2分半にかける思い | 金子光希オフィシャルブログ「そらとぶおにいちゃん」Powered by Ameba

2分半にかける思い

皆さん、こんにちは。

今日は、昨日の感想に続きまして「馬の王子様・障害特集」の話です。

先ほど確認しましたら、六分間改め、実質2分半しかなかったのですが・・・w

その裏話をどうぞ。



2005年5月。

僕はフランスの地に立っていた。


大先輩である田中 剛さんと一緒に障害調教・レースを学ぶ目的に加え、障害レース専用のコースであるオートイユ競馬場で行われるG-1「パリ大障害」を見るためだった。


この大障害レースは1874年の設立から現在に至るまで、フランスの障害レースにおいて最も高い権威と賞金を誇るレースであり、障害専門コースがあるくらい障害レースに人気があるフランスにおいて、開幕直前には一種のお祭りのような活気が溢れている。


現に地下鉄の壁にはパリ大障害のポスターがずらっと並び、まるで日本でいうなればダービー直前のような光景に思わず見とれてしまったほどだ。


「日本もこれくらい知名度があって活気があり、楽しんでもらえたら・・・」


そこには、広がる光景に興奮を覚えると共に、あまりの格差に肩を落とす自分がいた。


日本に帰国した後、身近な関係者だけではあるが、競馬会の方々に「ポスターを1枚でもいいから貼っていただけませんか?」

と懇願してきているが、未だに実現はされていない。


自分の非力さ、そしてどの程度の効果を得ているかも分からないCMにだけ力を注ぐ競馬会に、憤りを感じた。


重い腰を上げてくれないならば、自分でやれることをするだけだ。


その一環としてブログを書かせて頂いているわけだが、少なからずとも、障害レースに興味を持った!応援したい!という方がいて下さることが、今日の僕を生かす原動力となってるのは間違いない。


世の中の不景気に煽られ売上が落ちている現在、その中でも知名度が低く売上も若干割引な障害レースは、いつどこでどうなるか分からない。


何かをやろうという姿勢は聞こえが良さげな感じも受けるが、正直これらは、これからの日本における障害レースの為だけでなく自分の為でもある。




話は変わるが、今回一番の功労者であるディレクターさんに、感謝と労いを込めて書かせて頂きたいと思う。


特集が決まった直後から、またこちらで宣伝させて頂いていた時から「ディレクターさん」と呼ばせて頂いていたのだが、本人が謙遜して「実際はADですから・・・」と言っていた。


僕にはよく違いが分からないと共に、この特集に関しては全てを担って下さっていた事実もあることから、敬意を込めてこのまま「ディレクターさん」と呼ばせてもらうことにしたい。


この障害特集。

聞けば、実は2年くらい前に一度発案されてお蔵入りをしたものらしい。


それをディレクターさん自身が興味を持ってくれ、また友人の方など周囲の後押しも受けたこともあり、実現に至った。


その中で、障害レースについて資料を集めている最中、たまたま僕のブログにたどり着いたということ。


そこから実際トレセンに来訪し、障害騎手と話を進めていく段階で僕自身も携わることになり、交流を深めていった。


構想から約半年をかけ、直接やりとりした3か月。


何度メールや対談を繰り広げたことか。


何回ディレクターさんが悩み、折れそうな心を鼓舞し、奮闘してきたか。


編集室の片隅で悔し涙を流し、歯を食い縛って一つの作品として完成させてくれた。


僕は直接ディレクターさんの傍にはいなかったので、聞く限りでの話しか出来ないが、その道に詳しい人が「二時間番組をつくるくらい労力をかけ、また民放のゴールデンという壁が最大の試練だった」と言うくらいだから、その苦労たるや想像がつく。


この2分半には僕の夢と、ディレクターさんの思いが詰まっている。


第一回の放送を終えた後、電話越しにお互いの至らなかった部分を謝罪し合い、そして労い、最後は少し涙声で笑った。


今の自分では、出来ることは限られている。


それでも、昨日の写真で見て頂けたように、今の僕は一人じゃない。

誰かが陰で見守り支えてくれている。


そう信じるだけで、今もこれからも何かが出来るんじゃないか・・・という思いと不思議な力が溢れてくる。


それは、このブログの読者の皆さんもそうだし、僕の事が好きだろうと嫌いだろうと、競馬と馬がそして障害レースが好きな人々がいてくれるだけで、きっと何かが変わると思い、また願わずにはいられない。


長くなってしまいましたが、心から皆さんにありがとうを込めて,今日の日記に記しておきたいと思います。