祖国に五輪の花を咲かせたい!本当のおもてなしの心とは… | 心温まる感動ストーリーを通じて感動を科学する!

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2020年には56年ぶりに東京でオリンピックが開催されます。

2011年に起きた東日本大震災の際、援助協力してくれた多くの国や団体にお礼と復興の姿を見せるため、2013年の決定から急ピッチで準備が進められています。
招致にはたくさんの人が関わって「チームジャパン」として活躍しました。
国・都・各職員、現役選手まで東京でオリンピックを開催するために力を尽くしたと思います。

前回の東京オリンピックは1964年、それまでのオリンピックはヨーロッパかアメリカでしか開催されたことがありませんでした。しかも日本は第二次世界大戦では敗戦国、戦後復興がようやくできてきたところだったため、立候補しても開催地に選ばれる可能性は限りなくゼロに近かったのです。

まだまだ世界に認めてもらえない…と思い込んでいる日本・日本人に誇りを取り戻させたい!と招致に向けて意欲を燃やしている人がいました。当時の内閣総理大臣 岸信介首相です。

首相は、この招致に向けてある夫婦に協力を依頼しました。
そして、依頼を受けた和田夫妻が五輪招致の実現に尽力してくれたからこそ、欧米開催が通例になっていたオリンピックの歴史を変えたのです。

ただ、和田夫妻はロサンゼルスで青果店を営んでいる日系2世のご夫婦です。そこに首相からの一通の手紙が届くところから始まります。
「JOC準備委員になり、中南米諸国の票獲得に力を尽くしてほしい」

終戦後の1948年のロンドンオリンピックに日本は参加を許されませんでした。
翌年の1949年に、日本の競泳チームが全米水泳選手権に参加を希望するも、アメリカではまだ排日主義が残っており、差別用語で呼ばれている現状だったのです。当然、日本選手団のために宿舎を提供してくれるはずもありません。
その時、宿舎がわりに…と自宅を提供してくれたのが和田夫妻でした。

選手たちの活躍により、日本人が表彰台を独占。
アメリカ人たちの日本人を見る目が変わったと言います。
選手たちは和田夫妻に深く感謝をし、和田さんたち日系人は選手たちのおかげで勇気づけられたのでした。

この時から9年後、選手だった古橋さんはJOC招致準備委員となっており、招致の難しさを痛感していました。
この時のオリンピック招致は、アメリカのデトロイドも立候補しており、IOCの中でも欧米票を獲得できるとして有力視されていました。
日本はアジアの各国の票に期待しても到底かないません。
となれば、欧米以外でたくさんの票を獲得できる地域は…準備委員会が出した答えは中南米諸国でした。
古橋さんたちは、スペイン語も話せてアメリカ在住の和田さんに協力を仰ぐことを決定したのです。

和田さんはアメリカに住んでいるだけで中南米に伝手があるわけではありません。
交渉がスムーズにいく保証もどこにもありません。
和田さんが思い出すのは…
戦中戦後、日系人としてアメリカ社会で虐げられたこと
古橋さんたちの活躍で日本人として誇りをもてたこと

しかし、いまだ多くの日本人が日本人としての誇りを持てずにいる
だから、オリンピックを日本で開催して日本人の誇りを取り戻してほしい

和田さんは奥さんと共に険しい交渉の道を歩むことを決めました。

まずはIOCで2票持っているメキシコに向かいました。
知り合いの農村で委員の人や選手を知っているか尋ね歩くところから始まりました。

和田さんは1から種をまき、メキシコの委員を紹介してもらえるところまでたどり着きましたが、メキシコはアメリカから経済援助を受けており日本を応援するのは厳しいと言われたのです。
「焼け野原だった日本にビルが建ち経済的に復興している。けれども日本人としての自信を取り戻せていない。欧米以外で初めてオリンピックを開催することで本当の意味での復興を果たしたい。そしてメキシコの五輪開催にむけて力を貸したい。一緒に夢を叶えましょう!」その言葉を聞いて、和田さんにブラジルの委員宛ての手紙を託しました。
「メキシコは五輪開催地を日本にすることに応援します。共に応援しましょう。」

同じくブラジルは2票持っている国ですが、ブラジルでは「IOCの総会に出席したくても経済的に参加できない。2,000ドルの資金援助をお願いできますか。」と言われました。ブラジルの日系人会に必死の説得をして、2000ドルの寄付を得ることができました。こうしてブラジルの応援もとりつけることができました。

そして、他の中南米諸国もくまなく回り、賛成への同意を得ることに成功したのです。

結局、準備委員からの依頼があり、開催地決定の会議が行われるミュンヘンまで自費で渡航し、最後のお願いと票固めをした結果…

1964年夏季オリンピックの開催地が日本に決定しました。
10月10日、国立競技場で開会式を見守る和田夫妻は嬉しさと共に、本当にがんばった日本・日本人を見て誇らしく感じたそうです。

そして、和田さんは一緒に夢を叶えるためにメキシコに渡り、五輪招致に向けて尽力しました。
1968年夏季オリンピックはメキシコシティーに決定するところまでやり遂げたのです。
メキシコ大統領からは感謝状が贈られました。

「和田さんは任務からではなく、心から五輪開催を望んでいました。それが多くの人を引きつけたに違いありません。」
メキシコの委員の方が言っています。

何もないところに種まきから始めなくてはいけない。必ず祖国に五輪の花を咲かせたい。

和田さんが信念をもって進んだ道には大きな花がたくさん咲いていました。

2020年の東京オリンピックでもたくさんの人の希望の花となることを祈りたいです。

参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/近代オリンピック