たらい回しで流れた命。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


たらい回し 妊婦を乗せた救急車が深夜の国道を疾走する。左右に車をかき分けサイレンもけたたましく鳴り響く。救急車の中で何が起こっているかは外からでは確認が出来ないものの、それは一刻の猶予も許されない命のやり取りだったかも知れない。
「奥さん大丈夫ですよ、もう直ぐ病院に到着しますからね」優しく励ます救急隊員。顔を青ざめ苦しみを訴える妊婦、「奥さん、次の病院へ直ぐ向かいますからね、もう少しの辛抱です」「奥さん…」苛立ちを見せる救急隊員たちと妊婦を乗せた救急車が車道から孤立して行く。
時間だけが刻々と過ぎて行き、救急車は死に向かって一直線に伸びた道路を不安だけ乗せて走る。
サイレンの音は暗闇の中に虚しく命とともに消えて行った。
先月29日奈良県橿原市で起きた妊婦流産の事故。18軒の医療機関から受け入れを断られ、最悪の死産という結果を招いてしまった。ここにまたしても医療現場の問題が浮き彫りになった。根本的な問題は産科医の不足や施設の不備である。
病院側と救急隊員との意志の疎通がうまく出来なかったことも要因として取り上げられているが、医師は人の命を助ける或いは病気を治すのが目的。妊婦の状態を見ればある程度の察しは付く筈。例えカルテがなく状況が分からなくとも何らかの処置は出来た筈。
運悪く女性は妊娠してから一度も産婦人科にかかっていなかったらしい。病院にかかれない個人的な事情が背景にあったか定かではないが、これも不運を招いている。
病院はひとつで成り立っている訳ではなく、他の病院と連携してお互いを支えあってこそ、病院の機能を最大限に発揮出来るのだが、緊急を要する今回のような患者を受け入れる場合、日中とは違い深夜ともなれば医師や看護師の数も限られてくる。しかし病気はいつ発生するか分からない。それを受け入れる為の24時間体性の救急病院である。今後の医療体制に大きな問題を残す医療事故であったと思わざるを得ない。