アンチ左翼プレカリアート層の行動・言説戦略に関する省察 | みんななかよく

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プレカリアート(不安定労働者層、ウィキペディアに記述あり)は、独自のメーデーデモを企画し、それが警備警察に不当介入されるなど、その一部は自覚的政治行動をしている。(資料写真

しかし一部には、そうした運動とは異なる、その主敵を既存政党や労働運動も含む現体制総体と捉え、左派・進歩派への批判と対抗を主要な行動と規定する潮流が存在する。

資料1   資料2


全ての階級的言説は、具体的かつ「臨床的」であらねばならない。

反左翼プレカリアートの言説も、具体的に自己の出身階級の利益を増大させる必要がある。

既存労働運動、左派系言論、野党勢力などへの対抗も、その具体的方法と、それにより獲得される階級的利益を明らかにする必要がある。

また、現実の政治権力を握っている体制派や、多数世論への影響力を等閑にすることは著しく説得力を欠く。


「2チャンネラーは世界に様々にいちゃもんをつけてきた。しかし重要なのは世界を変えることだ」   キッド坊ちゃま


ここではプレカリアート層の不利と不公平を、いかに社会に訴えるか、その具体的な運動論を考える。



まず訴求は衝撃的でなければならない。精緻な理論構築は運動の高揚の中で随伴する文化人層が担えばいいことであり、状況を切り開く言説は、多数者の意識に爪あとを残すものでなければならない。

現在の体制―支配層のみならず大衆も含め―が不安に思い恐怖するものは何か。

テロリズムである。

日本のような管理社会でテロリズムを標榜するのはナンセンスである。またテロリズムが一階級の利益を現実化する方法であった例はない。ただし、世界においては貧困がテロリズムの温床と分析され、グローバリズムによる経済格差拡大が国際テロリズムを惹起しているという意見は広く共有されている。日本の新無産階級、プレカリアートも世界の貧困層と共通の不利と差別に苛まれている現実、それに怒りを蓄積させている現実を社会に突きつけなければならない。


そのために、あらゆる掲示板などで、同時多発テロを容認・賛美する書き込みを断行する、その際に重要なのは、アメリカ帝国主義とかグローバリズムといった左翼や市民運動主義者の用語を使わないことである。

「金持ちが苦しむのは快感だ」 

そうした怨嗟と憎悪を主とした言葉ほど、支配層に不安と恐怖を与えるだろう。


自分達のブログやHPに、六本木ヒルズにジェット機が突入しそうになる合成画像を動画として掲げることは最も効果的である。

突入寸前に画面は変わり、「日頃から軽蔑され差別されたフリーター、アルバイト層は金持ちやビジネスマンが打撃を受けることに快哉を叫ぶだろう」と字幕をつける。

偽善的な非難は殺到するだろうが、それは社会が衝撃を受けた証である。


まったくのところ、日本が多宗教国家で、差別された貧困のイスラム教徒がいれば、テロリストを輩出してもおかしくはない。現実行動としてのテロリズムをプレカリアートが選択する余地は絶無だが、言説としては弱者を抑圧し続ける経済・社会システムへの暴力的反抗に共鳴する感情を表明すること、これを躊躇する必要はない。


普通の一般的犯罪に共感する言説は逆効果だろう。実際には経済的原因の犯罪は増加するだろうが、それを殊更に肯定する言説は、貧困層は犯罪者予備軍といった偏見を助長し、経済格差是正より治安強化を政策として優先させることにつながる。

それに比して抽象的な国際テロリズムへの共感は、底知れぬ不安を社会の上層に与える。


同じく抽象的に戦争待望の言説をあげる方法もある。ただし、支配層は戦争をする国を作るにあたり貧困層を意図的に生み出し、維持していると考えられる。アメリカの状況はまさに、奨学金やグリーンカードを求めて、弱者が兵士になっている。日本でもプレカリアート層が戦争を望むなら、支配層にとっては、安価な兵士の供給源が形成されたとほくそ笑む事態かもしれない。

支配層が望まぬ形での戦争への欲求を表現する工夫が必要である。


プレカリアート層の怒りを表現するにはまだ様々な方法があろうが、具体的な思想潮流を作ることも重要だ。

まず、それは従来の左翼、「革新政党」の言論を否定し、差異化したものでなければならない。

具体的にはヨーロッパのネオナチズムの研究と導入が簡明だ。

ヨーロッパの極右政党は、外国人労働者の排斥などを掲げるが、福祉国家を志向する側面もあり、反グローバリズムである。特に北欧などで顕著なこの政治潮流を、保守、革新ではない第三のオルタナティブな政治思潮として、研究、導入する必要がある。


実際のヨーロッパの極右政党(極右といっても外国人の出入国管理では日本の現状と同程度を主張しているのだが)の政策が、そのままで実現不可能であっても、それは構わない。日本でも格差拡大に伴って、排外的な極右勢力が伸張したという事態が海外に知られれば、支配層にとってのマイナスとなる。

具体的には、高学歴プレカリアートも多数いるのだから、北欧や西欧の「極右政党」の主張を紹介した本を出版したりサイトを立ち上げたりする。要人の招聘も経済的に実現可能なら、アピール効果は大きい。

日本のマスコミは無視するかもしれないが、海外メディアは絶対に報道する。


こうして支配層の秩序の範囲に収まらない貧困層が出現し、それが実質的には体制補完装置となった左翼陣営に組織されない事態こそ、上級階層、支配層、そして社会全体にとって「困ったこと」なのだ。


そして最重要なことは、プレカリアート層が右傾化しても、外国人やその他のマイノリティの排除を求めたとしても、「同じ日本人だから」といった一体感を持つことは、徹底的に否定することだ。

正規雇用の労働者階級とも一体感を拒絶する弱者層が、支配層と一体感を持ついわれはないし、「日本全体」に対しても帰属意識を感じる義理はない。自分より上への社会階層への憎悪をあからさまにし、国としての一体感を拒絶することこそが、最も支配層が忌み嫌うところなのだ。

国家分裂への危機感は、弱者抑圧への政策を変えさせる最大のファクターだ。

「愛国心」といった夕食に上らぬものでなく、あくまで経済的実利の分配でなければ国家統合はできない。基本的にはそれを支配層に理解させることこそが、プレカリアート層の利益となるのである。