関東土木保安協会

Kanto Civil Engineering Safety Inspection Association

~ 土木の迫力 機械の技術 礎となった男達の魂 ~
関東土木保安協会は、鉄とコンクリートの美学と保全活動を追求します。


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ちょっと前にグアムに視察に行ってきた際の写真がいくつか出てきましたので載せてみます。
公衆電話になります。


成田空港なのですが、こちらの見慣れない電話はKDDIのものです。
NTTのグレ電ことDMCシリーズと仲良く並びます。



▲成田空港に鎮座するKDDI公衆電話


いわゆる、外国の公衆電話の外観を持ちます。
クレジットカードも使えるとのことです。
流石は海外仕様です。


▲電話機外観。大きさはさほどではない


しっかりとKDDIの固定資産管理がされているようでした。
なんと1996年頃のもののようですね。
古臭くありません。


続いてホテルにあったものです。
こちらは外観も中身も完全に海外といった面持ちです。




▲ホテルの公衆電話


こちらも勿論カード対応です。
消防救急の緊急連絡先の記載もあるほか、リムジンというボタンもあります。
タクシーやリムジンの会社に直通なのでしょうか。



▲ディスプレイ部拡大


日本と海外の様々な製品・機器との比較同様、こちらもディスプレイと操作ボタンはシンプルなものです。
何か、国内にもこう、シンプルな電話があったような。。。


あ、NTTが10年強前に設置していたICカード電話ですね(笑)




最後はグアムの空港の電話機です。
やはり、こちらも簡易ディスプレイがあります。




国内の公衆電話も、DMCシリーズになってからこの様なディスプレイが設置されましたね。





そういえば、これらの電話機は受話器のコードが全て金属製です。
海外では取扱を雑にされる事が多いからなのでしょうか。

電車のシートがモケット張りじゃない点などもそうですが、耐久性などのメンテナンス性を考慮しての仕様なのでしょうか。







面白いですねぇ。


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関東土木保安協会です。

 

栃木県の県道を走行していると、何やら臭いものを発見しました。

こういうの大好きなので載せてみましょう。

 

 

栃木県の県道4号線が、丁度東北自動車道を跨ぐ箇所です。

飯田橋という橋がかかっています。

 

 

▲鹿沼方面から見た飯田橋。片側1車線の道路なのだが

 

 

この県道は片側1車線なのですが、写真奥(南側)に何やらもう一つ橋が架かっています。

どれどれ近づいてみましょう。

 

 

▲県道南側にもう一つ橋が架かっている

 

 

分かる方はもう御察しかと思いますが、こちらがこの県道の拡幅準備工事部分になります。

こんなネタは全国にゴロゴロ転がっていますが、ここまでがっちりと橋桁を架けてしまっている例はあまりないかもしれませんね。

 

県道4号線は、宇都宮市と鹿沼市を結ぶ主要なルートで、「鹿沼街道」の愛称で呼ばれています。

道路は利用者も多く朝夕には結構な交通量があるものの、片側1車線で慢性的な渋滞が発生していました。

そのため、宇都宮環状線との合流部付近から道路の拡幅・付け替え工事が行われ、現在約2km程度が片側2車線道路として開通しています。

 

 

▲車道予定部分は暫定歩道として運用している

 

 

で、何がグッとくるのかと言いますと、その経年なんですね。

この道路は遥か昔からあったのですが、そこへ東北道が後からできたため、この橋が新設されたのですが。

東北道が開通したのが1972年ですが、この時に既に飯田橋は完成しています。

東北道としては最も初期に開通した区間です。

橋に掲げられた銘板にもしっかりとその記録が載っています。

1971年・・・現時点で既に45年も経過していますよ。。

 

 

▲飯田橋の銘板。旧日本道路公団が建造した

 

 

これは、45年前に既にこの県道が4車線化する目論見があった、ということでしょう。

今でこそ周囲の拡幅工事が進んでいるために先見の明があったということになりそうですが、それにしても45年間も計画が埋もれたままで、ようやく今の今になってその結果を出すことになるかもしれないとは。

なんとも面白いですね。

 

恐らく、当時から県側では道路の4車線化計画だけはあったのでしょうが、その具体性はさておき、高速道路の建設で費用は公団持ちだという事で、前もって架橋しておいたのではないかな、と察せます。

時代は70年代、これから人口も交通量も伸び続ける筈で、どうせなら建ててもらってしまおう、みたいな背景もあったかと思われます。

 

 

▲橋は経年もあり、コンクリート表面などは風化が進んでいる

 

 

それにしても、本来の使い方をされずに約半世紀が経過した土木施設とは、なんともトワイライト的な、哀愁漂うプチ遺構の旅情を誘ういいものです。

歩道なども旧規格そのままの設計で、正方形のタイルを敷き詰めたバリアフリーってなんですか臭漂う'70sそのものの姿なのです。

よく高度経済成長期に多数建設がされた都道府県立のスポーツ施設などもこういう歩道の造りをしている所が多いですよね。

 

苔とか生えていい味出してますねぇ。

えっ?風化?いやいや「いい味」です。

 

 

▲旧態然とした歩道。これでいてまだ最終の形態ではない

 

 

そんな県道4号線ですが、流石は土木大国北関東の栃木県。

造り過ぎと言っても過言ではない優秀な道路整備網の流れに乗り、この道路も4車線化計画が進められています。

宇都宮側からはもう目の前まで、鹿沼側からはまだ少し距離がありますが新規のバイパスが、この橋に向かって4車線を進めてきてくれています。

 

 

▲なんとか4車線化で開業した姿をみたいものである

 

 

約半世紀の間、風化するだけの片側と車に踏まれ続けた片側。

既に人口減少の社会情勢の中、4車線分全てが開通日はいつ来るのでしょうか。。

 

 

10年後開通していなかったら「違算幻影」の企画としてでも取り上げましょうか(笑)

 

 

 

<参考>

 

・栃木県 鹿沼土木事務所 : 主要事業について(PDF)

 

・栃木県 宇都宮土木事務所 : 主要地方道宇都宮鹿沼線荒針工区の4車線化供用開始について(PDF)

 

 

 

 

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関東土木保安協会です。

3連続の電波塔ネタとなります。

 

 

 

 

新橋は駅の北側に、いくつか赤白の背の高い鉄塔が見えますが、山手線の線路沿いにある鉄塔があります。

これが皆さんご存知の方も多いであろう、東京電力の本社ビルです。

今回は、鉄塔の追っかけであれば一度は気にしたであろうあの塔、あまり注目はされていないようですので、本協会でガッツリと表舞台に出てもらいましょう。

 

 

▲新橋駅前のビル街に顔を出す東電本社ビルと鉄塔

 

 

東京電力は数年前まで本社機能を3ビルに分散していたようですが、昨今の原発問題の波で資産整理を余儀なくされ、現在は2ビルに減少、うち1ビルがこの本店本館ビルです。

 

このビルを指しているのかはわかりませんが、原発問題の最中にはしきりに「本社ビル売却」の声もあがったようですね。しかし、このビルに関してはそんな事はたやすくできません。

何せ首都圏の根幹を担う電力送電網の制御など行っているためで、内部には送電網の制御に関わる機械類などが収容されているとみられます。

このビルに関しては何が何でも直轄でなければ、健全な電力運用上大きな支障が生じることでしょう。

 

