構好きだったのですが、今や旧塗装の社用車などは塗装以外のレタリングを全て消されて運用されているなど哀愁ある姿になっています。

本社ビルの前では過激派対策で未だに機動隊のバスが待機し、仁王立ちの警察官が監視する物々しい雰囲気です。

 

そんな中、ビルの周囲にあるマンホールには、同社の旧CI以前に用いられていた、稲妻マークのロゴが光っていました。

 

 

 

 

このような社会情勢の中、真面目にコツコツと進んできた技術屋の方々も、苦汁を味わってきたであろうとお察しします。

高い送電網の信頼性で高度経済成長を支えてきた原動力は このマークであると信じていた方々が、再び堂々と社名を掲げられる日々が来ることを願います。

 

 

<参考>

・東京電力ホールディングス 公式サイト

 

・東京電力株式会社 : 2014年度地球温暖化対策計画書(PDF)

 

 

 

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前回の記事でお伝えしたKDDIの八俣送信所

実はここのすぐ東側に、NTTの名崎無線送信所というところもあったのでした。

広大な敷地に林立する鉄塔群は、八俣共に短波送信の一時代を築きましたが、現在はNTTドコモの無線中継所の鉄塔が1本あるのみです。

今回は、そんな名崎無線送信所を少しだけ振り返りつつ、ドコモの無線中継所を見てみましょう。

 

 

 

