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2016-05-29 09:02:38

尊経閣文庫と石川県立美術館と成巽閣

テーマ:伝説・伝承

【金沢→東京・目黒】
尊経閣文庫とは、加賀藩前田家第16代利為候により昭和3年(1928)4月に東京・目黒の前田家本邸内(現在目黒区駒場公園に隣接)に設立された公益法人前田育徳財団が所蔵する“書籍、文書類”“美術工芸品”で、加賀藩5代藩主前田綱紀公の蔵書名「尊経閣蔵書」に因んで“尊経閣文庫“と名付けられました。


(尊経閣文庫の建物は、旧前田家本邸の洋館設計者である宮内省内匠寮(たくみりょう)の高橋貞太郎が設計した鉄筋コンクリート造で、現在、図書閲覧所(事務所)、書庫、貴重庫、門及び塀は国の重要文化財に指定されています。)



(尊経閣文庫・東京目黒)


今は、財団法人前田育徳会が維持管理し、収蔵される作品は「日本書紀」の現存最古の写本や、藤原定家筆の「土佐日記」の写本など、国宝22件・重要文化財76件と、日本の古典文庫(図書館)の中では質的にも群を抜く“書籍・文書類”は、漢籍4,100部、和書7,500部、文書2,500点です。


(隣の旧前田家本邸・東京目黒)


“美術工芸品”は、加賀前田家伝来の絵画、工芸品、調度類、刀剣甲冑等の文化財を多数所有し、所蔵の刀剣類の中には、古来「天下五剣」の一つに数えられ、前田家第一の家宝として神格化されている三池光世(みいけみつよ)作の太刀「大典太」(おおでんた)があります。


尊経閣文庫は、閲覧出来るのは許可を受けた研究者(大学教授、助手ほか)に限られ、一般公開はされていません。書籍・文書類以外の所蔵品(美術工芸品)については、財団法人前田育徳会(東京都目黒区)に展示施設がないため、絵画、工芸品などの一部は昭和55年(1980)以来、石川県に寄託され、石川県立美術館の「前田育徳会展示室」で毎年10回以上の展示替えを繰り返しながら、「前田家の文化」を様々な角度から公開されています。


(尊経閣分館のある石川県立美術館)

(尊経閣文庫分館の展示案内看板)


また、調度品、武具類などは、金沢市の兼六園に隣接する12代藩主斉広公の正室真龍院の隠居所だった成巽閣(せいそんかく)で展示されています。


(成巽閣表門・金沢)

(成巽閣裏門・金沢)


(前田育徳会旧蔵の「加越能文庫」(加賀藩に関わる文書、史料類)は一括して金沢市に寄贈し、金沢市が同市立玉川図書館近世史料館に保管整理されています。)


(玉川図書館近世史料館・金沢)

前田育徳会―Wikipedia
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=2&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwjPmeGit_zMAhXJppQKHQ0TDpkQFgghMAE&url=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%2589%258D%25E7%2594%25B0%25E8%2582%25B2%25E5%25BE%25B3%25E4%25BC%259A&usg=AFQjCNGvmvU_QdsY6n4C55sPVpWiq0ea6g&sig2=soUuSKdvyD4_VFrv_rh14w

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2016-05-28 11:02:30

ほっと石川観光ボランティアガイド湯涌研修

テーマ:日々

【金沢・湯涌】
平成14年(2002)に発足した「ほっと石川観光ボランティアガイド連絡協議会」は、県内24の観光ボランティアガイド団体が加盟しています。各団体は、お互いの自主性を尊重しながら連携し情報交換やガイド能力の向上のため各地持ち回りで合同研修会を実施しています。今回は金沢が担当で湯涌が開催地ということで、金沢の「まいどさん」がガイドを務めることになり私を含め4人が参加させて頂きました。



(湯涌温泉)


参加者は輪島市から加賀市まで約100人。予想外に金沢市のガイドが多く約半数。北陸新幹線開通でお客様のニーズが見込まれることから、キャリアアップのために参加されたのか、新緑の山里の散策も兼ねて、メモを取るなど熱心に勉強されていました。


(金沢への観光客は、北陸新幹線開通前より、お客様が増え有名なところに集中していますが、その反面、マニアックなお客様も多くなり、深い知識が要求される場面や地元の人でも余り行か無いところが求められるようになりました。因みに観光ボランティアガイドの依頼は、昨年度は約2倍、一年過ぎた最近でも一昨年の約1,5倍と好調です。)



(たった20分のバスで心うきうき)


湯涌温泉は、金沢から車で20分ぐらいのところで、開湯は約1300年前という古い温泉ですが、藩政期には藩主前田家の湯治場で藩からの補助もあったとか、また、農民の農閑期の楽しみとして、町民の病気の治癒のための湯治場として年間約1万人の浴客があったといわれています。



(散策前の集合風景)


幕末には、温泉が干し上りますが、4,2mぐらい掘ったらお湯が出て来たといいます。最近ではアニメの「花咲くいろは」の聖地として、祭りの日、初年度は約5千人でしたが、昨年10月の第5回「ぼんぼり祭り」では1万数千人の若者が押し寄せたそうです。


(「花咲くいろは」金沢市に隣接する富山県南砺市に本社を構えるアニメ制作会社ピーエーワークスが制作し、2011年に放送されたテレビアニメや劇場版が2013年に公開され、舞台である「湯乃鷺温泉(ゆのさぎおんせん)」のアニメの背景が湯涌の温泉街が描かれています。放送後、作中の「ぼんぼり祭り」が実際のイベントとして行われるようになりました。)



湯涌温泉の昔々
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11127081664.html


湯涌温泉の奇蹟!!
http://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11124442117.html


