帽子のハナシを書いてよかった。二人のイズミヤは、弟子であり、師匠だ。寺山修司はかつて、スボーツ新聞の競馬のコラムの中にひっそりと『詩は死であり、志である』と若き詩人たちに、究極の詩論を伝授した。便所の落書きのような詩論を、最後まで実践してくれた人を、他に知らない。私は思い出す。まだ咲かない、トゲだらけのニセカシヤのてっぺんで揺れたキャッブを。私は思い出す、その時のぬかるんだ黒いグラウンドと海鳴りを。そして私は時々思い出すのだ。路上にて泉谷と、道化のキスにの底に同じ涙を確認した日の事を。ありがとう!