 

~~~~~

 

以下、概略を 名崎無線送信所研究サイト 様の掲載等を参考に振り返ってみましょう。

 

振り返ること遥か昔、古河市は名崎に短波向けの無線送信所がありました。

名崎無線送信所です。

短波ということは、八俣送信所で御話しした通りです。広大な敷地に大きな鉄塔とアンテナが設置されていました。

 

戦前より設置されたこの送信所は国際通信向けに開設され、紆余曲折を経てKDDの所有となりました。

しかし1969年に、KDDは国際向けの放送を八俣送信所へ集約する方向となり、翌年に国際放送業務は移転し、KDD名崎送信所は1973年に閉局します。

 

ここでこの広大な敷地を活用したいと名乗り出たのが、日本電信電話公社(電電公社)、後のNTTでした。

電電公社は、首都圏の複数の短波送信所を業務を、名崎送信所に集約しようと計画したのです。

(八俣も名崎も、国策による企業と設備ですから、再編が決まる前にはある程度の国による方針が固まっていたのでしょう)

集約対象の無線送信所には、以前記事にあった検見川送信所なども含まれていました。

 

こうして1977年、電電公社の名崎無線送信所が運用を開始する事になります。

広大な敷地をKDDより借り受け、第一送信所とし、後に第二送信所も開発されることになります。

 

 

▲ありし日の名崎無線送信所。設備全撤去を数年後に控えた2007年頃の様子

 

 

短波は重要なライフラインではあったものの、その役割を移転や停波により徐々に減らしていきます。

1990年代中頃から停波の波が押し寄せ、2000年代初頭には僅かに残るのみとなり、後にこの送信所からの電波は全て停波。2010年頃に鉄塔も含めた設備が全て撤去されました。

 

余談ですが、時報の電波で知られる日本標準電波もこちらから発信されていました。

以前は東京の小金井から短波として発信されていました。

送信の安定度や混信への影響などを考慮し、短波から長波への移行を目論み、1978年に試験的に長波「JG2AS」として開局したのも、この名崎送信所なのでした。

現在は福島と佐賀で長波として発信されているのはご存知かと思います。

 

私が現存する名崎無線送信所を最後に確認したのが、2007年の丁度5月でした。上写真がその時の写真です。

写真左側の白い建屋が送信所で、無人の遠隔監視運用を前提としたため当時としては小柄な局舎ですね。

中央の鉄塔間には地上に銀色の小さい箱がありますが、あれが電波線への出力箱で、あの箱から真上のカーテンアンテナへ出力がされていました。

既に停波が進み、既に第一送信所は閉鎖されていました。第一送信所は、昼間障害標識の赤白塗装に塗られた鉄塔が6基ほど並ぶアンテナ群だったようです。

写真の第二送信所も、全盛期には30本近い鉄塔が並ぶ迫力の風景だったようですが、撮影時はその半分もないほどに撤去されていたと思います。

テーパーが付いた先すぼまりのよくあるタワー型の鉄塔には、複数のワイヤーが接続され、八俣送信所同様カーテンアンテナを構成していました。

 

 

▲NTTドコモの新名崎無線中継所

 

 

時は今、名崎の地に残るのはNTTドコモの新名崎無線中継所です。

名崎無線送信所とは別に、2000年頃に新規に建設されたと見られます。

往年のカーテンアンテナの電波塔達ほどの迫力はありませんが、基地局としては確実に残りますので、今後もその雄姿を見せてくれるでしょう。

もっとも、ここは送信所ではなく中継所ですので、あくまで発信拠点としては基地局のみとしての機能でしょうが。

 

 

▲電波塔上部。この時代に珍しく大型のアンテナが複数並ぶ

 

 

電波塔には大型のカセグレンアンテナが2基、中型のオフセットアンテナが1基、その他CV局向け小型アンテナが複数設置され、往年のマイクロ波電波塔の姿を思わせる充実したものです。

 

無線中継所局舎は平屋で、その上に通常の四角鉄塔が据え付けられたシンプルなもの。

架台は3段、ドコモに多い円形で、八角形を基調とした電電公社標準のスタイルとは異なります。

高さもそこそこあるため、なかなかよいプロポーションではないですか。

 

 

▲別角度から見た無線中継所。シンプルながら美しい

 

 

そういえば、なぜタイトルの日野云々の話なのかと言いますと、まあいつもの言いたいだけのタイトルなのですが、日野自動車の工場がこの地にできるからなのです。

 

