神道ってなに?  | みんななかよく

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 gegengaさんの06年2月のエントリーにコメントがつきました。そこでわたしもコメントをつけて、東南アジアの精霊観念と日本の「カミ」観念を並べてみました。


 神道は、日本の国教か


 天皇云々はともかく、わたしなんかは、こういう記述を、そうなのかなあ、どうなのかなあ、と思うんですよ。


 (引用)

、「神道」ってのはあなたが意識していないだけで、ほとんどの日本人の心に存在するもんだと思いますよ。あなたも、初詣に行って一年の健康を神様にお祈りしたり、受験前に学問の神様に合格を祈願してお守りを身につけたりしたことがあるでしょう?神社でもらった御札をためらいなく足で踏みつけたりできませんよね?宗教としての「神道」というと少し身構えてしまいますが、そういう神様への祈りや畏れという感覚さえあれば、神道の信仰があるということになるんです。神道というのは異国の宗教と違って、作法を守らなくとも神に祈り畏れる「心」さえあればそれでいいのです。おそらくあなたにもそういう心があるでしょう。
正月ともなれば、誰から言われることなしに全国の神社は人でごった返します。彼らはほとんど「自分は神道の信者だ」とは思っていないでしょうが、無意識のうちに神道を実践しているのです。心外かもしれませんが、神に健康を祈る心さえあれば、立派な神道の信者です。ほとんどの日本人には無意識のうちに神道が根付いています。

 (まで)


 どうなんだろうなあ。ありがちな日本人論なんだけど、こういう光景をどう見るのかとも思う。


 お寺なんかに体に触れさせると悪いところが治るよっていわれている煙もくもくなやつ、あるでしょ。常香炉というんですが、浅草寺なんかで外国人観光客が、日本人と同じように、煙を頭や肩やらにつけていたりします。あの人たち、仏教徒ということはないんじゃないかな。

 中国や韓国からきた観光団の人なんかが、日本のお寺や神社で、拝んだりすることもあるんじゃない?

 おみくじ引いたりしている。まあレジャーなんでしょうけど。

 厳格な一神教の熱心な信者じゃない外国人、さりとてそんなに無神論の信念も持っていない人って多いんじゃないかしら。ヨーロッパやアメリカにもアジアにも。

 そうした人が日本にきて、神社やお寺にいって、そんなに強く信じていなくても、まあ皆がしてるし、お祈りしたって、よそ者だとかえって罰が当たる、なんてこともないよね、ぐらいの感じで、お参りすると、神道の心があるってことかな。なんか世界中に神道の心を持った人は多そうな気がするよ。


 わたし、海外旅行に行ったことないんですけど、東南アジアなんかの寺院などがあったら、拝礼して健康や開運を祈る日本人っていそうだよね。それも神道の素地があるから他の宗教施設でも抵抗なく祈れるのかもしれない。でも、他の国の人でも、東南アジアの寺院や日本の神社・仏閣でで、若い女の子なら、「恋人、見つかりますように、なむなむ」とか、年配の人なら「関節の痛いのが治りますように」なんて願掛けしてないものでもないんじゃないかな。そういう人、みんな神道の心があるのかな。


 gegengaさんが、


 >仏教徒とかキリスト教徒とかイスラム教徒とかヒンズー教徒とか、その他もろもろの原始宗教を信じる人たちとかは、神に健康を祈らないわけですね?


 とコメントを返したら、その「通りすがり」HNの人、「こちらこそ、つたないコメントにお返事をくださり、ありがとうございます。」と礼儀正しく挨拶するんだけど、それには答えないで、

 >おそらく、神道を他の信仰と一緒くたにして「宗教」というカテゴリーに押し込んでしまっていることが、混乱を招いているのかもしれません。


 と自分の議論を進めていく。

 ヨーロッパ由来の概念で、いろいろなものを割り切っても分析しきれないということは確かにあるんでしょう。

 でも、この手の議論は、えてして日本特殊論にいくよ。この場合は、「神道」というのがユニークだ、ということなんだけど。

 そこであんまり考えないみたい。じゃあヒンドゥー教は、ヨーロッパの一神教を中心にした観念のなかでどうなのか、とか、日本の新興宗教は、「religion」にあたるのか。神道系の新興宗教も多いんだけど、その辺どうか、とか。

 


 >神道というのは異国の宗教と違って、作法を守らなくとも神に祈り畏れる「心」さえあればそれでいいのです。おそらくあなたにもそういう心があるでしょう。

 というと、非常に融通無碍で融和的で、一般的なもののように思えます。でも、そこに想定されているのは、古来から一貫した「日本」であり「日本人」であり、「神道」のようです。

 こういう発言者の意見では、古来、一貫して「神道」が一体的に一つの体系で、そしてそれは天皇を権威としていた、という命題というかテーゼというか前提は揺るがないのではないかなあ。


 かなり限定された、神道とはこれだ、という「定義」を前提としているんじゃない? わたしなどは、神道に疎いけど、「出雲系の神様は、伊勢神宮系の天皇さんとは、一応、別なのかなあ。神様の系統って色々あるみたいだね」と、神道も時代や神社でけっこう多様でないの? と思うのですが、日本は「天皇を中心とした神の国」と思っている人は、「神道はこういうもの」ってくっきりすっきり限定したがるように思う。


 そういう人は、アメリカ人やインド人が神社にお参りしたら、喜ぶのでしょうか。神道は宗教の範疇ではないぐらいに、「神に健康を祈る心さえあれば、立派な神道の信者」というぐらい普遍的なものですから、神道は世界の心、人類全ての心ってキャッチフレーズを作るぐらい日本という国の限定を外して考えることってないのかなあ。


 最初に、日本特殊を前提として、それで神道の普遍的な心性を強調すると、外国人は日本人とは全く別で、しかも外国人のほうが普遍から外れている、ということにならないかしら。


 gegengaさんの、「……は、神に健康を祈らないわけですね?」というのを、ただの議論のための揚げ足取りと思うと、問題点を見落とすと思う。単純にあっさりいうと、「日本特殊を言い募ることでの、他者性への感性の喪失」ってことかな。ちょいと大問題だと思いません?