 

▲東京電力本社、本店本館の外観

 

 

このビルの脇を通過する際に、ブラインドが閉められた窓の隙間がちらっと見えたりします。

スモークがかった窓越しに見える中の景色は、映画で出てくるような大きな古典的な会議卓と数名の職員達の姿だったりします。それが夜遅くであったりすると。。ああ、遅くまで御苦労様です、といった気分になります。

電力会社だからこそでしょうか。あの重厚な雰囲気、ちらっと見えただけで少し重くなりますね。

 

 

▲ビルにはパラボラアンテナも設置されており、衛星回線も保有しているとみられる

 

 

本店本館は1972年に竣工しました。あの福島第一原子力発電所の運転開始の翌年です。

当時、これからの日本の電力網に新しい光が差し込むことが期待される中での竣工であったと予想され、そびえ立つ電波塔も誇り高かったことでしょう。

当時は高度経済成長期も終わり、オイルショックの時代。それでも、爆発的に増加する人口に、送電網の拡充を行っていた背景があります。

 

 

▲ビル外観。14階建てのようだ

 

 

ところで、ブログにてビルのフロア数が記事によって異なることを突いているネタがあります。

なんでも、公式資料では15階建てなのに対し、記事によっては16階建てになっているとのこと。

これなのですが、文末の東電公式資料の通り、15階で正解なのでは、と思われます。

外観からビルの階数をカウントすると、14階あり、そのほかによく見るとビル最上階の目隠しがされた部分に、鉄塔直下の1階が確認できます。

ただ、鉄塔直下のところはよく見えない上にペントハウスは2階あるとされているので、具体的にどうカウントするかは不明ですが。

 

 

▲鉄塔部。3本の鋼管によるラーメン構造だ

 

 

鉄塔は鋼管を3本組み合わせてラーメン構造としたものです。

送電鉄塔を始め、各発変電所間通信用の電波塔を建設し続けてきた同社からすれば、随分とすっきりとしたシンプルなデザインです。

各柱は寄り添いあって、折れない3本の矢を指すような、そんな印象です。

あぁ、褒めすぎですかね。

 

アンテナは、電力会社のマイクロ回線はまだまだ主要区間で残っているので、結構載っていますよ。

円形の架台にびっしりと取り付けられたその姿、今後も続けてほしいものですが。

先端の丸いレドームは、パラボラアンテナか何かが収容されているものかと思われます。

 

 

▲鉄塔頭頂部拡大

 

 

あの鉄塔は何のためにあるのですが、など質問サイトに載ることが多いですが、行政機関のマイクロ波アンテナと同様、この鉄塔もアンテナも、各地の発変電所と通信を行うためにあります。

電力会社は、送電網においては無人運用がほとんどですが、そのため各発変電所の計測、監視、緊急時の操作などを遠隔で行う必要があります。そのため、空中の無線回線を保有しているという訳なのです。

現在は、電力会社自前の光ケーブルによるネットワークが充実してきましたが、それでも地上での不測の事態に備えられるマイクロ波網はメリットがあります。

 

 

▲アンテナ付近をさらに拡大。カメラや八木アンテナも確認できる

 

 

さらにアンテナ付近に寄ってみると、何やら防犯カメラのようなドームが確認できます。

防犯上設置されているのでしょうか。地上をみるものではなさそうですが。

小型の八木アンテナも確認できますね。何かの局として貸し出しているのでしょうか。いやいや、自社回線でしょうか。

 

 

▲鉄塔下部。カモフラージュされている

 

 

鉄塔下部は最近のビルじゃないですが、カモフラージュのような加工がされており、鉄塔の長さが分からないようになっています。

もうじき経年半世紀を迎えるビルにしては、随分とお洒落なデザインではないですか。

鉄塔に対し、ビルが比較的低層なのですが、このプロポーションの悪さを綺麗に打ち消しているのに気付かされます。

内部には螺旋階段があり、鉄塔へとつながっているようです。

 

同社の資料では、13,14階が情報通信機械室、15,PH1階が機械室とのことなので、この辺りに電波を送信するための機械類がうじゃうじゃと収容されていることでしょう。

 

 

▲結構背が高い鉄塔は、都内でも目を惹く存在だ

 

 

現在。ホールディングス制に移行した同社は、業務別の3社に分裂し、ロゴマークであるCIも変更されてしまいました。

1987年から使われていた「T」をモチーフにした旧CI、でんこちゃんと合わせて一時代を築いた感もあるあちらも結構好きだったのですが、今や旧塗装の社用車などは塗装以外のレタリングを全て消されて運用されているなど哀愁ある姿になっています。

本社ビルの前では過激派対策で未だに機動隊のバスが待機し、仁王立ちの警察官が監視する物々しい雰囲気です。

 

そんな中、ビルの周囲にあるマンホールには、同社の旧CI以前に用いられていた、稲妻マークのロゴが光っていました。

 

 

 

 

このような社会情勢の中、真面目にコツコツと進んできた技術屋の方々も、苦汁を味わってきたであろうとお察しします。

高い送電網の信頼性で高度経済成長を支えてきた原動力は このマークであると信じていた方々が、再び堂々と社名を掲げられる日々が来ることを願います。

 

 

<参考>

・東京電力ホールディングス 公式サイト

 

・東京電力株式会社 : 2014年度地球温暖化対策計画書(PDF)

 

 

 

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前回の記事でお伝えしたKDDIの八俣送信所

実はここのすぐ東側に、NTTの名崎無線送信所というところもあったのでした。

広大な敷地に林立する鉄塔群は、八俣共に短波送信の一時代を築きましたが、現在はNTTドコモの無線中継所の鉄塔が1本あるのみです。

今回は、そんな名崎無線送信所を少しだけ振り返りつつ、ドコモの無線中継所を見てみましょう。

 

 

 

