組合活動に熱心な教師 | みんななかよく

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ハムニダ薫さんのところの教育基本法関連のエントリー(12月11日付け)に最近、以下のコメントがつきました。その下にコメントしたら、禁止ワードが含まれているからダメポンという表示がでたので、こちらにエントリーを立てます。いやあ、なかなか典型的というか考えさせる、特徴的なワンパターンコメントです。(なんじゃ、そりゃ)


日教組全盛時代に公教育を受けた世代ですが、正直、教師たちの教育テクニックの不足は目を覆うばかりでした。
皆さん、組合活動ばかりご熱心で。
別に公務員の労働基本権は否定しませんが、職業上のアウトプットをきちんと出せない教師が大半だから、根本がもう狂っているのです。
自分の生徒が全員100点取れるぐらいに担当科目を指導できるのが、本当の教師の職務ではないでしょうか


以前、doxさんが、ネットウヨクさんなどの戦争や天皇や日本の伝統に関する語り方がまったく具体的ではないと指摘していて、いたく感心したことがあります。こののコメントも具体的ではない。

日教組全盛時代っていつでしょう。学テ闘争の1962年ごろかな。そのころ中学生とすると1948年ごろの生まれの方かな。団塊世代のうちとすると、長い間、日本経済を牽引してくださってありがとうございました。

まあ70年代ぐらいまで教職員組合活動が盛んだったとして当時高校生でも50代の方だね。


教育テクニックの不足というけど、現代の子供より今は40代、50代の世代のほうが基礎学力はあったんじゃないかなあ。少なくとも国語力に関しては、中学生だって森鴎外、夏目漱石は平気で読んでいたはず。今は「現代語訳」があるという噂だよ。


組合活動にばかり熱心で、というのも、具体的に言わないとイメージがわかない。子供の目に触れる教師の組合活動というのは、私は小中学生の頃に目撃したことがないけど、どんなことを指しているのでしょう。



自分が学生時代にかぶれた(中途半端な)左翼思想を子供に吹き込こんで自己満足にひたる姿は犯罪的でした。
思想は大人になってから自分で選択すればいいこと。
誤った平等主義や競争回避を教えるから、逆に子供がおかしくなる。
いじめが悪いと躾けるのと、競争が悪のように教えるのは別問題。
「人は違って当たり前」と教えないから、いじめが増幅されている面があるし、平等を謳うくせに、自分はいじめのような生徒の個人攻撃を熱心に行う奇特な方も多かった。


左翼思想云々というのも、具体的なエピソードを書いておけば説得力が増すでしょうに、これでは右派メディアの受け売りの範囲を出ていません。

誤った平等主義といいますが、受験戦争というのは戦後から途切れることなく続いています。受験偏差値の高い学校に送り込もうという教師はいくらもいて、それはすべて非組合員。組合所属の教師は受験体制など無視して、平等を説いて受験競争を否定していたという具体例、変わり者の教師でなく、この論者が一般論として語っているような現象が、普通に見られたのでしょうか。

できれば、具体的なエピソードを紹介してほしいものです。

別に学校名や地域をこと細かく書かなくてもエピソードは綴れますから、匿名性を保った上で具体例を示すことは可能なはずです。


わたしは、この論者がためにするデマゴギーだとは思いません。「お前は嘘を言っている」なんて決め付けをするつもりはない。

いじめのような個人攻撃を行う教師は多かった、というような叙述はおそらく体験でもあるのでしょう。でも、それは意地悪な教師がみんな組合活動に熱心な教師だったのか、教師という立場にありがちな頭コンコチ性や世間との感覚のずれなのか。そんなににわかに論証できないじゃない。

教育や教師に感じる不信や不満があったとして、もっと具体的に書かなければ教師の組合活動が諸悪の根源だみたいな議論は、他人に納得される文章ではない。


カルチャースクールの文章講座かなにかにを、このコメントをした方が受講して、このコメントのような文章を書いたとしたら、論旨の是非ではなく、「もっと具体的に書きなさい」と指導されるでしょう。

あんまりいい教育(有名校とかいうのではなく、指導方法がいいという意味)を受けてこなかったというのを、身をもって示しているのかもしれませんが、教職員の組合へのお定まりのこうした批判では、最初から結論の決まっているネットウヨク的人々以外に納得はされないでしょう。


だから法改正大賛成。
もっと真面目に働け、教師ども!


これまでの叙述がいい加減ですから、こういう「一人シュプレヒコール」もあんまり真面目にはとれません。

ハムニダさんも、ほかの方もいっていたと思うけど、だんだん教育が悪くなった、という「事実」あるいは「主張」あるいは「実感」と、日教組などの組織率が落ちてきている「事実」の相関からいうと、日教組が強かったときのほうが教育は悪かったはずなのに? という疑問は、この方には理解すら出来ないのかもしれません。


もう少し、わらおうかな。


自分の生徒が全員100点取れるぐらいに担当科目を指導できるのが、本当の教師の職務ではないでしょうか


って、ないですよ。そんなこと。

現実に成績の悪い生徒はいます。全員が100点を取る指導というのは、どんな子も同じような能力を持っているとでも仮定しないと非現実的な話です。学校の指導が悪くて基礎でつまづいた子も多いでしょうが、ある科目が苦手な子、発達段階の遅い子だっている。やさしい設問じゃなくて100点取れるような指導なんて、誤った平等主義 でしか発想できないんじゃないの? むふふ。

話せばわかる、教えればわかるの啓蒙主義者ではあるわたしも、現在行われているアチーブメンタルな教科教育で成績評価すると、ある設問ではだいたい正規分布になり、それを指導によって全員100点にするなんて無理だろうなと思います。

平等主義を御都合主義で振り回してはいけません。