市民が見つける金沢再発見

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私が金沢21世紀美術館に嵌まった理由➎現代アートとコレクション

【金沢(金沢21世紀美術館)】

現代アートは、専門家(先生・学芸員等)によるとフォルム(造形)でなく、コンセプト(概念・考え方)を徹底的に重視する!!」とおっしゃています。実は、20世紀初頭にマルセル・デュシャン(フランスの画家)アメリカアンデパンダン展男性便器を横にしてサインをしただけの「噴水(泉)」と云う作品を展示したのが始まりと云われています。デュシャンは、当時、画家としては”ピカソ“には適わない!!自分は、このままでは何時までたっても2番手3番手で一生浮かばれないと思い、そこでデュシャン”美術の使命は、造形だけではないぞ!!“に気づき、”造形を超える大きなものはなんだ!?“そして考え出したのが作者の考え方“”見る人の思い“から【見る人の心に直接強く訴えるべきだ!!】と云う思いに至り、今までの既成概念をひっくり返します。

 

そして「絵や立体の奥に社会に対する批判や矛盾を忍び込ませます。」それが現代アート(同時代美術・コンテンポラリーアート)の始まりとされ、そして、シャンは”美術は美しくなくても良いんだ!!”とのたまい世間をビックリさせます。

シャンの一番になりたいと云う執念が、美術の価値観を根底から変えてしまいます。)

マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス生まれの美術家。20世紀美術に決定的な影響を残した。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄し、チェスの名手としても知られます。2人の兄、ジャック・ヴィヨンとレイモン・デュシャン=ヴィヨンも美術家。1955年、アメリカ国籍を取得します。近年の研究では、代表作の『噴水(泉)』を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェンが制作したとされています。

 

 

アートの歴史的経緯おさらい

現代アートを大雑把ですが復習すると、大昔、アートはアルタミラの狩猟を描いた呪術的要素な原始美術が発展し、中世には宗教を伝えるためや王侯貴族など権力者の権威と国民に恐怖心煽る象徴として利用され、14世紀、ルネッサンスでは、人々はキリスト教の伝統的な考え方に囚われない科学的なものの見方を知り、個性的で人間味あふれる芸術を求め、作家の内面を絵画や彫刻の込めるようになりました。写真や映像の発明美術の使命をも変え、19世紀の終わりから20世紀初頭にかけ、より個人の内面や多様な価値観を伝える方向へ変ぼうしていきます。それが今の現代アートの根っ子です。現代アート以前は視覚的な形が良し悪しで判断されていましたが、1960年代以降は哲学的な考察や社会批評の要素が含まれるようになります。

現代アートの題材

社会的な矛盾●制度批判●世界の中心的価値観と違う価値観●人間の感情●忘れてしまった人間の身体の感覚●目に見えない物●観念・思想・宗教・哲学●その地域だけに感じる感覚など、自然以外が創る全て・・

 

 

現代アートは分からん??

馬鹿にするな!!ワシは“童話裸の王様”を見ている大人じゃ無いゾ!?見えないものは見えん!!とか、寓意なら、もっと分かり易く!!また、同じ寓意や皮肉でも、昔から日本に有る川柳や狂歌の方が面白いゾ!!と聞こえて来そうです。実は現代アートの作家の中には、寓意(社会的な矛盾や制度批判、思想・宗教・哲学など)も何にもなく、奇をてらっただけでのニセ者もいて、それらのニセ者たちは、寓意を読み取れ無い鑑賞者は感性不足と決めつけて馬鹿にするキライがあり、鑑賞者は鈍感と思われなくたくなので分からないとは云はない!!そこで、分かったふりをする・・・。また、昔から美術界にある「美術作品には説明はいらない」と云う名言?を隠れ蓑に、横着なニセ者も出回っていても何にも云えない!!益々、「わかったようでわからない芸術」「作品」が蔓延していると云う・・・。