 

~~~~~

 

以下、概略を 名崎無線送信所研究サイト 様の掲載等を参考に振り返ってみましょう。

 

振り返ること遥か昔、古河市は名崎に短波向けの無線送信所がありました。

名崎無線送信所です。

短波ということは、八俣送信所で御話しした通りです。広大な敷地に大きな鉄塔とアンテナが設置されていました。

 

戦前より設置されたこの送信所は国際通信向けに開設され、紆余曲折を経てKDDの所有となりました。

しかし1969年に、KDDは国際向けの放送を八俣送信所へ集約する方向となり、翌年に国際放送業務は移転し、KDD名崎送信所は1973年に閉局します。

 

ここでこの広大な敷地を活用したいと名乗り出たのが、日本電信電話公社(電電公社)、後のNTTでした。

電電公社は、首都圏の複数の短波送信所を業務を、名崎送信所に集約しようと計画したのです。

(八俣も名崎も、国策による企業と設備ですから、再編が決まる前にはある程度の国による方針が固まっていたのでしょう)

集約対象の無線送信所には、以前記事にあった検見川送信所なども含まれていました。

 

こうして1977年、電電公社の名崎無線送信所が運用を開始する事になります。

広大な敷地をKDDより借り受け、第一送信所とし、後に第二送信所も開発されることになります。

 

 

▲ありし日の名崎無線送信所。設備全撤去を数年後に控えた2007年頃の様子

 

 

短波は重要なライフラインではあったものの、その役割を移転や停波により徐々に減らしていきます。

1990年代中頃から停波の波が押し寄せ、2000年代初頭には僅かに残るのみとなり、後にこの送信所からの電波は全て停波。2010年頃に鉄塔も含めた設備が全て撤去されました。

 

余談ですが、時報の電波で知られる日本標準電波もこちらから発信されていました。

以前は東京の小金井から短波として発信されていました。

送信の安定度や混信への影響などを考慮し、短波から長波への移行を目論み、1978年に試験的に長波「JG2AS」として開局したのも、この名崎送信所なのでした。

現在は福島と佐賀で長波として発信されているのはご存知かと思います。

 

私が現存する名崎無線送信所を最後に確認したのが、2007年の丁度5月でした。上写真がその時の写真です。

写真左側の白い建屋が送信所で、無人の遠隔監視運用を前提としたため当時としては小柄な局舎ですね。

中央の鉄塔間には地上に銀色の小さい箱がありますが、あれが電波線への出力箱で、あの箱から真上のカーテンアンテナへ出力がされていました。

既に停波が進み、既に第一送信所は閉鎖されていました。第一送信所は、昼間障害標識の赤白塗装に塗られた鉄塔が6基ほど並ぶアンテナ群だったようです。

写真の第二送信所も、全盛期には30本近い鉄塔が並ぶ迫力の風景だったようですが、撮影時はその半分もないほどに撤去されていたと思います。

テーパーが付いた先すぼまりのよくあるタワー型の鉄塔には、複数のワイヤーが接続され、八俣送信所同様カーテンアンテナを構成していました。

 

 

▲NTTドコモの新名崎無線中継所

 

 

時は今、名崎の地に残るのはNTTドコモの新名崎無線中継所です。

名崎無線送信所とは別に、2000年頃に新規に建設されたと見られます。

往年のカーテンアンテナの電波塔達ほどの迫力はありませんが、基地局としては確実に残りますので、今後もその雄姿を見せてくれるでしょう。

もっとも、ここは送信所ではなく中継所ですので、あくまで発信拠点としては基地局のみとしての機能でしょうが。

 

 

▲電波塔上部。この時代に珍しく大型のアンテナが複数並ぶ

 

 

電波塔には大型のカセグレンアンテナが2基、中型のオフセットアンテナが1基、その他CV局向け小型アンテナが複数設置され、往年のマイクロ波電波塔の姿を思わせる充実したものです。

 

無線中継所局舎は平屋で、その上に通常の四角鉄塔が据え付けられたシンプルなもの。

架台は3段、ドコモに多い円形で、八角形を基調とした電電公社標準のスタイルとは異なります。

高さもそこそこあるため、なかなかよいプロポーションではないですか。

 

 

▲別角度から見た無線中継所。シンプルながら美しい

 

 

そういえば、なぜタイトルの日野云々の話なのかと言いますと、まあいつもの言いたいだけのタイトルなのですが、日野自動車の工場がこの地にできるからなのです。

 

名崎無線送信所の跡地は、2008年に古河名崎工業団地として茨城県開発公社により誘致活動が進められることになったのです。

そんな中この誘致に手を挙げたのが日野自動車です。

東京都日野市にある日野工場を閉鎖し、この名崎に新工場「古河工場」を建設し移転する計画を発表しています。圏央道の境古河ICに近いこの地は流通面から見ても大いにメリットがあるでしょう。

既に工場は2012年より部分的に稼働していますが、この2016年に全面的な本格稼働を開始する予定とのことです。

 

私が訪れた時も、一帯は大規模な開発が進められている最中でした。

もう以前の送信所の面影はありませんが、これからは日野自動車の工場として、名崎の広大な土地は有効に活用されることでしょう。

 

 

▲無線中継所看板

 

 

何にでも縁を付ける訳ではないですが(というか付けてますね)、この地から出ていた日本標準電波も、当時の東京は小金井から設備刷新を契機にこの名崎へ移って来ました。

そして後を追うように、東京は日野から工場が移ってきます。

何か不思議な物を感じますね。

 

国内の工場では閉鎖に追い込まれる所もいくつもありますが、この名崎においては新たな工場が建設され、今後の新しい歴史を地域と共に歩み続けることでしょう。

そして脇にある名崎の最後の雄姿を見届けた電波塔は、その変遷を見届けてゆくでしょう。

 

 

▲無線中継所の奥、旧名崎無線送信所跡地では工場の建設が進む

 

 

情けは人の為ならず。情けをかけると何れは廻り廻って自分に返ってくるとの意味ですが、きっと日野自動車だけでなく、名崎の一帯もその恩恵を授かることでしょう。

 

名崎は 日野の 為ならず。

句っ句っ句。

 

 

 

 

今回用いた写真はこちら

 

 

<参考>

名崎無線送信所研究サイト

 

・JoeBob's Neo World : 標準時報局 JJY(日本)

 

・Photo Gallery Vintage watch movement : SEIKO RC station JG2AS 40kHz

 

・郵政博物館 : 時報の元祖「報時器」(PDF)

 

・茨城県古河市 : 日野自動車(株)古河工場の本格稼働について(PDF)

 

・広報古河 2012年5月1日号  : 間もなくオープン 古河名崎工業団地(PDF)

 

・常陽地域研究センター 2013年11月号 : 古河地域の現状と展望(PDF)

 

 

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春ですね。
関東土木保安協会です。

春のポカポカした陽気の中、咲きほこり散りゆく桜を見てきました。
そこでは、桜だけでなく世界へ向けて電波も散りゆくのでした。





茨城県の古河市に、知る人ぞ知る巨大電波塔群があります。
KDDIの八俣送信所です。

八俣送信所は、国際電信電話株式会社(KDD)の前身である国際電気通信株式会社が開設しました。
国際電気通信株式会社は戦後に解体され、業務的には電電公社に統合されますが、後のKDD発足と共に国際放送を担う八俣送信所も移管されました。
その後KDDの合併に伴いKDDIとなり現在に至ります。

KDD、懐かしい響きです。
「国際・電信・電話」のローマ字の頭文字をとったそのままの社名です。



▲KDDのケーブル埋設を示す境界石


同社は、その事業概要から海底ケーブルに敷設船、陸揚施設など、当時から国際通信網のインフラ構築に相当な力をつぎ込んできました。これら設備は現在はKDDIに継承されています。
auなどのお茶目なCMからは想像できませんが、実は迫力の資産を多数秘めている企業なのです。



▲広大な敷地には20基ほどの紅白鉄塔が林立し、遠目で「何かある」と感じさせる


八俣送信所は国際短波放送を行うために設置されています。
地球の大気圏では、電離層で電波を反射する性質があるため、長距離間の通信などではそれを利用して遠距離通信を行っており、短波もその一種です。
私も電波云々は詳しくないのですが、短波放送の周波数帯は3MHz~30MHzを指すようで、ここ八俣送信所のアンテナからは施設内看板によると6MHz弱~22MHz弱くらいの電波が出ているようです。



▲美しいカーテンアンテナの鉄塔群


私がここを初めて知ったのは、まだグーグルマップなどのネット上の地図が主流でない時代です。
茨城県の地図を広げマップサーフィン(こんな造語流行りますかね)していた際に、この広大な敷地と送信所に驚き、注目したものです。広さは東西1km、南北1.1kmもあります。
国内の大きなテーマパークも収めてしまうほどの敷地です。



▲場所によっては、アンテナを至近距離から見ることもできる


この広大な敷地には、世界に向けて電波を送信している巨大なカーテンアンテナ群が設置されています。
都合上、どうしてもこのような大型のアンテナが必要となるようで、大きいものが70mの高さを有し、低い物が35mあります。
これら鉄塔間にダイポールカーテンとしてアンテナ線を張り巡らせ、大きな壁状のアンテナをほぼ東西へ指向性を持って構築しているのです。