名崎無線送信所の跡地は、2008年に古河名崎工業団地として茨城県開発公社により誘致活動が進められることになったのです。

そんな中この誘致に手を挙げたのが日野自動車です。

東京都日野市にある日野工場を閉鎖し、この名崎に新工場「古河工場」を建設し移転する計画を発表しています。圏央道の境古河ICに近いこの地は流通面から見ても大いにメリットがあるでしょう。

既に工場は2012年より部分的に稼働していますが、この2016年に全面的な本格稼働を開始する予定とのことです。

 

私が訪れた時も、一帯は大規模な開発が進められている最中でした。

もう以前の送信所の面影はありませんが、これからは日野自動車の工場として、名崎の広大な土地は有効に活用されることでしょう。

 

 

▲無線中継所看板

 

 

何にでも縁を付ける訳ではないですが(というか付けてますね)、この地から出ていた日本標準電波も、当時の東京は小金井から設備刷新を契機にこの名崎へ移って来ました。

そして後を追うように、東京は日野から工場が移ってきます。

何か不思議な物を感じますね。

 

国内の工場では閉鎖に追い込まれる所もいくつもありますが、この名崎においては新たな工場が建設され、今後の新しい歴史を地域と共に歩み続けることでしょう。

そして脇にある名崎の最後の雄姿を見届けた電波塔は、その変遷を見届けてゆくでしょう。

 

 

▲無線中継所の奥、旧名崎無線送信所跡地では工場の建設が進む

 

 

情けは人の為ならず。情けをかけると何れは廻り廻って自分に返ってくるとの意味ですが、きっと日野自動車だけでなく、名崎の一帯もその恩恵を授かることでしょう。

 

名崎は 日野の 為ならず。

句っ句っ句。

 

 

 

 

今回用いた写真はこちら

 

 

<参考>

名崎無線送信所研究サイト

 

・JoeBob's Neo World : 標準時報局 JJY(日本)

 

・Photo Gallery Vintage watch movement : SEIKO RC station JG2AS 40kHz

 

・郵政博物館 : 時報の元祖「報時器」(PDF)

 

・茨城県古河市 : 日野自動車(株)古河工場の本格稼働について(PDF)

 

・広報古河 2012年5月1日号  : 間もなくオープン 古河名崎工業団地(PDF)

 

・常陽地域研究センター 2013年11月号 : 古河地域の現状と展望(PDF)

 

 

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春ですね。
関東土木保安協会です。

春のポカポカした陽気の中、咲きほこり散りゆく桜を見てきました。
そこでは、桜だけでなく世界へ向けて電波も散りゆくのでした。





茨城県の古河市に、知る人ぞ知る巨大電波塔群があります。
KDDIの八俣送信所です。

八俣送信所は、国際電信電話株式会社(KDD)の前身である国際電気通信株式会社が開設しました。
国際電気通信株式会社は戦後に解体され、業務的には電電公社に統合されますが、後のKDD発足と共に国際放送を担う八俣送信所も移管されました。
その後KDDの合併に伴いKDDIとなり現在に至ります。

KDD、懐かしい響きです。
「国際・電信・電話」のローマ字の頭文字をとったそのままの社名です。



▲KDDのケーブル埋設を示す境界石


同社は、その事業概要から海底ケーブルに敷設船、陸揚施設など、当時から国際通信網のインフラ構築に相当な力をつぎ込んできました。これら設備は現在はKDDIに継承されています。
auなどのお茶目なCMからは想像できませんが、実は迫力の資産を多数秘めている企業なのです。



▲広大な敷地には20基ほどの紅白鉄塔が林立し、遠目で「何かある」と感じさせる


八俣送信所は国際短波放送を行うために設置されています。
地球の大気圏では、電離層で電波を反射する性質があるため、長距離間の通信などではそれを利用して遠距離通信を行っており、短波もその一種です。
私も電波云々は詳しくないのですが、短波放送の周波数帯は3MHz~30MHzを指すようで、ここ八俣送信所のアンテナからは施設内看板によると6MHz弱~22MHz弱くらいの電波が出ているようです。



▲美しいカーテンアンテナの鉄塔群


私がここを初めて知ったのは、まだグーグルマップなどのネット上の地図が主流でない時代です。
茨城県の地図を広げマップサーフィン(こんな造語流行りますかね)していた際に、この広大な敷地と送信所に驚き、注目したものです。広さは東西1km、南北1.1kmもあります。
