引っ越しを目前に控えている状態で入院してしまったので、3月25日は荷物だけが新居へと運ばれて行った。
体調が悪くなったのは3月に入って暫くしてからだったが、心労とそしてハードな毎日が続いたからだろう。
離婚前になんとしても就職先を見つけなければと焦っていたし、アパート探しも華僑に入っていた。
池袋の不動産屋に足を運び、なんとか安いアパートを短期間で探さなければならないという状況もあった。
一番辛かった事は、体力的なことより無職の場合貸りられる不動産が極端に減ってしまうことだった。
つまり、無職では住むところさえまともに探すことは出来ないのである。
貸す側からすれば、それは当然のことかも知れないが、条件として預金残高まで提示しなければならなかったことは、屈辱的だった。
苦労してなんとか住む場所を確保したが、すっかり疲れてしまった心と体はとうとう悲鳴を上げてしまった。
子どもたちと最後の別れも出来ないまま、病院のベッドで強がってみたが、子どもたちと最後に交わした言葉がなんだったか、それさえも思い出せなかった。
退院の日を告げられても、心の底から喜べない…。
退院しても待っているのは孤独な新居。
これがわたしの21年目の真実の姿なのである。
幾つものダンボールを見つめて、出るのは虚ろな溜め息。
そして石のように重たい体が、傍らのベッドに音を立てて崩れ落ちた。