▲様々なアンテナ線。ここから世界中に伝搬する強力な電波が発信されている


アンテナには入力線が接続されており、送信所中心の建屋から各アンテナに向かって何本もの入力線が接続されています。
この入力線が丁度手の届きそうで届かない高さにあるのですが、敷地内に高さ制限のある理由なのでしょう。

 

▲敷地内に張り巡らされたアンテナへの入力線


入力線は2線接続されており、途中に箱の様な物を経由しています。
プレートを見てみるとアンテナ切り替え装置と書いてあります。
この装置にて、どのアンテナで電波を送信するか選択できるようです。
時間や季節などの条件によりアンテナと電波を切替ないと不感地帯が生じてしまうとのことですので。



▲アンテナ切り替え装置


上の写真でもありましたが、敷地内には送信所建屋から出力された電波線が張り巡らされています。
敷地内に南北に走る2本の道路も横断していますが、ここを通過する際には通常のガードレールの他に頑丈な鉄柵が追加されているのがわかります。



▲敷地内を南北に貫く一般道。なかなか飛ばしてしまう直線である


何せ知らない人からすれば単なる田舎道ですので、皆さん直線では結構飛ばします。ガードレールと言いつつも簡単な鉄柵しかないので、万が一車両からの衝撃があれば、対策なしでは一発でアウトでしょう。しっかりとリスクマネジメントしてあります。



▲電波線が通過している部分は屈強な柵が追加されている


話は戻りますが、ここから発信している国際短波放送とやらは何かというと、NHKが放送している「NHKワールド・ラジオ日本(ラジオ・ジャパン)」と北朝鮮拉致被害者向けの「しおかぜ」です。
以前はNHKが独占的に使用していた訳ですが、2007年頃より拉致被害者向けの放送も加わりました。
NHKでは、全世界に向けて様々な言語で放送がされているようです。



▲カーテンアンテナを象徴するような鉄塔の連続の図。壮観である


例えば、言論統制が強化されている独裁国家があったらどうでしょうか。テロリストが通信設備を破壊したらどうでしょうか。受信設備が破壊された際も、受信機が手元にあれば、情報を受け取ることができます。
以下は、KDDI労組誌からの引用です。

~有事の際、既存の通信網が破壊された場合にラジオ一つで受信できる短波放送は現地への情報伝達にその真価を発揮するからだ。「衛星やケーブルによる情報伝達は、現地設備の破壊や相手国の意志により途絶する恐れがあるが、短波放送はここが破壊されない限り情報を伝えられる」~ 引用終了

このように、短波通信はインターネットの普及によりユーザー数が減少している中、その重要性だけは揺るぎないものを保ち続けているのです。



▲足下を見ると、様々な鋼管やワイヤー類でかなり目線が忙しい


放送施設という性質上、24時間片時も目を離す事はできません。
上でも言いましたが、短波放送は伝播する環境により送信能力を調整する必要があるためです。
当然運用体制も万全にとられており、1チーム2人を4チーム組んで臨番で回しているようです。
なお、全職員数は30名強とのことで、敷地と規模からすると案外少なく感じます。
近年は需要の減少により送信機の一部撤去もあるとのことで、このご時世では運用人員は簡単には増やせないのでしょう。
それだけに、ネット上の様々な記事で送信所職員の方々の責任感あるコメントが輝いて見えます。



▲カーテンアンテナ向け70m級鉄塔。細身ですっきりとしている


鉄塔群も舐めまわすように見てしまいます。
写真はこの送信所のメインの構成品の一つ、カーテンアンテナの70m級四角鉄塔です。
鋼管を用いたシンプルな鉄塔ですね。鮮やかに昼間障害標識が施されています。
送電鉄塔の様な張力はかからないのでしょうか、このようなスタイルで十分なのですね。
頭頂部には避雷針とデッキ、2本角にはアンテナ線のワイヤーと、細かいところで独特の形状です。



▲鉄塔下部のウエイト。アンテナ線はこのワイヤーでしっかりと張られている


八俣送信所の過去を紐解いてみると、従来はアンテナの数や設備も現在より小さい物だったようですね。
約30年前の大規模改修により、送信設備が大幅に増強され、西側のカーテンアンテナ群も構成され、現在のような四角鉄塔が何本も立ち並ぶ姿となりました。
受電設備もその頃メスが入れられたようで、1986年頃に竣工した敷地内特高圧変電所はその歴史を伝えてくれます。
なお、会社が変わろうと、僅か1基で終了する送電線名は「国際電電八俣線」のまま臭いですね。
かっこいいですねぇ。



▲送信所の配電設備。特高圧6.6kV2回線の受電だ


これも上で触れたネタですが、敷地内を縦断する道路の入口には必ず高さ制限を示すゲートがあるとのことでしたが、それが下写真です。
しっかりと道路標識の様式で表現されています。
こんな制約も、普通の方ではなんでだろうと思って通り過ぎてしまうポイントですね。



▲敷地内へと続く各道路では、必ず高さ制限のゲートが迎えてくれる


そういえば、この広大な敷地は虫の発生を抑制することまで配慮されているとのことです。
虫はアンテナの電波線に触れることで短絡を起こし、送信不良や故障を引き起こす事があるそうで。
そのためか、草刈もしっかりと行われています。下手な家庭の芝生より綺麗なんですもの。

で、結果このように様々な行動を禁止する看板が立ち並んでいます。




▲様々な看板類。近隣住民が憩いの場として立ち入ってしまうのも無理はない


いやいやいや、だってこの敷地の広さにして、この綺麗さ、クラブとボールを持って忍び込みたくなる気持ちが沸き立って無理もないでしょう(笑)。
きのこや木の実を採るなとの看板もありますね。フェンスが低いので誰かれ構わず受け入れているように思われてしまうのかもしれませんね。
それにしても、純粋に立ち入り禁止だけでは侵入者を撃退できなくなったのでしょうか。随分と具体的な行動を禁止しています。


そんな広大な敷地を有効活用すべく、遊休地では流行のメガソーラーが設置されていました。
地方で土地があったらコレ、みたいな雰囲気が一時期ありましたね。



▲遊休地を埋め尽くすメガソーラー


こちらはこの送信所の写真ではよく見るアングルの、送信所南側道路からの眺めです。
鉄塔群がアンテナを形成し、壮観です。
この美しい鉄塔群が、世界へと電波を拡散させ、日本の放送を伝えているのです。



▲美しい鉄塔達の並び


不測の事態がいつ起こるかわからない海外情勢の中、この無線送信所からの放送に耳を傾ける人々が世界中にいることでしょう。
そして彼らへ向けて、その見えない力を遥か彼方まで届ける縁の下の力持ち達がいます。
その役目がある限りは、いつまでもその使命感の下、力強い電波を拡散させ続けてほしいものです。
この地に毎年咲き誇る桜の花々の、花びらが舞い散るように。







今回用いた写真はこちら


<参考>

・なりたま通信所 : 探検発見 KDDI八俣送信所

・KDDI労組 : 職場を訪ねて KDDI八俣送信所(PDF)

・RFワールド : KDDI八俣送信所の思い出と見学記

・一般社団法人映像情報メディア学会 : Vol.67 メディアウォッチ第15回 KDDI八俣送信所見学記(PDF)

・札幌市青少年科学館 : 電波って跳ね返るの?

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前回の続きです。


計画用地上に建っている立派な跨線橋を登ってみましょう。

線路沿いが駐車場として延々と貸し出されているのがよくわかりますね。
幅がきれいに複線分あるのがみてとれます。



▲線路沿いに駐車場が続く


写真奥の大宮方へどんどん進みましょう。

何やらタクシー会社に貸し出しているような一帯がありました。
車の駐車方法が横から縦になります。



▲タクシー会社に貸し出していると思われる敷地


こんな形で線路沿いは駐車場ばかりだったのですが、この先の大成第六踏切にてその使い方もパタリと終わります。
ここからは若干西側にずれる形で計画用地が続いています。

下写真の奥に写っている建屋が日進変電所です。
建物の奥には川越線が走っています。



▲大成第六踏切の大宮側。フェンスの部分が複線の計画用地だ


この辺でも、綺麗に複線分用意された敷地に、一部住宅が建っているのが確認されました。
外観から数年内に建てられたものではなさそうですが、下写真の奥くらいからは当時から用地を取得する計画ではなかったように思えます。
その代わりに、写真手前側(西側)に広い敷地が出てきます。



▲一部住宅が建っている計画用地


少し進んで、国道17号大成跨線橋から見下ろして見ましょう。
左に写るのが川越線です。右側に写っているのが高崎線です。
その間に広めの空間があるのが分かります。ここに複線が設置できるような広さが準備されています。



▲埼京線と高崎線。中央の空き地は計画用地だ


調べていく過程で航空写真をよくよく見てみると、この空き地は元々川越線が通っていた空き地だったのです。
以前の川越線は、高崎線と並行し大成跨線橋を潜り、その後で日進駅方面へカーブしていました。
川越線は、現在の姿である埼京線との直通を進めた際に、従来の位置から西側へずれ、従来の線路跡は埼京線から高崎線への乗り入れ線を敷設できるようにしたのですね。


少し戻って下から見てみましょう。
写真下は川越線、奥に大成トンネルがあります。奥に写る緑の橋が、先程見下ろした国道17号大成跨線橋です。



▲川越線大成トンネルと大成跨線橋