湯涌温泉は、町の真ん中の小高い丘には「ぼんぼり祭り」でお札を奉納する湯涌稲荷神社や薬師堂、山の方に行くと祭りのメインイベントでお札を焚きあげる玉泉湖があります。この玉泉湖を巡る散歩道には、冬、1月の最終日曜日に雪を詰め、6月の最終日曜日の氷室開きがおこなわれる藁葺きの氷室があります。


(氷室は、藩政時代、夏、涼をとるため、冬に降った雪を詰めて置くために設けられた小屋で、旧暦の6月1日に、金沢から江戸の将軍に届けられたというもので、その日に因み、昔から金沢では夏負けしないように食べたと言う「氷室まんじゅう」が今でも暑気払いとして食べています。)



(氷室にて)


湯涌温泉の魅力は、やっぱり山懐のひなびた風情が今も残る温泉町で、華やかさはありませんが、昼間も楽しめる藩政期の建物を集めた江戸村や大正時代に詩人で画家の竹久夢二が恋人と湯治にきて、後に「心の故郷」といい、ここに画室と言ったことなどが縁で造られた「金沢湯涌夢二館」があり、その他にも、豊な自然と静かで古く落ち着いた雰囲気が売りです。



(金沢湯涌夢二館)


金沢湯涌夢二館―公益財団法人金沢文化振興財団
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwjr2dDwy_vMAhXHhaYKHWGhAlwQFggcMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.kanazawa-museum.jp%2Fyumeji%2F&usg=AFQjCNGicQtI-xHtUbMqONob2Hf63a2_4g&sig2=B5tp8ww_TJTiIUbIOo3O0A


(金沢湯涌江戸村研修)


金沢湯涌江戸村―公益財団法人金沢文化振興財団
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwiM5b6VzPvMAhUhIKYKHQjUC7gQFgggMAA&url=http%3A%2F%2Fwww.kanazawa-museum.jp%2Fedomura%2F&usg=AFQjCNE7LNgK3UZP1_xsF_qc7KEqksCsQQ&sig2=5-34RivlvKhOuh7gP5PPog

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2016-05-26 08:44:07

戦後の成巽閣②

テーマ:日々

【金沢・兼六町】
昭和25年(1950)に「文化財保護法」が制定され、重要文化財に指定されると、入場料に税が掛らなくなりますが、この免税処置が思いがけない厄介な問題を引き起こします。



(成巽閣の前庭)


(「文化財保護法」が制定法律制定のきっかけは、前年に発生した法隆寺金堂の火災と壁画の損傷で、前回にも書まししたが、従来の「国宝保存法」「史蹟名勝天然紀念物保存法」、重要美術品を認定した「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」を統合した法律です。)


(今の入場料)

入場料収入をめぐり前田家と税務署の間で、毎年いざこざがおこります。税務署では、入場料が前田家の懐に入っているのではという疑いです。勿論成巽閣では、入場料収入はすべて運営、維持費の充てられていましたが、前田家と成巽閣が一体であることから仕方のない面もありました。



(兼六園口)


それで、思い切って成巽閣を前田家から法律的に切り離してしまおうということになり、前にも書きましたが、昭和35年(1960)に「財団法人成巽閣保存会」を造ることになり、用心のため所有権は前田家に残し保存会には運営権だけにしたのだそうです。


(財団法人成巽閣保存会の役員は、理事7人、評議員20人、幹事2人で、理事には前田家当主前田利建氏、広瀬豊作氏(元大蔵大臣)吉竹寛一氏(成巽閣常務理事)他、地元では県知事、金沢市長、東京では元住友本社総理事小倉正恒氏、三菱重工元会長の斯波孝四郎氏等が名を連ねています。)



(柿葺の屋根)


その年の昭和35年(1960)、成巽閣の大修理が行なわれています。今の屋根は、建てられた当時の柿葺になっていますが、その頃、柿葺の代用として参瓦葺より軽量の銅版葺が選ばれ葺き替えられます。


明治に入り桟瓦葺に改修されますが、瓦の加重から柱や軒先がゆがんでしまったものを、昭和35年(1960)から36年(1961)

にかけて銅板葺に葺き替えます。8ヶ月間、成巽閣は入場料収入がありませでしたが、なんら経営には支障がなく修理にかかれたといいます。


(因みに、銅板葺の屋根は広くて1階2階を合わせて358,69坪と大きく,工事費も650万円で、そのうち国庫補助453,4万円、県、市より67,5万円、財団の負担金は129,1万円、この工事完了で、大雪にも憂いなく建物を保存できるようになりまいたが、元来の柿葺の葺き替えは、この後、ずいぶん先まで待たねばなりませんでした。)


また、辰巳長屋の解体修理ですが、もともと辰巳長屋は竹沢御殿の表御門、裏御門を含む辰巳長屋でしたが、文久3年(1863)巽御殿(成巽閣)の建立のとき移築され門脇の長屋として使用されたもので、七十七間の大きなものでしたが三分の一にして現在地に移築したものです。


(辰巳長屋)

明冶9年(1877)に、県に移管され、明冶41年(1908
)9月に再び前田家が所有してから、物置や作業場として修繕補強などをしながら使用されていましたが、基礎は全体に建物が傾斜している状態で沈下し、腰積の切石には隙間が多くなり、柱は木材を折る様に横断線が走り、土台は白蟻にやられるなど散々で、このままでは倒壊の恐れがあり、解体復元の大工事に踏み切ります。


(昭和46年(1971)4月1日に着工、1年後の昭和47年(1972)3月31日に完工します。工事費は22,725,375円。うち、石川県、金沢市より補助金400万円、残りは財団が負担。)


PS 昭和の住所変更にさいし、出羽町から兼六町の変更されました。


参考文献:「吉竹寛一餘香」平成6年6月13日 印刷ヨシダ印刷株式会社ほか

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