おちゃっぴい・ぽれみーく | みんななかよく

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4月1日は母方の曾祖母の命日。よく祖母に連れられて祖母の実家のお墓に墓参りに行きました。山谷にあるお寺です。

 帰りに何か食べさせてもらう。外出して何も食べないで帰るのでは、「いぬかわじゃあねえ」ということです。「いぬかわ」というのは、「犬の川端歩き」の略で、本来はあてもなくうろうろすることかな。何しろ祖母や母は、そういう使い方をしていました。東京は昔から外食産業があったのでしょう。地方なら「お弁当持ち」になるところでも、どこかで食べられる。


 行く時は、たいがい浅草から都バスに乗る。帰りは浅草に戻って、そのあたりで昼食にするか、少し動いて都心に行くかです。

 祖母の幼少期に、明治の中ごろから後期ぐらいですが、浅草に「うじのさと」というそんなに高級ではない入れごみの料理屋があって、そこに連れていってもらって、卵焼きをとってもらうのが楽しみということでした。 


 わたしは何を食べさせてもらったっけな。デパートの食堂だったのか、あまり思い出がありません。

 てんぷらでは昔から大黒屋という店が名題で、ごま油を使って色の濃いてんぷらを食べさせると、祖母から聞いていました。一遍ぐらいは行ったと思う。


 祖母の家は浅草橋のあたりだったらしい。祖母の祖母がお屋敷(大名家の屋敷に女中奉公するのが昔の教育代わりだったみたい)に奉公にいっていたというから、そんなに貧しい家ではなかったようですが、その後、零落した。

 

 祖母が育つ時、家にはおばさんが三人いたといいます。祖母は一人っ子で、大人ばかりの家で育った。おばさんは所帯をもった人も、独り身で通した人もいたようです。

祖母の母親が家付きで、祖母の父親が婿に来たのかな。まあ、しかしわたしの尊属の人別なんぞは世間の興味とするところではありませんから、話は先に進みます。


 芯は強いけどおとなしい曾祖母に比べて、おばさんにはちゃかちゃかした人もいたらしい。ある時、祖母が近所に住むあるおかみさんに挨拶していたら、おばさんの一人が「ああいう人と口をきいてはいけないよ」と言った。

 そのおかみさんというのは色白のきれいな人で、会えば丁寧に挨拶をする。きちんとした人なんだよと祖母は語る。でも祖母はそう詳しくは語らなかったけど、皮革の商売かなにかだったようです。明治の頃ですから、まだ世の中では差別の対象ということらしい。ともかく、おばさんは、ああいう人と交際をしてはいけないんだと、差別の伝承をしようとした。

 それを聞いた祖母は、どれぐらいの歳だったか今一つはっきりしないけど、こう尋ねたそうです。「それで、そういう人っていうのは、どうして見分けがつくの?」 

 明治時代のおちゃっぴいですから、祖母に人権だの民主的だのという観念はないけど、理屈に合わない話だと思ったのでしょう。

 そうしたら、おばさんは「大人の挙げ足ばかりとって、嫌な子だね」と怒ったそうです。いっぽう大人をやりこめた祖母にとっては「してやったり」の体験ですから、半世紀を超えて孫に語って聞かせた。

 この祖母のエピソードを除いて、わたしは日本の出自差別に関する経験は皆無です。本で読んだこともなかった。中学校三年のとき国語の教師から島崎藤村の「破戒」の話を聞くまで、世の中にそうした差別があるとは知らなかった。祖母のエピソードも一種の職業差別と思っていた。インドにはカースト制度があることは子供向けの本にもありますから、世の中に差別があるということは知っていましたけど。

 

 ネットで、「朝鮮は・・・、Bは・・・」と言っている人は、小学生に「それってなあに?」と聞かれたら、どう答えるのだろうね。