ですから、私たち素人の鑑賞者は、前回の対話型鑑賞法を試して見ては如何でしょうか!!展示室に入りと作品の下にある難解なキャプションを見ずに、作者の意図は後で調べるとして、まずは、作品を直視します。人間の五感は、顔が違うように皆さん違います。感じ方も様々です。自分が共感した作品を自分の感じ方作者の意図を調べ比較するのが、楽しみになります。また、共感できない作品からは、“世界にはいろいろな考え方や見方があるものだ“と思えば占めたものです。それが自分を見つめることであり、社会や世界に目を向ける第一歩です。

 

 

金沢21世紀美術館のコレクション方針

平成8年(1999)4月に金沢市は美術館建設事務局が開設され、平成10年(2001)4月には、事務局の再組織される共に、所蔵品の3つの収集方針が示されています。基本的には、以下の現在と変わらないのですが、現在の➁番目が第1に掲げています。それは「21世紀への新たな文化創造」を目指したためと思われ、直前の100年間「歴史的参照点」が必要と考えてからと云いますが、第2は1980年以降としたのは、今日に繋がる大きな転換点と云え、新しいパラダイム(枠組み)の機能しはじめたのが1980年頃と考えてからだと云われていて、以下の事情からOPEN時に順序を入れ替えたものと思われます。

 

 

1980年代より前の時代、ポップアートや印象派の有名作家の優れた作品はすでにほとんどが世界美術館やコレクションに納まっていて、有名作家の作品を買おうとすれば大コレクションの売却を待つか、今マーケットに出ている2級品を高値で買うことになるので、身の丈を大きく超えた大金を使うことになります。だから現在まだ評価されていない現在進行形のアートに絞って今のうちに買い集める収集方針は、限られた予算を有効に活かして良いコレクションを購入できるので賢い選択です。また、作品を観覧する金沢周辺の児童学生や産業界や工芸デザインなどにも最新の刺激を与えて、地域社会を活性化させる効果も期待出来ると云われえています。)

 

➀.1980年以降に制作された新しい価値観を提案する作品

➁.➀の価値観に大きな影響を与えた1900年以降の歴史的参照点となる作品

③.金沢ゆかりの作家による新たな創造性に富む作品

コレクションの視点は、伝統文化に刺激、これからの新しい文化創造に寄与

 

 

2001(平成12年)5月段階の収集(OPEN前3年)

(46作家 68点)

(世界の現代アート作家23人・日本の現代アート作家7人・金沢美大出身の作家7人・地元在住の工芸作家9人)

2010(平成22年)3月段階に収集(OPEN後5年)

(164作家約3,500点-個体含む―)

2018年(平成30年)4月段階に収集(OPEN後13年)

(222人作家3,298点)

 

 

 

現代アートのお値段は?

収蔵品は222人作家3,298点。現代アートの評価は難しいが、評価基準の一つとなる値段も気になります。金沢市によれば、収蔵品の総額36億4891万7000円になり、うち寄贈された2,886点の評価額を除いた購入分は412点、28億864万2000円になるそうです。(2018年4月現在)

 

 

高額な現代アートの作品

その作品は本多通りに面した野外にある色の三原色であるシアン・マゼンダ・イエローの三つのガラス壁が渦を巻くように並ぶ「カラー・アクティヴィティ・ハウス」オラファー・エリアソン氏(デンマーク出身の現代アート作家)の制作ガラスは高さ3m直径約8m。2010(平成16年)3月に設置された作品の制作には9999万円を要しました。

(金沢21世紀美術館の作品収集予算の目安は年1億円と言いますからかなり高額です。)

 

 

2番目に高いのは通称「レアンドロのプール」5565万円。この作者レアンドロ・エルリッヒは1973年生まれ。アルゼンチンのブエノスアイレスを拠点に活躍するアーティストです。プールの水の下に人がいるという独創的なアイデアは、OPEN当初から話題を集め、作品は「スイミング・プール」が正式名称ですが、館内の案内表示では「レアンドロのプール」という通称で呼ばれています。費用は作品の設置に掛かり作者のアイデア料は10分の1ぐらい?で作家が何回も金沢に来る費用に当てられたと聞いたことがあります。

 

3番目は米ポップアートの巨匠、故アンディー・ウォホール氏の絵画「ダイヤモンド・ダスト・シューズ」4980万円だそうです。

 

