浅野川左岸”遊学館高校のグランド“
【上田上橋→田上大橋】
浅野川左岸に、もう一つ高校野球のグランドがあります。遊学館高校の野球場、サッカー場、トレイニングセンターです。“遊学館高校といえば”金沢の高校野球フアンなら忘れることの出来ない“あの夏”がありました。平成14年(2002)夏の甲子園。今、阪神の小島投手など1・2年生だけで、アレヨ、アレヨといっている間に準々決勝まで勝ち進んだことが甦えります。
(遊学館のグランド)
(あの時、野球部が出来て1年4ヶ月だったらしく、当時、甲子園出場の史上最速といわれました。)
(練習中)
石川県の高校野球は、あれ以来、星稜高校・金沢高校の2強時代から、遊学館高校を入れた3強時代になったと思っていたら、最近では能登の日本航空高校石川が甲子園に出場し4強に、さらに今年の秋は、金沢学院東高校も金沢西高校も強くなって、競争はますます激化して、野球フアンにとって春はチョット(北信越で勝てなかった)、でも夏は楽しみです。
(色のついたボールでバッティング練習中)
長年女子高で、平成8年(1996)に男女共学校になり遊学館高校に名称変更しました。私の記憶では、はじめサッカーに力を入れ、元全日本のゴールキーパーの田口さんでしたか?を監督に外国から留学生も迎えて本腰を入れていたようでしてが、野球のほうが一足早く全国区になりました。
(最近のサッカー部成績 2011年11月 1日 第90回全国高等学校サッカー選手権石川県大会 準決勝(遊学館)1-2(星稜)「3位」)
うわさですが、サッカーの、長髪や茶髪などの風潮は「伝統校の校風に会わないのでは」と理事長は悩んでいたそうで?そこで理事長が巨費を投じてグランドを整備し、“礼儀や規律重視”の野球部の導入に踏み切ったとか。それが、現在は他の部にも波及しているのでしょう。また、野球部の誕生に際して、2・3年生の入部希望者もあったようですが、新監督の希望もあり?2・3年生の入部を丁重に断ったため、全員が1年生になったとも聞きました。
(湯涌街道沿いグランドへの案内板)
(グランドへ行く急な坂の途中)
(上田上橋)
(上田上橋より・湯涌街道につながる朝霧大橋)
以前に同じ浅野川左岸にある金沢学院東高校のグランドのことを書きましたが、昔から野球の練習を見るのが好きで、何時か遊学館のグランドにも行こうと思っていました。時間が出来たので、先日、夕方でしたがグランドに行ってきました。湯涌街道から急な坂道を下って上田上橋の前を左に曲がると、その先には遊学館高校の施設と果樹園だけしかなく、この道を通る人は、学校関係者か近所の果樹園の方だけなのでしょう。
(近くの田上大橋・山側環状線)
バイクで走っていると、祝日でしたが、練習帰りの学生に丁寧に挨拶をされました。こちらは予期せぬ挨拶に戸惑っておよそ大人らしくない挨拶を返していました。それにしてもさすが!理事長の“礼儀や規律重視”が浸透しているのでしょう。躾が行き届いた野球部でした。
≪野球部の歩み≫
平成14年(2002) 夏の甲子園出場(初出場でベスト8)
平成14年(2002) 明治神宮野球大会(高校の部)でベスト4
平成15年(2003) 春の甲子園に出場(初出場)
平成16年(2004) 夏の甲子園出場(2年ぶり2回目)
平成17年(2005) 夏の甲子園出場(2年連続3回目)
平成17年(2005) 国民体育大会(高校の部)で準優勝。
平成22年(2010) 夏の甲子園出場(5年ぶり4回目)
(グランド)
(グランド)
明治37年(1904)女子教育の「金城遊学館」として創設され、「金城女学校」「金城高等女学校」戦後の学制改革後は「金城高等学校」まで長年、男女別学の女子校でした。平成 8年(1996) 女子校の「金城高等学校」を「遊学館高等学校」に名称変更、男女共学になりました
(創部記念の碑)
参考:学校法人金城学園 遊学館高等学校他
www.yugakkan.jp/