民共協力 市民戦線 | みんななかよく

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嗚呼、負け犬の遠吠え日記  さんから「がんばるな日本共産党 」のTBをもらったので、ご挨拶をかねてエントリを立てます。


論点は、先の二つの補欠選挙、そして滋賀県の栗東市長選挙の結果をみて、自民・公明の与党推薦、民主、共産の候補者同士争いとなり、自民がいずれも勝った。共産党の票が民主に上乗せされれば逆転もありえた、というもの。


「遠吠え日記」さん(こんな略しかたでいいかしらん)は言う。

『 日本共産党。
 日本の左翼政党のひとつ。「反新自由主義」「反小泉・反安倍」の急先鋒……のはずなのだが……?
 どうも、この政党が頑張れば頑張るほど、「反小泉・反安倍」勢力は足を引っ張られ、結果的に政権与党が有利になってしまうという珍現象が起きているようだ。
 これには、自他共に認める「反新自由主義」「反小泉・反安倍」の筆者ですら、疑問を抱かざるを得ない。 』


補選では共産党の得票を上乗せしても与党候補に及ばなかったかもしれないが、野党統一候補になればムードも違ってきて無党派層で野党シンパシー系も投票所にいったかもしれないから、この想定はありえる話でしょう。

他にも 共産党は自民党の補完勢力なのか  とか、  あべよしひろ氏への手紙 民主党不支持の革新派の方  などというブログでも野党共闘が論じられていました。

実際上はそうは事が運ばないと思いますが、政党関係者ではない市民サイドから野党の連合戦線を求める声、小選挙区制下での有効な(死票にならないための)投票行動を模索する智恵が出てくることは大事だと思います。


何が何でも小選挙区で一騎打ちなら、共産党は民主党支持に回るべきだとは思えません。一番極端な話では、土屋たかゆき都議が民主党候補で自民党との一騎打ちだったら、私は自民党に投票します。民主党といっても右派は自民党よりタカ派ですから、社民や共産が選挙協力するとしても、政策協定ならずともある程度の政治姿勢の確認は必要だと思います。安保容認、自衛隊海外派兵容認もいいけど、国旗国歌強制のような内面への侵害の容認は絶対だめよ、というようなところで何らか選別が必要と思われます。

それがクリアーされたら、小選挙区や参議院一人区での野党選挙協力は積極的に模索されていいでしょう。民主中心となるのは自然ですが、場合によっては社民党候補中心もありえるはず。かなりありえない仮定ですが、市民無党派層の候補が共産党と協定して、無所属当選後は共産党と院内会派を作って共同行動という協定を結んだら、珍しいから他の野党も協力するなどというのがあってもいい。当選のための野合とか離合集散と考えずに、候補者の属人的政治姿勢に既存政党が政策ベースで協力すると考えれば、有権者への政策提示だって党の公認候補をパックで出されるのより可視的です。よって無党派層にもアピールします。


では、ありますが恐らく既存政党はそこまで踏み切れないでしょう。ここでは共産党はなぜ泡沫に近いような場合まで、あるいは天下分け目の与野党対決区でも、独自候補に固執するのかを考えます。


いわゆ運動圏の周辺をうろうろすることもある私は、共産党系の人にもお付き合いがあります。ただ、しげしげ内実を尋ねたり意見を聞いたりしたことがありませんから、以下のことは憶測です。憶測ですが考えるべき問題を含んでいる仮説だと思ってここに記します。


何故、共産党は独自候補に固執するか。

1、他党候補を応援すると、投票習慣が変わって自党支持の力が弱まる(と指導部が考えている)。

2、末端組織の要請で、自党の候補を擁立する強い圧力がある。

3、他党候補が自党の政策と相容れない場合、組織内のコンフリクトが強い。それを恐れる。


2と3は共産党のソリッドな組織の問題、1は共産党の支持層の問題です。


共産党の候補というのはお医者さん、大学教師、党の職員が多い印象です。調べたわけではありません。共産党系といわれる団体、民主団体というのは幅広いので、そこで人望のありそうな人を探し出すのは簡単なのかもしれません。(どうせ受からないから家族もうるさく反対しないというみもふたもない理由もありそう) 人望のありそうな人が選ばれるので、共産推薦の首長候補などは、話し方も見た目もいい人が多そうです。でも、それだけ「なんか政治に向いてなさそうだなあ」と思わせます。