 

参考youtub

【アートの見方①】アートの固定観念を壊した6人の芸術家

https://www.youtube.com/watch?v=eumE48Y2An4

 

 

 

 

参考資料:金沢21世紀美術館のHP・ 金沢21世紀美術館パンフ・2007年から私が書いたり集めた資料・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』中田敦彦のyoutub大学【アートの見方①】アートの固定観念を壊した6人の芸術家など

 

私が金沢21世紀美術館に嵌まった理由❹ミュージアム・クルーズ・プロジェクト

【金沢(金沢21世紀美術館)】

平成16年(2004)10月9日にオープンした金沢21世紀美術館では、翌月の11月2日(火)より翌年の3月4日(金)までの約4ヶ月(実施日数57日間)「まるびぃとの遭遇」と銘打ち市内の小中学生4万人を招待するという前代未聞のプロジェクトが開催されました。翌年から4年生に限定し続けられた企画で、現在も市民ボランティア(クルーズ・クルー)が集められ開催されています。

 

市民ボランティア(クルーズ・クルー)は、初回は112名、2回目からは40名~80名が参加し、その都度公募で集められますが、1回目は、平成16年度文化芸術拠点形事業の採択事業になり、それなりの協賛もつき有償(半日1000円・全日3000円)となりますが、2回目からは、協賛が付かず、アゴ足なしの全くの無償で、市民ボランティア(クルーズ・クルー)の善意と暇つぶし、そして勉強好きが頼りです。

 

この条件で一定の人数を集めなければならない美術館の教育担当者の執念と下向きの努力に頭が下がります。最近、嬉しく思うのは、10数年前に招待された当時の小中学生の中から市民ボランティア(クルーズ・クルー)に加わるようになっています。 

 

 

(1回目の市民ボランティア(クルーズ・クルー)の人員構成は、40代~50代が60%で、次が30代の14%、男女比は女性91%、男性は9%、主に転勤族の主婦が目立ち、他は地元の主婦を含めると66%多く、登録人数は135人、参加人数は112人で、プロジェクトに参加して大変有意義だったと答えた人は78%でした。)

 

 

2004年度地域創造レター1月号-No.117

石川県金沢市 金沢21世紀美術館 「ミュージアム・クルーズ・プロジェクト」

https://www.jafra.or.jp/library/letter/backnumber/2004/117/5/1.html

 

 

クルーズ研修は、金沢21世紀美術館や記念展の概要、作品見学や鑑賞活動の目標や鑑賞方法と覚える事も多く、後に知る事になる対話型の鑑賞「作品の解説ではなく、子ども達との共感と共有を目的としたコミュニケーションが目的で、元々私は解説が志望で、現役の観光ボランティアガイドです。当然、作品の意図や作家の経歴まで知ろうと勝手に勉強したりしていて、子ども達との意思疎通をする方法を学んでいなかったのに気付いたのが、プロジェクトスタートの11月2日ギリギリで、何をして良いのか分からず、その日は見学と決め、美術館に行くと大阪から来たという同年齢の看護師さんだったか保母さんだった忘れてしまいましたが、子ども達と手を繋いだり、普段の言葉で接しているのにビックリしたのが思い出されます。

 

クルーズの研修期間は、平成16年(2004)10月9日、美術館OPEN前10月4日(月)~10月7日(木)の4日間続けて行なわれ、美術館OPEN後の10月18日から11月15日の月曜日に行われ、翌年の1月11日(火)に開催されています。)

 

 

子ども達の鑑賞には、当時は参加した市民ボランテイア(クルーズ・クルー)は誰も知らない対話型鑑賞法が用意され、1回目では、市民ボランティア(クルーズ・クルー)が各展示室で待機する「待ち受け型」が採用され、2回目より市民ボランティア(クルーズ・クルー) 進行役になり、10人前後の班(グループ)に分けられた児童を各展示室に案内するギャラリーツアー型がコロナ禍になる前まで10数年続けられ、ここ2年間は「待ち受け型」に改められています。

 