国内の大きなテーマパークも収めてしまうほどの敷地です。



▲場所によっては、アンテナを至近距離から見ることもできる


この広大な敷地には、世界に向けて電波を送信している巨大なカーテンアンテナ群が設置されています。
都合上、どうしてもこのような大型のアンテナが必要となるようで、大きいものが70mの高さを有し、低い物が35mあります。
これら鉄塔間にダイポールカーテンとしてアンテナ線を張り巡らせ、大きな壁状のアンテナをほぼ東西へ指向性を持って構築しているのです。



▲様々なアンテナ線。ここから世界中に伝搬する強力な電波が発信されている


アンテナには入力線が接続されており、送信所中心の建屋から各アンテナに向かって何本もの入力線が接続されています。
この入力線が丁度手の届きそうで届かない高さにあるのですが、敷地内に高さ制限のある理由なのでしょう。

 

▲敷地内に張り巡らされたアンテナへの入力線


入力線は2線接続されており、途中に箱の様な物を経由しています。
プレートを見てみるとアンテナ切り替え装置と書いてあります。
この装置にて、どのアンテナで電波を送信するか選択できるようです。
時間や季節などの条件によりアンテナと電波を切替ないと不感地帯が生じてしまうとのことですので。



▲アンテナ切り替え装置


上の写真でもありましたが、敷地内には送信所建屋から出力された電波線が張り巡らされています。
敷地内に南北に走る2本の道路も横断していますが、ここを通過する際には通常のガードレールの他に頑丈な鉄柵が追加されているのがわかります。



▲敷地内を南北に貫く一般道。なかなか飛ばしてしまう直線である


何せ知らない人からすれば単なる田舎道ですので、皆さん直線では結構飛ばします。ガードレールと言いつつも簡単な鉄柵しかないので、万が一車両からの衝撃があれば、対策なしでは一発でアウトでしょう。しっかりとリスクマネジメントしてあります。



▲電波線が通過している部分は屈強な柵が追加されている


話は戻りますが、ここから発信している国際短波放送とやらは何かというと、NHKが放送している「NHKワールド・ラジオ日本(ラジオ・ジャパン)」と北朝鮮拉致被害者向けの「しおかぜ」です。
以前はNHKが独占的に使用していた訳ですが、2007年頃より拉致被害者向けの放送も加わりました。
NHKでは、全世界に向けて様々な言語で放送がされているようです。



▲カーテンアンテナを象徴するような鉄塔の連続の図。壮観である


例えば、言論統制が強化されている独裁国家があったらどうでしょうか。テロリストが通信設備を破壊したらどうでしょうか。受信設備が破壊された際も、受信機が手元にあれば、情報を受け取ることができます。
以下は、KDDI労組誌からの引用です。

~有事の際、既存の通信網が破壊された場合にラジオ一つで受信できる短波放送は現地への情報伝達にその真価を発揮するからだ。「衛星やケーブルによる情報伝達は、現地設備の破壊や相手国の意志により途絶する恐れがあるが、短波放送はここが破壊されない限り情報を伝えられる」~ 引用終了

このように、短波通信はインターネットの普及によりユーザー数が減少している中、その重要性だけは揺るぎないものを保ち続けているのです。



▲足下を見ると、様々な鋼管やワイヤー類でかなり目線が忙しい


放送施設という性質上、24時間片時も目を離す事はできません。
上でも言いましたが、短波放送は伝播する環境により送信能力を調整する必要があるためです。
当然運用体制も万全にとられており、1チーム2人を4チーム組んで臨番で回しているようです。
なお、全職員数は30名強とのことで、敷地と規模からすると案外少なく感じます。
近年は需要の減少により送信機の一部撤去もあるとのことで、このご時世では運用人員は簡単には増やせないのでしょう。
それだけに、ネット上の様々な記事で送信所職員の方々の責任感あるコメントが輝いて見えます。



▲カーテンアンテナ向け70m級鉄塔。細身ですっきりとしている


鉄塔群も舐めまわすように見てしまいます。
写真はこの送信所のメインの構成品の一つ、カーテンアンテナの70m級四角鉄塔です。
鋼管を用いたシンプルな鉄塔ですね。鮮やかに昼間障害標識が施されています。
送電鉄塔の様な張力はかからないのでしょうか、このようなスタイルで十分なのですね。
頭頂部には避雷針とデッキ、2本角にはアンテナ線のワイヤーと、細かいところで独特の形状です。



