ポピュリズムがウヨに寄るのかが試される | みんななかよく

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日本一やる気のないブログの名に恥じないよう、毎日更新など考えてないけど、ちょっと考察。

アベシが大衆的人気が出るとしたら、どういう回路なのかなあ、ということ。

安倍晋三氏(略称アベシ)は、右派的言動で一部ではやたらに嫌われているけど、一般には育ちのよさやなにやで人気があるのだそうです。自民党は「小泉人気」というポピュリズム毒饅頭を食べちゃったから、次も見てくれ人気の出そうな総裁がいいな、というムードがあるのでしょう。(口の曲がった人とか、眼鏡役人とかではねえ、というところ)


でもねえ・・・。

タカ派でも石原慎太郎都知事がなぜ人気があるのか、というのは、都立学校での「日の丸・君が代」強制に反対する集会に出かけるようなわたしにも理解できるというか見当がつく。

ズバッと本音を言うから、もって回ったような政治家より正直で好感が持てる、というのでしょ。実際に、「『三国人』みたいな発言はやりすぎとは思うけど、ずばずばものを言うし、実行力もありそう」みたいな感想が、そこここのコメント欄なんかにありますよね。右派ではないけど「因循姑息な旧来政治」はやだね、というのが慎太郎人気の根底だろうと思います。

それを、マスメディアが増幅したので、いまさら引き摺り下ろせなくなった感じなのが、石原慎太郎。


小泉首相の人気と言うのも、わたしはアンチ小泉なんだけど、やはり理解の範囲。小泉人気と言うのも、「自民党をぶっ壊す」という発言に見られるように、「旧来政治への倦怠、不信」に対する改革者イメージが根底にあるのだろうと思います。

アメリカべったり、といわれようと、官僚の制御なんかできなかったじゃないの、とばれても、「改革はやらないわけにはいかないでしょ」という気分で支持される。小泉・竹中改革の内実がどうであったというのは大衆人気に関わる話ではない。まして別の方向性が見えない、見えにくいときには、「改革ムード」は持続する。持続しすぎだとは思うけどね。


それにひきかえ、アベシの人気は何で作られるのか、というのがわからないのですよ。見てくれとか若さとか言ってもそれだけじゃあ無理でしょ。

アベシの思い切った発言というのは思い切ってウヨなことが多い。原爆おとしてぺんぺん草みたいにね。(今度、図書館に行って『週刊ポスト』などに載った彼の過去発言を調べ、引用の形でネットにあげておくかな)

石原なら都知事だから、「キャラね」ですむところが首相だとそれではすまなくなります。


もっとも矛盾があるのが、育ちのよさ、エスタブリッシュメント(元首相の孫、有力総裁候補の子)ということと、「旧来政治への倦怠、不信」というのが両立しにくいことです。

横須賀のポチ君は、三代目といってもお爺さんは背中に彫り物のある政治家として鳴らした人ですから、上品エスタブリッシュメントというイメージではない。純ちゃんはやさぐれたあんちゃんみたいなイメージがあって、おさまりかえった既存体制の利益享受者のイメージにとらわれないですむ。

でもアベシに小泉の真似はできない。小泉君は天性のカンがあるのか突っ込みにたじろがない。アベシはそういった修羅場には弱そう。いままでは周囲がお膳立てをするし、これからも政治記者を含め回りがガードするでしょうけど、大衆政治家としては、決められた段取りを演じているというのが見えてしまうと、一転「退屈な奴」にみなされるリスクがある。

大衆人気を持続するにはそれなりに資質がいるので、小泉君の資質を侮るわけにはいかない。


それにプチ小泉というわけにはいかないから新奇性を出さなきゃいけないんだけど、ありもしない個性を打ち出すというのは大変です。独自性を出すとウヨ発言。「党内操縦などの政治力」は(あるわけないけど)、プロの政治家っぽいのは大衆人気にとってはマイナス要素。成熟すれば飽きられ、未熟のままなら危ないというやっかいな若様を、世耕参議院議員はじめ自民党の人たちはお守りをしなければならないのです。


もっとも簡単にアベシの人気があがるのは、彼のこれまでのウヨ発言が、反中国意識などで受け入れられること。でも、それってタイトルにあげた、ポピュリズム政治が右寄りになるってことで、アメリカにとってでさえ厄介な事態になるでしょう。


「安倍人気は俺達が作る」なんて驕りたかぶってマスコミがもてはやしたら、それこそ売国奴になりますですよ。