第6回グズグズ寺の反省 | 神田松之丞ブログ

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毎月のスケジュールと、演目などを更新していきます。

また、自主興行のテーマなども書いていきます。

いやぁー、このグズグズ寺も六回目。もうそんなにやったんだと。

今回は予約のお客様の数が多く、そして当日お越しのお客様も含めてほぼ満員。あんなにらくごカフェって入るんだなと。

改めてお越し頂いたお客様、御礼申し上げます。真にありがとうございました。

これはグズグズ寺のマスコットこと小痴楽兄さん効果か、ゲストの鯉八兄さん効果なのか全く分からないままの大入りでした。

因果関係が分からない大盛況というのは、ひたすら不安なものです。

地方のお客様、初対面の人に私が言われた。「こんな事をいうと君は調子にのるかもしれないけど、君の浪花節は良い」と言われた時以来の衝撃。

もっとも次回は期待を裏切らず、ガラガラでしょう。それでいいと思います。バブルの思い出で、2年くらい楽しめるのもレギュラーの強みです。

また、ツイッターにて私が「グズグズ寺大盛況\(^o^)/」という書き込みをしたところ、いつもはレギュラーの柳若さんが、「私がいないのが良かったのか」みたいな、かまってちゃん的なリプライがありましたが、レギュラーの総意で無視させて頂きました。ありがとうございます。


さぁ、そんなこんなで今回のグズグズ寺を振り返りましょう。

昇也「看板の一」
何だろう、昇也君らしくない。緊張している昇也君なんて嫌だ。いつも想定内ですよ顔をしているのに、グズグズの満員だけは想定外顔してたなぁ。ただ、ネタはあと2、3回かければ売り物になる顔をして帰ってきた。その通りだと思う。

小笑「天災」
今回、兄さんの高座を聞いていて、なぜ「勉強して参ります」を言わないのかとずっと考えていた。あんなにも記憶との闘いに完敗な人を見たことがない。

あの場にいた人がみんな作品としては白タオルを投げはじめ、満員御礼の白タオルの山が私には見えていたけど、何をしがみついて脱線しまくりながら「天災」ぽいのをやってるのかと思った。なんなんだそのシュールな行為はと。

往生際が悪いのである。先代の文楽師匠なら介錯なしで切腹してるレベルだ。心の中で「小笑もう引退しろよ」と思いながら聞いていた。

今回の本気な問題は、「天災」という噺が体に入ってるかどうかは別として、入ってませんという笑いを多用して、安易な流れで何度もお茶を濁そうとした事だ。

以前、そういう笑いを部分的にする事はあっても、決してそれで満足する形ではなく頑張ってたのに、今回はお客様も多く優しいから、脱線笑いでもいいかなみたいなニオイを強く感じた。

これでもイイじゃんと演者が思っていたら、終わりだということ。忸怩たる思いで脱線笑いをするのは、二度が限度だろう。やり過ぎだ。

ああいう類の笑いを兄さんが小器用にやるなら、この会はやる意味がない。それは松之丞であり、柳若であり、昇也がやってもいいけど、小笑と夢七にそんな器用さは絶対いらない。

この二人は「勉強しなおして参ります」で全然いい。ネタ下ろしの出来不出来ではなく、方向性の問題として。見苦しさにも美学があり、昨日は違った。

そもそも、六日前に談志師匠の本から覚えるってどういう事だ。その際、兄さんが言ったセリフ
「うーん。このネタは無駄が多いなぁ」

どの口で、どの口で。どの口で。

もっとも、次回の「粗忽長屋」は面白いのは分かっている。

松之丞「狼退治」
まぁー、会の流れのバランスとしてはいれざる得なかったよ。柳若さんいないし。
~仲入り~

夢七「夢七江戸噺6」
内容はしっかり聞いてなかったから、本当に分からない。ただ小笑兄さんと同じ脱線笑いを何箇所かしていて、それで少し喜んでいる夢七にガッカリ。そんな器用さはいらないよ。他でやるならともかく、この会でそれをやるのは絶対違う。三河武士のように、前のめりに倒れて死んでくれ。

あと、イレギュラーなくすぐりを入れて笑いをとるのも、そこに味をしめだしたら夢七の良さが消えてしまう。何だろう。エロ年増にウブな男がひっかかっているのを見るような、あぁ、そこに味をしめたらダメだーという感じ。

ただ相変わらず作品を毎月作るのは凄い事。作品を作れば作るほど何かが昇華されている。作品作りのスタミナは相変わらず凄い。それはやっぱり才能なんだよな。

鯉八「笑う太鼓」
兄さんのプロ意識の高さに驚いた。まくらから本編まで。作品に関しては今後聞く人のために触れないけど、最近は技術の向上が凄い。というか、稽古量が一時期とは全然違う。

それは自分の新作のイメージを損なうことなくお客様に伝えたいから稽古しているという、純粋さからくるものだろう。

稽古って、自分の持っているイメージをどこまで伝えられるかが勝負なのに、稽古不足というのは怠惰ということよりも、伝えたいイメージがないんだと思う。または噺に愛情がない。あれば絶対する。

そこをいくと、鯉八兄さんは自作ということもありMAXの愛情で、それを伝えるための手段としてのナチュラルな稽古量なのだと思う。

そういう意味で昨日感じたのは、もっと古典なりなんなりに愛情をもって取り組む事だなぁと。それが稽古量につながるんだと思ったよ。

松之丞「越前の首」
恐らく前の鯉八兄さんが馬鹿うけだから、全く種類の違う話をしようとの予想通りの流れだった。
ただ前の新作が、ただ笑えるだけの噺でなかったのが最大の誤算だった。噺の完全な色分けが出来ない。

まくらもなしにスッと入る。この短い尺、話事態のもつ内容もこの流れで悪くなかったけど、うーん、口慣れなさが。

ただ会全体の流れとして、このメンバーのこの流れで良かったと思う。

ただ今回は完全に鯉八兄さんに助けられた。

その後の打ち上げも楽しい。真打ちになったら幕をグズグズ寺のやつを作ろうとか。色々な話題。
あぁ、ワイワイワイワイ、建設的でありながらふざけている感じが良いなぁと思った。

小痴楽兄さんにも打ち上げに出てもらう。ありがたい。ていうか兄さん、木戸銭払ってグズグズ見てるのね。

良い刺激になりました。今回はグズグズバブルとして歴史に残るでしょう。

次回もお楽しみに。