対話型鑑賞法とは、従来の作品を作者の経歴や美術史的考察で価値づけ、既存の美術作品解釈知識鑑賞者一方的に解説するのではなく、鑑賞者グループ作品を観た時の感想を重視し想像力を喚起しながらグループの仲間とのコミュニケーションをすることで、グループ内の対話交流により作品と鑑賞者コミュニケーションを通じた鑑賞法です。対話型鑑賞法は、金沢21世紀美術館では開館オープン時に、市内の小中学校の生徒を全員招待し、この方式を取り入れ、美術館の教育担当者と市民ボランティアにより実施され、翌年より小学校4年生を対象のミュージアム・クルーズとして継続され、以来、現在までの18年間、金沢21世紀美術館コレクション展を市内の小学4生を対象に実施されています。)

 

 

拙ブロブ

秋のクルーズクルーが始まります。

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11633702957.html

 

この対話型鑑賞法は、従来の作家の制作意図を解説するのと違い、観る側が様々な受取り方を話し合う鑑賞法で、子どもの思考能力、対話能力向上を目的に実施される美術作品鑑賞法で、子ども達は、この対話型鑑賞法により、対話することで新たな発見や気付きがあり、また、友人でも興味の持ち方考え方違い気付かされます。

 

対話型鑑賞は従来のギャラリー・トークとは違って、進行役の重要な役割は、知識や情報の提供ではなくて、鑑賞者の発言を引き出したり、その発言を他の鑑賞者の発言につなげたりして、鑑賞者のコミュニケーションの輪を拡げたり深めたりすることです。そのため進行役は基本的に知識や情報の提供はしません。)

 

 

もともと、この「対話型鑑賞」は、1980年代の後半からアメリカのニューヨーク近代美術館(MoMA )で開発されたもので、それが日本に導入され川村記念美術館や水戸芸術館などで様々な形に変容しながら「対話型鑑賞」が、各地の美術館、学校教育機関等で実践されていますが、金沢21世紀美術館では、オープン以来18年間、毎年、試行錯誤をしながら進めています。

 

 

金沢21世紀美術館では、美術館(教育担当者)の指導の下、進行役(クルーズ・クルー)鑑賞者(子ども達)に、配布されるガイドマップに、以下の記述があり、探検(クルーズと館内を巡る)前に再度確認し、探検中の会話進行役に任されています。

 

 

《出発したら

作品の色 形 材料

 じっくり見よう!

 感じたこと考えたことを

みんなで話そう!

《3つの約束》 

 1,歩いて行動しよう

 2,作品にさわらないで見よう

 3,声の大きさに気を付けよう

 走らない・作品に触らない・大声を出さない

 

一般的な対話型鑑賞法では、質問は下記の3つとされています。

1.この絵の中で、どんなことがおこっていますか? 

2.あなたは、何を見てそう言っているのですか?   

3.もっと発見はありますか?

(この3つの問いかけは、「学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・シンキング・ストラテジーズ」によれば、この鑑賞法の共同開発者である認知心理学者のアビゲイル・ハウゼンの研究をもとに、様々な試行錯誤の末に到達した究極に絞り込んだ形の質問だとされています。)

 

 

私と子ども達とのファーストコンタクトは≫

私は、ミュージアム・クルーズ・プロジェクトでやってくる子ども達と初対面の時、「美術は算数や国語のように答えは1つではないがや、そやからみんな違った意見があっても良いがやぞ、学校と違ごうて、間違えたらどうするがや!なんて考えなくてもいいぞ、今日は、思った通り、感じたままに発言してもいいぞ!!」といいます。

(どうも子ども達は「感じたこと」が言葉にならないようで、熱いとか冷たい、好きや嫌いや、カッコいいとかダサい、など例を上げ話すと、笑いも出てなごみ打ち解けています。)

 

 

学校の勉強から頭を切り替えると、4年生は、素直な子も多く、嬉々として発言します。とは言っても「現代アート」を理解している分けではなく、聞けば!!作家の意図とは殆ど違いますが、子ども達は自分が感じたままを言ってくれます。もっとも、大人でも、学芸員でも、よっぽど経験が深く、勘の良い人でない限り、予備知識も無く、始めて見ただけで作家の意図するところが分かるはずもありませんが・・・。