▲鉄塔下部のウエイト。アンテナ線はこのワイヤーでしっかりと張られている


八俣送信所の過去を紐解いてみると、従来はアンテナの数や設備も現在より小さい物だったようですね。
約30年前の大規模改修により、送信設備が大幅に増強され、西側のカーテンアンテナ群も構成され、現在のような四角鉄塔が何本も立ち並ぶ姿となりました。
受電設備もその頃メスが入れられたようで、1986年頃に竣工した敷地内特高圧変電所はその歴史を伝えてくれます。
なお、会社が変わろうと、僅か1基で終了する送電線名は「国際電電八俣線」のまま臭いですね。
かっこいいですねぇ。



▲送信所の配電設備。特高圧6.6kV2回線の受電だ


これも上で触れたネタですが、敷地内を縦断する道路の入口には必ず高さ制限を示すゲートがあるとのことでしたが、それが下写真です。
しっかりと道路標識の様式で表現されています。
こんな制約も、普通の方ではなんでだろうと思って通り過ぎてしまうポイントですね。



▲敷地内へと続く各道路では、必ず高さ制限のゲートが迎えてくれる


そういえば、この広大な敷地は虫の発生を抑制することまで配慮されているとのことです。
虫はアンテナの電波線に触れることで短絡を起こし、送信不良や故障を引き起こす事があるそうで。
そのためか、草刈もしっかりと行われています。下手な家庭の芝生より綺麗なんですもの。

で、結果このように様々な行動を禁止する看板が立ち並んでいます。




▲様々な看板類。近隣住民が憩いの場として立ち入ってしまうのも無理はない


いやいやいや、だってこの敷地の広さにして、この綺麗さ、クラブとボールを持って忍び込みたくなる気持ちが沸き立って無理もないでしょう(笑)。
きのこや木の実を採るなとの看板もありますね。フェンスが低いので誰かれ構わず受け入れているように思われてしまうのかもしれませんね。
それにしても、純粋に立ち入り禁止だけでは侵入者を撃退できなくなったのでしょうか。随分と具体的な行動を禁止しています。


そんな広大な敷地を有効活用すべく、遊休地では流行のメガソーラーが設置されていました。
地方で土地があったらコレ、みたいな雰囲気が一時期ありましたね。



▲遊休地を埋め尽くすメガソーラー


こちらはこの送信所の写真ではよく見るアングルの、送信所南側道路からの眺めです。
鉄塔群がアンテナを形成し、壮観です。
この美しい鉄塔群が、世界へと電波を拡散させ、日本の放送を伝えているのです。



▲美しい鉄塔達の並び


不測の事態がいつ起こるかわからない海外情勢の中、この無線送信所からの放送に耳を傾ける人々が世界中にいることでしょう。
そして彼らへ向けて、その見えない力を遥か彼方まで届ける縁の下の力持ち達がいます。
その役目がある限りは、いつまでもその使命感の下、力強い電波を拡散させ続けてほしいものです。
この地に毎年咲き誇る桜の花々の、花びらが舞い散るように。







今回用いた写真はこちら


<参考>

・なりたま通信所 : 探検発見 KDDI八俣送信所

・KDDI労組 : 職場を訪ねて KDDI八俣送信所(PDF)

・RFワールド : KDDI八俣送信所の思い出と見学記

・一般社団法人映像情報メディア学会 : Vol.67 メディアウォッチ第15回 KDDI八俣送信所見学記(PDF)

・札幌市青少年科学館 : 電波って跳ね返るの?

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前回の続きです。


計画用地上に建っている立派な跨線橋を登ってみましょう。

線路沿いが駐車場として延々と貸し出されているのがよくわかりますね。
幅がきれいに複線分あるのがみてとれます。



▲線路沿いに駐車場が続く


写真奥の大宮方へどんどん進みましょう。

何やらタクシー会社に貸し出しているような一帯がありました。
車の駐車方法が横から縦になります。



▲タクシー会社に貸し出していると思われる敷地


こんな形で線路沿いは駐車場ばかりだったのですが、この先の大成第六踏切にてその使い方もパタリと終わります。
ここからは若干西側にずれる形で計画用地が続いています。

下写真の奥に写っている建屋が日進変電所です。
建物の奥には川越線が走っています。



▲大成第六踏切の大宮側。フェンスの部分が複線の計画用地だ


この辺でも、綺麗に複線分用意された敷地に、一部住宅が建っているのが確認されました。
外観から数年内に建てられたものではなさそうですが、下写真の奥くらいからは当時から用地を取得する計画ではなかったように思えます。