手前が川越線で、国道17号を潜るのが大成トンネルです。
よく見ると「大成」とトンネル名が入口左側に書いてありますが、フォントが赤羽台トンネル等に見られるまさにそれです。
大成跨線橋の下を通過していたところを、新幹線建設や川越線の電化・埼京線直通化に合わせて新設した背景が分かります。


もう一度大成跨線橋に戻ってみましょう。
ここに川越線が走っていました。当時は単線でした。
広さからして複線分は余裕でありますね。大成跨線橋自体も相当古いものですが、川越線の複線化を考慮していた背景があるのか、高崎線含め複々線分は跨げるような幅を持っています。
この辺りでは、いままで計画用地があった写真右側(東側)にはその面影は無くなり、左側(西側)に敷地が準備されているような形になります。


▲大成跨線橋上より。川越線跡地は複線分の幅がある


そのまま橋の逆側へ行ってみましょう。
この下写真の通り、その複線分の用地は続きます。

▲大成跨線橋から大宮方を見下ろす


少し右にずれて、川越線も見てみましょう。
このように、新幹線建設と動いた様々な計画が、建設当時ではこの一帯で様々な工事があったのだろうなと思わせます。


▲右側が川越線。こちらも線路を移設した区間だろう。


このまま敷地は高崎線と並走し続けますが、新幹線を潜った辺りでその敷地は更に広くなります。
というのも、この埼京線から北上してきた新線が高崎線の下り線をオーバーパスしないといけないためで、その敷地になります。
(そこまでは調べていませんが、高崎線下り線、連絡線の新線側どちらが高架になるかも固まっていた筈です)



▲大成跨線橋の下と、更に大宮側に南下した構図。線増はいつでもできそうである


このまま南下すると、鉄道博物館ですね。
鉄道博物館の高いところから見下ろすとよくわかりますが、その広い敷地は川越線を包むようにして埼京線の地下ホームに潜っていきます。



▲鉄道博物館付近。この辺でも広い敷地が目立つが、全て線増の計画用地である


地下へのボックスを見ると、しっかりと躯体が4線分設けられているのが分かります。
川越線向けと高崎線向けの上下計4線が出てくる筈だった名残です。
現在はその計画を伝える遺構となってしまっていますね。



▲川越線の大宮駅地下ホームへの入口。4本の線路が設置できるよう設計されていた


と言う訳で、大宮から宮原まで見てきた訳ですが、この様なまだまだ手を加えれば線路が敷けそうな雰囲気から、大宮以北への路線の延伸案も出てきているなど、未だに小さく燻っているのも事実です。
しかしながら、見てきたように新しい住宅・跨線橋など、本来建ててはいけない場所に平気で建設をしているのもまた事実です。
つまりは、もうする気が無い中で、かすかな光が政治のネタになっているというのが現状なのでしょう。


国鉄時代には高度経済成長と人口の爆発的増加の中、あれやこれやとインフラを建てまくって、それでも電車など公共機関は乗れればラッキーレベルだったことでしょう。
それが今や量より質の時代、このようなピーク時の計画は消え去っていく時代です。


鉄道博物館の目の前に残る計画用地だけに、博物館の窓際に往年描かれた5方面作戦と壮大な計画の一部の残党が、ここにあるよとでも記してあげれば、当時奔走した国鉄マン達の鼻も高く残ることでしょう。



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前回の記事の続きです。
現在、複々線化計画用地は、一部宅地に転用されたりしているといいますが、どのような状態なのでしょうか。

早速、宮原駅から進んでみましょう。


宮原駅は、島式ホーム2面4線を有す駅です。元々は信号場でした。
高崎方面から駅構内を見てみると、少し広い感じはしますが、退避線を持つ一般的な駅ですね。



▲宮原駅構内を高崎方面より望む


ここからが複々線化計画用地が現れる区間です。
宮原駅の隣の踏切付近で、すぐに4本の線路は2本に纏められます。
その東側(下写真左側)に空き地が広がっているのが分かりますが、その敷地が例の計画用地です。


▲宮原駅より大宮方面を望む。左側に広がる空間が複々線化計画用地だ


計画があった30年以上前に当時の国鉄が取得した敷地でしょうが、その頃はまだこれほど大きなマンションに囲まれることなど想像もしていなかったでしょう。
フェンスはしっかりと4線分の幅を確保していますね。


▲古めのフェンスと空き地がなんとも哀愁漂う宮原駅南側付近


線路沿いに南下しましょう。
空き地はすぐに2本の線路側に幅を狭め、駐車場が現れます。
高架下の有効活用じゃないですが、現在は駐車場として利活用が図られているようですね。


▲砂利敷きの駐車場となっている計画用地

車の大きさが5mくらいですから、幅にして10mくらいでしょうか。
駐車車の先端から線路側が取得した敷地でしょう。

上写真から振り返って、北(高崎方面)を見ると、こんな感じです。


▲宮原駅方面を望む


当時の航空写真なども見ながら比較すると、1970年代まではまだまだ線路沿いには家々が並んでいたようですが、1980年代になると、相当数が立退きとなったようで、90年にはほぼ現在の姿になっています。
埼京線の開業が1985年ですから、開業時の高崎線直通は間に合わなかったものの、その後も用地取得計画が進んでいた事が伺えますね。

その線路沿いの駐車場ですが、あちらこちらに看板が。


▲JR東日本の所有地である事を示す看板

駐車場の看板も多数設置されており、事実上遊休地となってしまっている敷地を有効活用しようと、積極的な営業展開をしていました。
(といっても、あくまで線路が敷かれる予定地なので、こういう利活用しかないのが現状でしょう)


▲多数の看板が並び営業を行っている


社名が消されたり、と何やら見苦しい箇所が多い看板類ですが、こちらの管理は紆余曲折の末に現在「株式会社ジェイアール東日本高架サービス」が行っているようです。
月極で7500円~とのことですので、借りたい方は是非。
あぁ、これから見る哀愁ある姿に感動された方は募金と銘打って空き区画の契約をされてもいいと思いますよ(笑)

さて、少し進むと変電所が見えてきました。
宮原開閉所です。


▲道路の曲がり角で駐車場が終わり、開閉所が見えてくる


まずここで、計画用地の無念を見ることになります。
宮原開閉所も線路沿いにありますが、複々線分は考慮しているように見えました、がしかし何やら平屋の施設が新設されており、そこがどうやっても計画用地上に建っています。

少し南下し大宮寄りから見てみたのが下写真です。
白いプレハブの平屋がフェンス越しに見えますね。建物を撤去しないと線増できませんし、新しい建物ですのでそもそもする気が無いのは明白です。


▲開閉所の施設が計画用地に鎮座する


さらに進むと、今度は少し開けてきて、暫く線路沿いの道路が続きます。
が、しかし、ここで再度夢潰えた哀れな姿を見る事になるのでした。


▲線路沿いに駐車場が続く。比較的新しい家々だ


あっ、計画用地上に家が建っています。。
しかも新しいです。

この付近は90年の時点でも草木が青々としており、旧来の区画が残っていましたので用地取得できていなかったのでしょうか。
何れにせよ、家主の方が知ってか知らずか、計画用地ラインの直上に家が建っていますので、撤去しなければ複々線は建設できません。


▲駐車場以外に様々な構造物な並ぶようになってきた

都市計画のマニアからすれば、高度経済成長を過ぎ、爆発的な通勤人口に耐えうるために計画された路線上に家を建てて住めるなんぞ、移転の悲しみも含めて人生で一度体験できるかくらい感極まる瞬間を味わえる訳で 「私も建てます」なんて需要がありそうですが、このご時世、もうそんな夢も味わえないような土地になってしまったのでしょうか。

その住宅の目の前には、これまた立派な跨線橋が設置されていました。
日進付近の土地区画整理事業で建てられたであろうこの跨線橋、階段部分が堂々と計画用地上に建っています。。
しかも、幅もさることながら、勿論現代のお決まりでバリアフリー対応ですので、しっかりエレベーターも付いています。
これを見てもお分かりでしょうが、もうこの路線計画は完成する方向でない事は明白です。



▲高崎線に架けられた立派な跨線橋。最近新設されたようで、この計画用地の今後の方向性が分かるようだ


そんなこんなで、大宮駅方面へと向かいます。
長くなりますので、続きはまた次回としましょう。


ところで、上尾市・さいたま市の合併協議の際の交渉条件に京浜東北線の上尾駅延伸があった話がありましたが、こちらの記事で挙げたように未だに計画達成に向けて政治活動をされている方もいらっしゃいます。
恐らくこの通勤別線用地を使えば延伸できるようなイメージでいる様ですが、上記現状を見て言っているのでしょうか。
まあ、建設費に比べれば撤去・移設費用など大した比率ではないのでしょうが、今回私が見た風景を毎日見ている地元の方にとっては、逆に叶わぬ夢を叫んでいるようにしか見えなくなってしまいそうで。


<参考>
・株式会社ジェイアール東日本高架サービス : 公式サイト



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関東土木保安協会です。
今年初記事ですね。


違算幻影シリーズでございます。
今回のネタはどんな岐路に立った末での結末なのでしょう。
高度経済成長とベッドタウンでの人口急増、そして公害問題が絡んだ上での結果なのでしょうか。
まだまだ北風が吹き下ろすさいたま市から覗いてみましょう。