 

参考youtube

教えない授業➀対話型鑑賞法とは(1~3)

https://www.youtube.com/watch?v=9sfdVhy677A

 

(子ども達は、頭が固まっていなので、固定観念も余りなく、美術館で、“自由にしゃべっていい”と云うと、平生、発言をしない子も活き活きして発言する様になります。大人では“この様”には行きません。“現代アートの一部には、人間の理性を否定し、既成の秩序や常識に対する否定、攻撃、破壊を大きな特徴だ””現代アートは価値観が多様でそれぞれ理屈があり自分には共感できないもの“という潜在意識もあり、面倒臭さも手伝って抵抗する人、また、分かったような顔をしたりする人もいますが、こんな事は知らなくても生きていけるとばかり、分からん!!理解出きん!!と云って”逃げている人、開き直る人“と様々で、自分が分からんからと言って、子ども達や観光客にも面倒臭さいから、「金沢21世紀美術館は“分からんから行くな”」という、観光ガイドもいるらしい・・・。)

 

 

5年後の社会教育実践研究センター事例報告より

事例名:子どもたちとともに、成長する金沢 21 世紀美術館

https://www.nier.go.jp/jissen/chosa/rejime/2008/08_kankou/05_chapter2-3.pdf

 

つづく

 

参考資料:金沢21世紀美術館のHP・ 金沢21世紀美術館パンフ・2007年から私が書いたり集めた資料・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』など

私が金沢21世紀美術館に嵌まった理由❸美術館ボランティア

【金沢(金沢21世紀美術館)】

前にも少し触れましたが、金沢21世紀美術館と私の出会いは、OPENした年(平成16年(2004)10月7日)の7月に発足した市民が運営する「友の会Zawartが主催する解説サポートスタッフ募集(ボランティア)に応募したことに始まります。

「友の会Zawart」は、平成15年(2003)6月、2年後に施行される「金沢市における市民参加及び協働の推進に関する条例」を先取として実施された「金沢21世紀美術館友の会準備会ripple21をOPEN時に「金沢21世紀美術館友の会Zawart」として発展的に発足したもので、記憶によると「友の会準備会ripple21」は公募で応募した49名(印刷業、デザイナー、教師、学生など)は、当時の山出保市長は大変の喜びようで全員を採用したと、当時の新聞で読んだことが思い出されます。

 

「友の会Zawart」は、美術館下請的別組織「会員募集」「各種サポーター(ボランティア)の募集」を担い、珍らしさと新しい物好きの若い市民には人気で会員募集は、1年半で約2000人も集まったものの、サポ一タ―(ボランティア)は、田舎者の金沢人でもボランテイアに参加するのにお金を払い、無償(スポンサーが付く時は有償・1回だけ)システム「友のZawartでは、なんぽ根性良しの金沢人の運営委員やボランィアでも不満がつのります。

(各種サポーターとは:(当時の美術館ではボランティアの呼称)、解説ガイド、ワークショップの企画や実施、作家手伝い、友の会の自主企画や友の会Zawartの運営など・会員募集とは、有償で特典のある一年間の期限付きの会員券(前売券)販売)

 

(当初、ボランティアの鑑賞ガイドが参加した企画)

 

私はその頃、「友の会Zawartに関わっていなかっので、聞いた話の受け売りですが、運営委員をなさっていた方によると、「各種サポーター(ボランティア)の募集」に対し「会員募集」の中から僅かなマージン(%)の手数料で請け負っていたので、市民参加及び協働云う観点から理想的ですが、しかし友の会Zawartの運営委員は寄せ集めで、他に本職を持つ兼業が多く、日本で“初めての市民参加及び協働を踏まえた新しいシステム“(当時職員が少なかったための苦肉の策か?)「友の会Zawart」は、美術館期待に応えられず?OPENの1年半の平成18年(2006)4月、システムが変更になり、ボランティア募集の窓口美術館総務課窓口になり、「友の会Zawart」が消滅して、何方でも応募が出来、友の会会員でなくてもボランティ活動に参加出来るようになり、会の名称もZawartが外され美術館で運営される様にりました。(当時の運営委員へ、間違っているところがあれば、教えて下さい。

