ずっと
病気ばかりしていた母が
亡くなる前に ふと言った言葉がある。
 
 

 
 
久しぶりに体調が良い日で
病室の窓の外には
晴れ晴れとした青空が広がっていて
 
ベットの背を起こして
雑誌をパラパラとめくりながら

ふと独り言のように 
 
 
「お母さんが 
もっと元気だったらね・・・」 
 
 
と。
 
 
そして
次の言葉が出てくるまでの
ほんの一呼吸の間。
 
 
私の頭の中では
幼い頃から見てきた
母のいろんな姿が浮かび上がっていた。
 
 
汽車の旅がしたいと言っていたから
「もっと旅行がしたかった」かな。
 
 
海外に行ったことがないから
「外国に行きたかった」かな。
 
 
プランターで
野菜を作るのが好きだったから
「畑を作りたかった」かな。
 
 
 
たくさんの
母のやりたそうなことが
次々に思い浮かんだけれど
 
母の言葉はどれも違っていたし、
私が想像したものとは 
全く違うものだった。
 
 
 
「お母さんが 
もっと元気だったらね・・・」 
 
 
「お母さん、
もう一人子供を産みたかった」 
 
 
だった。
 
 
 
雷に打たれたような気がした。
 
 
なぜなら
 
娘の目から見ても
母の子育ての日々は
つらいことの方が多いように
思えていた。
 

 
そもそも
母の体で
二人の子供を育てるということは
体力的にも
相当きつかったろうし、


その上
病弱な弟や

度重なる父の転職など

 

目に見えるだけでも
大変なことはいくつもあった。


自分が生きるだけで
精一杯の生活だったはずなのに
 
 
それでも母の願いは
 
「もう一人、産みたかった」 
 
だった。
 
 
 
その頃、
迫りくる母の死を前にして

なんにもしてやれなかったと

毎日
泣いてばかりいた私は
 
 
子育てというものは
そんなにも
素晴らしいものなのか…と
 
 
何もできなくても
生まれてきただけで良かったんだ…と
 
 
その言葉を聞いて

ただ呆然とした。


静かな母の
大地のような大きさと強さが
私の体の中で
鳴り響いたのかも知れない。

 
 
母の日と
母の命日が近いせいか
 
今日のような
五月の青い空を見ると
ふと 私の中で
そんな母の言葉が再生される。
 
 

 
 
あれから
月日は経っているのに
 
いつも
おんなじだけ泣けるのは
なぜだろう。
 
あれから
本当に時は経っているのかな。
 
心の中で生きてるって
こういうことなのかな。
 
 
 
今日は「母の日」
 
生きていても 
死んでいても
 
「お母さん、ありがとう」 

はかわらない。