~~~~~~~~


東北新幹線の大宮駅以南における建設工事の紆余曲折は、「#359 【WUG】神の下には超高速 ~赤羽八幡神社と赤羽台トンネル~ 」においても触れました。
当初は大宮以南の埼玉県内区間については、都内から荒川を渡った後はほとんどの区間が地下での計画をされていましたが、全線高架で建設という変更案が発表された1973年には、現在のルートで固まっていたといいます。
高架案は、公害問題に敏感であった当時の地元住民を始めとする反対派のアンテナに触れ、これ以降新幹線建設反対運動が県内の建設予定地周辺で大規模に展開される事になります。



▲高架化された赤羽駅付近。左に写っているのは京浜東北線の列車。右側に写るのは東北新幹線と埼京線


当時の国鉄も、停車駅以外では騒音を撒き散らすだけの存在である新幹線建設について、代替案ではなく補償案で攻めてきます。その一つが通勤別線の建設です。
・・・と通勤別線の前に、平行する東北本線の惨状を振り返ってみましょう。

▲埼京線脇を走行する東北新幹線。新幹線なしには今の埼京線の姿は無かった


当時の国鉄は、通勤5方面作戦と銘打って、都心からの主要5方面の路線に大規模な複々線化計画を進めていました。北へは東北本線がその対象となっていました。
東北本線は、当時の赤羽~大宮間では複々線の構造で、京浜東北線と旅客・貨物併用の複線の運用でした。
この区間は高崎線からの列車も直通してくるほか、当時は東北新幹線も武蔵野線も開業前で、長距離の優等列車や都心を縦断する貨物列車が全て東北本線・東北貨物線を経由していた筈ですので、相当カツカツな厳しい運用であったと推測できます。
このため、中距離列車を増発しようにも優等列車と貨物列車の最低運行分を考慮するほかないため、ボトルネックになっていました。


▲西川口付近の3複線区間を貨物列車が通過する。同区間は多くが高架化されておらず、踏切解消対策では跨線橋が多数設置されている


この状態を解決すべく1968年の10月1日、かの「ヨンサントオ」改正に合わせて複線を増設、3複線での運用を開始したのです。
3複線では貨物線、旅客線、電車線(京浜東北線)への分離が図られ、貨物線では赤羽と大宮に停車可能な構造となりました(後の旅客線化を考慮したのでしょう)。大宮駅北側の立体交差完成と合わせて、混雑緩和と運行面での改善に大きく寄与することになりました。