党の職員というのもあって、こちらは実務能力はあるのでしょうが、知名度もなければ華もない。受からなくても候補者になることを党職員が名誉だと考えているとすれば、そうした層におあづけを食わせて他党候補を推薦するのは、組織のモラール低下を招くと判断しているのかもしれません。お家の事情ですね。

3の問題も、組織がきちんとして内部でいろいろな意見がでる政党ほど、議論が巻き起こるでしょう。そうなると「組織問題」になります。どうせ当選しないとわかっていても独自候補をたててルーチンの仕事、定型の運動をしているほうがいい、とみんなで判断しているのかもしれません。そうなると「組織病」ですね。


外部との関わりでは、投票習慣を守るために独自候補を立て続けるという仮説が重要でしょう。高度成長期は、それなりに「革新勢力」の伸張期でもあり、共産党も支持層を伸ばしました。そのころは戦前生まれが人口の過半数で、それなりの反共宣伝もされていたでしょうから、まず身近なところから候補を立てて、当選にははるかにおよびがつかなくても「共産党候補」の名前を書いてもらって「党勢の拡大」を図るというのが方針だったと思われます。

しかし現在は「反共イデオロギー」というのも時代遅れになりましたが、「革新勢力」というのも衰退してきました。

以前のような党勢拡大の論理でなく、無党派層を(単に投票行動に駆り立てるだけでなく)どれだけ政治的なリベラリズムの影響を与えるかが問われているのだと思います。そうした時に、与党に打撃を与えられるような節目の選挙で、与党批判票を分断するような候補者の擁立がいいのか、いささか疑問です。

候補を立てないで選挙運動をしないというのは、どうもだめなようです。選挙に素人であり支持政党を持たないから選挙運動をしたことがないのですが、組織選挙というのは候補を立てないで自主投票させるとさび付くようです。支持者や知人・友人に投票を頼んで回る運動が途切れると、次からの選挙で頼んだときの歩留まりが落ちるのではないかな。他党の応援にしろ、公明党が力をこめるのは、自分達のパワーを見せるためと同時に組織防衛なんでしょう。

それで、共産党が自主投票にしたら、民主党にいくとは限らないかもしれません。共産党は民商や民医連などの団体が系列なんでしょうけど、末端支持層は公明党を競合しているといいますね。自民党とも重なる。零細商店主で、自民党の地方議員の口利きに頼るか民商に頼るか学会の互助に助けられるかという人は、一度、共産党候補の名前を書かないで自主投票になったら、どこへ行くかわからない、と共産党自身が思っているのではないかなあ。

そう考えると、かなり選挙協定のようなものを事前に準備しないと、共産党が他党の応援に回ることは考えにくい。学会票のように忠誠率が高く上部の指導で投票行動するのではないんじゃないかなあ。まして、自主投票で、自民-民主対決に野党へ票を回すというのは、2大政党の中に埋没するとして、共産党は戦略的に不利と判断するでしょうし、前にも言ったように票が戻ってくる保証がない。


そこで、「たしかな野党が必要です」という、政権交代をどうするかというのが政治の大テーマになっている時代に、「万年野党宣言」みたいなスローガンを出して、人心を離れさせることになります。二大政党による政権交代という十数年前からの「政治改革=選挙制度改革」の議論は、かなりまやかしだと私は思うのですが、そこを解き明かしていくことは丁寧で膨大な議論が必要です。


いわゆる革新勢力伸張期(革新自治体が生まれたりした時代)の、革新系浮動票というのと、今のリベラル系無党派層というのはかなり違うでしょう。民主党に共産党が選挙協力する、あるいは相乗りで地方自治体首長選挙に臨むということはなかなか現実化しません。何らか市民の運動の媒介項がいるのではないかと思います。

現在の課題の一つは、これだけ市民運動などが多様になって、市民も情報発信のできるツールも多くなり、若者がデモをするような雰囲気にもなったのに、そうした運動系の気候と、選挙とその結果による国会の院内構成があまりにもギャップがあることです。これは小選挙区制度のもたらすものでもありますが、市民の政治への不信と軽蔑も大きいと思います。その克服なくして、民主、共産の連携による現在の与党への対抗はありえないでしょう。