ビートルズは音楽の世界遺産(映画「Let It Be」屋上ライブより )。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。



 今から45年前1966年6月29日、4人の男が羽田空港に降り立った。天候不良の為、飛行機の到着が大幅に遅れ彼らが日本に到着したのは、明け方の午前4時に近い時間だった。
 そして前代未聞のロック・コンサートが日本武道館で行われる事となる訳だが、『武道館とは、日本武道振興の為に作られた伝統と尊厳を重んずる武術の殿堂であり、その場でロック・コンサートを行うなどとは武道の精神を冒涜し、日本の若者を伝統的な価値観から堕落させる…』という、批判が当時のお堅い大人たちから出ていた。
 おそらく1万人を超える観客を収容出来る規模の会場が武道館以外にはなかったのだと思われるが、この武道館公演に関しては様々な憶測が飛び交ったのも事実である。
 このビートルズ来日から2年ほど遡った1964年、藤枝の片田舎に住む8歳の少年が一枚の赤い45回転のシングル盤に耳をそばだてていた。
 神戸家の広い裏庭の奥まった一軒家に『順ちゃん』は住んでいた。わたしより9つ年上で、わたしにとってみれば「お兄ちゃん」のような存在だった。
「とし坊、いいもの聞かせてやるぞ」そう言って、小さなポータブルプレーヤーにレコード盤を乗せ、針をそっと落とした。
 それは全くと言ってよいほどの未知なる音だった。
「♪♪シェゲナベイビィ~ナウ~シェゲナベイビィ~ツィスタウンシャウ~♪♪」
「なに、この歌!?すごい!!」
 それまで日本の歌謡曲や童謡しか知らなかった幼い8歳の少年を、そのリズミカルでアップテンポのまさに『シャウト』で斬新な曲が洋楽の虜へと変えてしまったのである。
 確か、A面が「ツイストアンドシャウト」B面が「ロールオーバーベートーベン」だったと記憶している。ビートルズだけでは飽き足らず、当時人気の高かったベンチャーズやアニマルズ、ホリーズなどの曲も毎日のように『順ちゃん』の処に行って聴かせてもらった。
 1967年頃から始まったラジオの音楽番組『オールジャパンポップ20』を聴くのが日課となり、今でも強く印象に残っている曲がジャン&ディーンの『パサディナのおばあちゃん』この歌が流行っていた頃はビーチボーイズ全盛時代で、サーフィンサウンド真っ盛りだったと思う。
 箒をギターに見立てて、ベンチャーズや寺内タケシ、加山雄三の『エレキの若大将』などの真似ごとをして大きな声で歌いまくっていた。その歌声は3軒隣りの「小川国夫宅」まで届いていたようだ。
「俊樹ちゃん、歌上手だねぇ…」と隣のパン屋のおばさんが飴玉を三つ四つくれたりした。
 こうしてわたしは吉田拓郎に出会う15歳まで洋楽一途の純真な少年時代を送った。アップしてあるビートルズの映像は、彼らのファンであれば一度は観た事があるであろうと思われるほど有名なビルの屋上で唐突に行われたライブ。
 1969年、ビートルズの破局があらゆる場面で垣間見られる貴重なドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』から抜粋した『ゲット・バック』と『ドント・レット・ミー・ダウン』のメドレーである。場所は彼らが作ったアップル・レコード社の屋上。
 このゲリラライブが放映された1969年1月30日、わたしは国立療養所天竜荘の12病棟大部屋の食堂に設置してあった14インチ程度の小さな白黒テレビで確認し、その彼らの演奏姿に釘付けとなった事を覚えている。
 つい先日、小笠原諸島と岩手県の平泉が世界遺産に登録されたばかりであるが、音楽にも世界遺産が適用されるならならば、まさしくビートルズはそれに相応しいと思っているのは、わたしだけではないだろう。