▲東北新幹線と平行する埼京線。赤羽から大宮までのほとんどは横並びの高架線で建設されている


しかしながら、これだけの改善を行いながらも、それに対応できないほどにベッドタウンの人口と輸送人員は増大し続けたのです。
1973年には、上尾駅にて国鉄労組のストを起因とした列車運休から暴動が発生、「上尾事件」として後世に語り継がれる大惨事となります。特に中山道沿いに都市が発展している高崎線では、混雑率が酷かったのでしょう。
1977年の大宮~赤羽間の中距離電車のラッシュ時の乗車率は256%という記録があり、慢性的に続く劣悪な通勤に、埼玉県も都内へ繋がる別路線を建設したいと思ってやまない、そんな状況であったのです。


▲少し前まで「通勤別線」こと埼京線の顔であった205系。同線は山手線から都落ちした103系が多用されていたが、早々の新車投入となった


ここまで話した所で、通勤別線の概要です。同線は大宮~赤羽間を東北新幹線に平行した全線高架で計画されました。5方面作戦で離れた場所に線増した他線同様、あくまで書類上は東北本線としての線増扱いとなっています。
前述の状況から、都内直通の新線を国鉄自ら計画してくれるとは、埼玉県としては願ったり叶ったりだったと思われます。
赤羽からは赤羽線への接続が考慮され、大宮以北では高崎線への接続と川越線への接続が考慮される事となりました。
赤羽では直通先の赤羽線に合わせて複線がそのまま接続したのですが、大宮以北については、2路線からの直通に対応し、4線分の準備工事とされ、その直通先の高崎線は宮原までが複々線として計画されました。

このような計画で認可申請までしたものの、現在まで高崎線との直通計画は未だ至らず、川越線との直通となって現在に至るのは皆様ご存知の通りですね。
恐らく、高崎線で運用されている最大15両編成の列車が、直通先の赤羽線区間の駅では対応できないこと、通勤別線の車両基地を武蔵浦和付近の工場跡地に建設予定だった目論見が崩れ、川越線に設置されたことなども関係していると推測できます。
結果、中距離電車における混雑対策は、東北貨物線を用いた旅客輸送と、それが発展した湘南新宿ラインの運行開始というように発展していきました。
埼京線側でも、高崎線との直通を見越して、15両編成分のホーム用地を確保していたりするのでこちらも面白いところなのですが、今回フォーカスを当てるのは、高崎線での複々線用の敷地です。


ここまで説明したのであれば、さっさとその写真を見せろとの話なのですが、一回切りましょうかね。
ではでは。



<参考>

・東京の鉄道ネットワークはこうつくられた : 交通新聞社出版  髙松良晴

・国際交通安全学会 学会誌 Vol.12 : 大都市通勤交通の課題 通勤交通の現状

・早稲田大学鉄道研究会 SWITCHER 202号 : 大都市圏通勤輸送



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皆さん、今年一年は如何だったでしょうか?
関東土木保安協会です。





交通インフラというと、通常は経路選定上で最も建設しやすく、かつコストが安い案で検討されますよね。
その経路上に邪魔な何かがあれば、無くせばいいだけです。
それが、できないとすればどうするか。
地下を進むか、高架を進むか、迂回するか。