その代わりに、写真手前側(西側)に広い敷地が出てきます。



▲一部住宅が建っている計画用地


少し進んで、国道17号大成跨線橋から見下ろして見ましょう。
左に写るのが川越線です。右側に写っているのが高崎線です。
その間に広めの空間があるのが分かります。ここに複線が設置できるような広さが準備されています。



▲埼京線と高崎線。中央の空き地は計画用地だ


調べていく過程で航空写真をよくよく見てみると、この空き地は元々川越線が通っていた空き地だったのです。
以前の川越線は、高崎線と並行し大成跨線橋を潜り、その後で日進駅方面へカーブしていました。
川越線は、現在の姿である埼京線との直通を進めた際に、従来の位置から西側へずれ、従来の線路跡は埼京線から高崎線への乗り入れ線を敷設できるようにしたのですね。


少し戻って下から見てみましょう。
写真下は川越線、奥に大成トンネルがあります。奥に写る緑の橋が、先程見下ろした国道17号大成跨線橋です。



▲川越線大成トンネルと大成跨線橋


手前が川越線で、国道17号を潜るのが大成トンネルです。
よく見ると「大成」とトンネル名が入口左側に書いてありますが、フォントが赤羽台トンネル等に見られるまさにそれです。
大成跨線橋の下を通過していたところを、新幹線建設や川越線の電化・埼京線直通化に合わせて新設した背景が分かります。


もう一度大成跨線橋に戻ってみましょう。
ここに川越線が走っていました。当時は単線でした。
広さからして複線分は余裕でありますね。大成跨線橋自体も相当古いものですが、川越線の複線化を考慮していた背景があるのか、高崎線含め複々線分は跨げるような幅を持っています。
この辺りでは、いままで計画用地があった写真右側(東側)にはその面影は無くなり、左側(西側)に敷地が準備されているような形になります。


▲大成跨線橋上より。川越線跡地は複線分の幅がある


そのまま橋の逆側へ行ってみましょう。
この下写真の通り、その複線分の用地は続きます。

▲大成跨線橋から大宮方を見下ろす


少し右にずれて、川越線も見てみましょう。
このように、新幹線建設と動いた様々な計画が、建設当時ではこの一帯で様々な工事があったのだろうなと思わせます。


▲右側が川越線。こちらも線路を移設した区間だろう。


このまま敷地は高崎線と並走し続けますが、新幹線を潜った辺りでその敷地は更に広くなります。
というのも、この埼京線から北上してきた新線が高崎線の下り線をオーバーパスしないといけないためで、その敷地になります。
(そこまでは調べていませんが、高崎線下り線、連絡線の新線側どちらが高架になるかも固まっていた筈です)



▲大成跨線橋の下と、更に大宮側に南下した構図。線増はいつでもできそうである


このまま南下すると、鉄道博物館ですね。
鉄道博物館の高いところから見下ろすとよくわかりますが、その広い敷地は川越線を包むようにして埼京線の地下ホームに潜っていきます。



▲鉄道博物館付近。この辺でも広い敷地が目立つが、全て線増の計画用地である


地下へのボックスを見ると、しっかりと躯体が4線分設けられているのが分かります。
川越線向けと高崎線向けの上下計4線が出てくる筈だった名残です。
現在はその計画を伝える遺構となってしまっていますね。



▲川越線の大宮駅地下ホームへの入口。4本の線路が設置できるよう設計されていた


と言う訳で、大宮から宮原まで見てきた訳ですが、この様なまだまだ手を加えれば線路が敷けそうな雰囲気から、大宮以北への路線の延伸案も出てきているなど、未だに小さく燻っているのも事実です。
しかしながら、見てきたように新しい住宅・跨線橋など、本来建ててはいけない場所に平気で建設をしているのもまた事実です。
つまりは、もうする気が無い中で、かすかな光が政治のネタになっているというのが現状なのでしょう。


国鉄時代には高度経済成長と人口の爆発的増加の中、あれやこれやとインフラを建てまくって、それでも電車など公共機関は乗れればラッキーレベルだったことでしょう。
それが今や量より質の時代、このようなピーク時の計画は消え去っていく時代です。


鉄道博物館の目の前に残る計画用地だけに、博物館の窓際に往年描かれた5方面作戦と壮大な計画の一部の残党が、ここにあるよとでも記してあげれば、当時奔走した国鉄マン達の鼻も高く残ることでしょう。



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