ニュースで取り上げられていた、
こちらのアンケート。

ダウン症のある人「幸せに思う」90%以上


ニュースサイトにも掲載されていたし、
Facebookで繋がっているお友達
(ダウン症児のお母さんお父さん達)が、
多くみんながシェアされていたので、

中身は読んでなかったのだけど、
このタイトルを見て、
うんうん、そうだよね。納得(*^^*)
と思って微笑ましく眺めていた。




そんな幾つものタイムラインが流れる中、
昨年、広島からお招きし、
埼玉で講演をして頂いた、
森浩昭さんの投稿が、ふと目に止まった。
(企画した講演会の記事)








(森浩昭さんの投稿より)


ダウン症の方の90%が
今の生活が幸せだと感じている。

では、健常者の方の何%が
幸せと感じているのでしょう?


障害者の方が90%の方が
働いていて幸せだと感じている。

健常者の方で何%の方が
幸せだと思って働いていますか?

(※引用ここまで)







この投げかけが、
非常に考えさせられた。




自信を持って、
「幸せ」って言える人は、
きっと、少ないんじゃないかな?





うちのモコ(ダウン症、最重度知的障害)、
毎日めちゃくちゃ楽しそうです。
全身全霊使って、遊びに夢中です。

もしアンケートに答えられるとしたら、
満面の笑みで、答えるだろう。






後で読んだこの記事は
出生前診断について触れていたけど、

私はこの森さんの投稿を受けて、
最近の残酷な事件や悲しい出来事に
ついて、想いを馳せた。





障害者を見て「不幸だ」と思う人は、
自分の中の満たされてない気持ちが、


そのまま鏡として
写し出されているのだと思う。






「あいつらは不幸だ。」

と投げた相手が、
どうやら幸せだった。


え?幸せだったの?
そんなはずないだろ?
俺(私)より不幸なはずだろ?



「自分より不幸なはずだ」と
思っていた対象は、
自分が勝手にそう思っていただけで、
実は、「幸せだった」。







「不幸だ」と
相手に送ったはずの荷物を、
相手が受け取らなかったら。


受け取られなかった荷物は、
自分に戻ってくる。





荷物も言葉も同じ。



「不幸だ」と放った言葉は、
自分に返ってくる。







自分の事を、
「不幸」だと思っている。
と言うこと。






“自分は果たして、
幸せだと思っているだろうか?”


“自分は働くことを、
幸せだと思っているだろうか?”






自分が投げた言葉に、

自分自身を考える

チャンスを与えられたのだ。







幸せか不幸かは、

誰かが決めるものではなく、


自分で感じるもの。