これは、とある公共インフラと公共交通機関が何気ない街並みで30年以上前から見せている「妥協案」の結果です。


~~~~~~~


大宮駅から北に向かて、「埼玉新都市交通伊奈線」という鉄道路線が伸びています。
これは通称「ニューシャトル」と呼ばれ、新交通システム(AGT:オートメイティッド ガイドウェイ トランジット)の一種です。

東北・上越新幹線建設に当たっては、埼玉県南部を中心とした建設予定地近隣の住民らから「騒音・振動」などの発生源となることが危惧され、反対運動が多数発生しました。
現在は報じられることもなく、閉じられた歴史の一ページですが、相当大きな問題となりました。
しかし、現在の埼京線がルーツとする通勤新線計画などにみられるように(こちらは厳密には当初より計画がありましたが)、建設に対する補償案を提示することで、なんとか現在の新函館開通を迎えられるまでに至っています。

ニューシャトルはその補償案として埼玉県が提示した1案で、埼玉県伊奈町へ向かって上越新幹線沿いに鉄道を建設し、 沿線住民への補償・見返りとするものです。
当時は沿線もまだそれほど発達しておらず、AGTの導入となりました。



▲ニューシャトルが併設されている東北・上越新幹線の高架橋


さて、ようやく前置きが終了です。
以上を頭の片隅に入れて現地を見てみましょう。


ここはニューシャトルの鉄道博物館駅(大成駅)をさらに加茂宮駅方面へ北上した所です。
ニューシャトルの上り線(新幹線東側)を進んで行くと、何やら目の前にビルが立ちはだかっています。
NTT東日本の東大成ビルです。



▲側道の真正面に位置するNTT東日本東大成ビル


東大成ビルがあることで、明らかにニューシャトルの高架橋に触れてしまいそうですが、新幹線の高架橋は曲がっている気配がありません。どういうことでしょう。

近くに行ってみると、なんとまあ新幹線の高架橋の下に潜り込んでいるではないですか。



▲東大成ビルと高架橋。異常に接近している


取材中もニューシャトルは次々やって来ますが、その短い可愛らしい姿をクネクネと曲げつつ通過していきます。
何ともまあ窮屈そうな。



▲ニューシャトルがビル脇を通過する


面白いのでその高架下に潜ってみましょうか。
おおっ、これは美しい、意外や意外迫力もありますよぉ!



▲新幹線・ニューシャトル・NTTビルの苦しい共演


計画された方々は頭を痛めたことでしょうが、今ここに私が、そしてこれを見ている一部の方も「おおっ」と感動している筈ですよぉ!
なんですかこの圧迫感、そして華奢なニューシャトルの高架橋が魅せてくれる意外なほどの重厚感は!



▲直線同士の交わりに、ニューシャトルの妥協の曲線が入る


それにしてもなぜこんなことになってしまった、ということなのですが。
それもこれも、旧電電公社であった東大成ビルと新幹線の高架橋との間隔を無駄なくギリギリで造ってしまった事と、後出しのニューシャトル計画が出てきてしまった事が重なってしまったからなのです。

そもそも一番最初はどいつだ、という話なのですが、これは勿論東大成ビルです。
こちらを航空写真で追って見ると、1964年~1967年の写真間で建設がなされているようですので、この頃に建てられたと考えられます。
当時は脇の国道17号も沿道には空き地が多数広がっており、バイパス線臭さがかなりあるような状況だったようですね。

それにしても旧電電公社ビルってのは、この頃からこのような数階建てのコンクリートビルを日本全国に建てていったのですから、国鉄も同じようなことやってますが昭和時代のもの凄い投資です。立派な遺産ですなぁ。



▲高架橋の下によく収まったものである


そんな中次にできるのが新幹線の計画です。
基本計画ができたのが70年代初頭ですから、この頃にはだいたいどの辺りを通すかってのは目星がついていたのかと思います。
その中で国道17号の脇に新幹線が建てられると計画されていたのでしょう。

最後に出てくるのがニューシャトルです。
これが補償案が出されたのと同じ頃かすぐ後に計画されたのだとすれば、70年代後半です。
ここで初めて、当初の新幹線のみではクリアできていた筈の東大成ビルが、新幹線の高架脇を走るニューシャトルにとってネックになると明らかになったのだと思われます。



▲橋脚に擦る車が多いのか、お手製のガードが付けられている


それにしても、このような場合は通常はインフラ施設とは無縁の地を進むのですが、当初計画ではクリアできたものを追加計画で引っかかったものであればなおさらどいてとは言えません。
(当時は国有資産で電電公社ですし、JRも国鉄ですし)

結果的にクリアできているのがめでたしというか凄いというか、新幹線の高架橋って高すぎというか。
だって、下写真のビル北側の高架橋下を見ても分かるように、最低高4.0mをクリアしているんですよ。
国道だって道路交通法基準の3.8mギリの所がいくつも残っている中、ですよ。



▲ガード下は意外にも窮屈ではない


ただ、上の方の高架橋下写真を見て頂いてもわかるように、国道17号が高崎線のオーバーパスをしているのはあって国道に向かっては若干上っているようです。
かつこの高架橋下でも多少は掘っているのかな、と感じる部分はあります。

それにしてもビルと高架橋は接近しています。
2階3階の方々は昼飯時におかずが何かまで乗客に当てられますよこれ(笑)


▲ビルの直線に高架橋の曲線が優しく触れあって・・・触れてない


電電公社の電話局が持つ直線を基調とした合理的かつ武骨、冷淡なデザインに、新幹線の高架橋が持つ圧迫感が相まって、なんとも無機質で恐ろしい空間になっている訳ですが、このニューシャトルの曲線を見てくださいな。
社会の軋轢に悶えて生まれた子供が妥協を強いられクネクネと曲線を描いた結果、その無機質な空間に優しさが生まれているようですよ!
(いい加減褒めすぎでしょうか)


さて、感動した所で少し離れて見てみると、おやおや制限速度標識ですよ。
ここはこのカーブのせいで30km/hの制限がかかっているようですね。
このせいか若干上りと下りで駅間所要時間が異なるそうです。



▲同区間直前に存在する30km/hの速度制限標識


例えばこれが学校であったりすれば、どいて、となったかもわからないですが(あくまで費用面を加味してどうなるかですが)、電話局のビルでは地下までライフラインが収容されている可能性が高いため、移設は相当難しくなるのでしょう。
また、当時は民営化していない国有資産同士ですから、簡単には話が進まなそうですし。


苦肉の策となっても結果的に問題なく建てられているニューシャトルのこの区間。
計画の変更に対して、如何に通すか。頭を捻られた当時の設計陣の方々と一度お話してみたいものです。




と言う訳で、ニューシャトルは、東大成様の言いなりに御成りになったそうな。
めでたしめでたし。



<参考>

・NTT東日本 : 持ち込み修理サービスセンタ


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皆さんこんにちは。関東土木保安協会です。







唐突ですが、ここ最近の世間のアングラマニアトレンドと言えば、何でしょうか。
私は秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁様が宮内庁の文化祭に信号機模型を出品したニュースをプッシュしますよ。

→記事:読売新聞

悠仁様ですが、何と幼い頃から信号機に注目し始め、この度発泡スチロールなどで実物と同様に点灯可能な信号機を造られたそうです!
好きすぎて自分で作ってしまう、これぞファン→マニア→オタクの進化過程であるあるなヤツですね。

30代~の方で少し信号機をご存知の方なら分かると思いますが、モデルが角型灯器ではないかとされている点が凄いのです。
ランプの色彩、また全体的な角ばり、そして何といっても矢じりの様に尖った矢印の形状はまさにそれと言って間違いありません。
また、脇に記載している交差点名も、現在は現存しない、もしくは当時から無くとも過去に呼ばれていた地名を模しているとのことです。



▲角型灯器の一例。2010年頃 都内にて


少し前までは都内などでも更新が追い付かず、大量の角型灯器が見られたものですが、現在では絶滅危惧種と言っても過言ではなく、LED型灯器の値下がりなどに伴い急速に数を減らしています。

これだけマニアックな悠仁様、なんと実物を交差点に行き取材されているそうです!
(角型灯器かはわかりませんが)

どうしても土木施設などニッチな物を追いかける側は、一般市民から警察官まで不審な目で見られる事が多いですが、「不審です」の無言の問い掛けには温かく「皇族の方も行っていますよ」と返答できる、ダイバーシティの社会情勢もびっくりの豊かな未来が待っている筈ですよ(笑)






さて、今日も送電線を紹介しましょうか。
宮原付近の高崎線線増準備用地の取材をしていたところで、何やら美しい四角鉄塔を発見しました。
三橋線といい、下段に井戸木線を併架しています。



▲夕焼けに染まる三橋線5号鉄塔


鉄塔も街並みも新しいと思ったのですが、調べてみると平成21年に「日進東土地区画整理事業」が竣工していたためでした。

上写真右側のビルが、カルソニックカンセイの本社・研究拠点で、この区画整理の主要ビルの一つです。
カルソニックカンセイといえば、青いスカイラインがレースを馳せたことで有名ですね。主に車の部品を手掛けているメーカーです。



▲三橋線5号鉄塔。井戸木線がカルソニックへの引き下ろしをしている


この土地は以前も工場だったようですが、住宅地化に伴いカルソニックは本社機能と研究機能に整理され建てなおし、周囲は住宅地へと変貌しました。

三橋線はこの影響で鉄塔建替えを余儀なくされ、5号と7号が2007年に建替えされたようです。
双方とも鋼管を用いてスタイリッシュに建てられており、街づくりガイドラインの景観規制の影響か、白を基調とした塗装がなされています。
白はクリームがかった色合いで、柔らかさと清潔さを持っていますね。



▲三橋線5号鉄塔。鋼材の組み上げ方がすっきりとしている


シングルワーレン結構と水平材との組み合わせといいましょうか、各鋼管は斜めに互い違いに組まれているのみで、この規模のアングル材の鉄塔でよくみられるブライヒ結構などとは遥かに少ない点数で組み上げています。
このような立地条件では、鋼管柱による環境調和(MC)鉄塔などでも用いるのかとも思いますが、太めの柱がかえって視覚的に目立つのか、費用的な制約かは分かりませんが、四角鉄塔で建てられています。

ですが、先に言った塗装面の配慮なども相まって、全然武骨さを感じさせない鉄塔達だと思います。
お洒落に硝子碍子でも用いて欲しいところですね。


▲三橋線7号から若番側を望む


三橋線5号の脇には7号がありますが、6号はどうしたのでしょう。
航空写真でも追ってみましたが、恐らく昔の工場が立ち並んでいた時代には、工場を避けるべく直角な電線路の形成が一部あったようで、その解消時に1基不要になったのだとみられます。

で、この7号鉄塔が、綺麗なんですよ。

脇に「イスタ!日進」という商業施設があるんですが、その照明が綺麗に鉄塔を照らすのなんの。
思わずバルブ撮影をしてみました。



▲闇夜に照らし出される三橋線7号鉄塔


竣工2007年2月、高さ45m、三橋線7号鉄塔。
嗚呼、美しい・・・


このような景観への配慮があってこそ、ライトアップが近くであっても違和感なく溶け込めるのだと思います。
鋼要素剥き出しの銀色ではこうはならないですからね。




そんな三橋線。
平成の現代に溶け込む住宅街の送電線なのでした。


本日用いた写真はこちら




<参考>

・さいたま市 : 日進駅周辺のまちづくり

・カルソニックカンセイ株式会社 : 本社移転と研究開発センター設立について

・日進町ネット : あの場所は、今・・・ 2009年5月





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