(各種サポーターとは:(当時の美術館ではボランティア呼称)、解説ガイド、ワークショップの企画や実施、作家手伝い、友の会の自主企画や友の会Zawartの運営など・会員募集とは、有償で特典のある一年間の期限付きの会員券(前売券)販売)

 

(鑑賞ガイドが中止でブチマケタ長文投書の一部)

 

私の美術館デビューは、OPENの平成16年(2004)10月7日でした。仕事は市役所口の警備で、朝から来場者に笑顔で”ようこそ、いらっしゃいませ”とお決まりの声を掛け、まだ覚えてもいない迷路のような通路をチラシ頼りに伝え、聞かれれば、展示室やトイレへの近道を教えるだけの仕事でした。

 

 

オープンの式典は、役得で見られるかもと思って張り切って来たのに、同じボランティアで参加した同僚の目も有り、持ち場を離れる分けにも行かず、退屈していましたが、式典も終わり、そこで、私のボランティア活動に欠かせない1シーンがありました。私が長年ボランティア活動を続けられる力になっている大切なことになります。

 

   

      (山出保氏)

 

それは、60歳を過ぎて“暇つぶし”に参加したオープン当日、すべてのセレモニーが終わり、当時の山出保市長はお付きの人もなく一人疲れきった様子で、市役所口への長い通路をトボトボと歩いて来ました。そして私は、新聞の写真でしか知らなかった市長に“お疲れさま“と声を掛けていました。すると、余程、疲れていたのか?どこの誰かも分からない私に、なだれ込むように抱きつき、“ありがとう”だったか“あんやと”か忘れてしまいましたが感謝の言葉が返ってきて、ビックリしました。そして言い知れぬ感動を覚えました。

多分、山出氏はお忘れでしょうが、そのことが有って以来、私のボランティアは、単なる“暇つぶし”ではなくなっていました。そして、人に言ったら笑われますが、ボランティア活動は、市長は、どんな仕事をなさっているのかは存じませんが、自分勝手に想像して「市長に代理」だと思って取り組むようにしていました。あとで元市長に聞いたら、その事は覚えていないといっていましたが!!

 

 

(2005年3月4日・北國新聞「地鳴り」に投稿)

 

そして、私のボランティアの対象は、お客様は変わりませんが、兼六園金沢の町・歴史・文化だけでなく美術館現代アートから、さらに並行した参加した金沢市まちづくり市民機構では、アートセンターの企画や設立に関わることが出来、実りの多い第2の人生を過ごすようになりました。これらを通して出会った多くの方々、そして何よりも、普通に暮らしていると出会うこともない、ミュージアム・クルーズでの小学生と過ごす貴重な体験は、素直な目こだわらない心に気付かされるなど、学ぶことが多く、活動を通して得た経験は、当然「まいどさんの活動」にも大いに反映されています。

 

 

18年間の間には美術館では、一時、ミュージアム・クルーズ以外のボランティア活動は縮小され、私が目指した「解説ガイド」もその後、数回、ギャラリーツアー、ナビゲーターなど解説ガイドが終わってしまいます。それなりの理由があったのでしょうが、私自身は、一時、21世紀美術館のコンセプトの一つである「まちに活き、市民とつくる、参画交流型の美術館」では無いのではとか、おだてられて「梯子に登ったら梯子を外された」等と言いつのり解説ガイドの復活を願い、美術館へ文章での働きかけや上部団体へ投稿などもしたこともあり、当時、モヤモヤを引きずりながらミュージアム・クルーズを続けてこられたのは、美術館の職員やクルーズの仲間の皆さんとの長年にわたる交流や絆があればこそだと強く感じています。有難うございました。この場を借りてお礼申し上げます、次回は、ボランティア活動の内容を綴ります)

 

21美のHP

 

 

(当初、ボランティアの鑑賞ガイドが参加した企画)

 

つづく

 

参考資料:金沢21世紀美術館パンフ・2007年から私が書いたり集めた資料・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

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