先ずは宝塚歌劇ネタですが・・・
昨日は宙組大劇場公演の初日だったようです
早速ですがスカステで初日映像をやっていましたが・・・
フィナーレ銀橋並びは下手側から・・・
あおい副長-じゅんこさん-キキ-真風-まどか-ずん-寿組長、のようですね。
管理職間が詰まってえらくシンプルですが・・・まぁ愛異動・アッキーさん等が退団しましたから。
これで夢白さんが管理職の間(キキの隣とか)だったらそれこそぶっ飛ぶところですが、
さすがにそれまでの扱いではないようです。
今後はどうなりますでしょうか
~~~~~~~~
今日は仕事で福島県東白川郡棚倉町ってところに行ってきましたが
帰りに1時間程サボりまして棚倉城跡をちょっと散策してきました。
場所はココ
いわきと白河の間の山の中にある城下町です。
いわゆる関東地方と東北地方の境界にある要所ですね。
水戸~郡山間の国鉄水郡線沿いにある国道118号線。
棚倉市街(町街)の旧道はなかなか面白いです。
棚倉下町一里塚跡の標識。
一里塚、三里塚という地名は全国に残っていますよね
鉄砲町というバス停。
鉄砲足軽の居住区だったのだと察します。
こんなちっちゃい町なのになぁ
城下町だという事を如実に感じさせるクランク交差点。
「食違」とか「鍵の手」とか呼ばれていますよね。
現在では円滑な通行の邪魔以外、何ものでもないのですが
いわゆる旧街道ってヤツ。
散策してワクワクしますよ
棚倉城(亀ヶ城)址ももちろん散策。
失礼ながらこんな山の中にある小さな町なのに、こんな本格的な地割りの城があったとはビックリ
紅葉が見頃ですねぇ
良い雰囲気の城跡で散策には持ってこいです。
土堤を歩くのは楽しいものです
400年前の人々もこの風景を見たのかなぁ・・・ってね。
紅葉は赤いのですが、銀杏は黄色いですねぇ
畑俊六元帥は棚倉でお亡くなりになったんでしょうか
忠霊塔。
いわゆる忠魂碑でしょうが戦後に作られるのは珍しいのでは
こちらは忠魂碑。
明治年間に建立されたようですが、碑文はよく読めませんでした
なかなか良い城跡で驚きました。
旧街道には古い建築物もあります。
よく街並みでみかける「悔い改めよ」ってな掲示板は何だろうか
JR磐城棚倉駅。
昔はさぞかし賑わっていたんだろうなぁ・・・ってな痕跡はありました。
この前の台風19号の被害でまだ水郡線は全面復旧していません。
このまま廃線・・・とかは止めてね
丹羽長重(五郎左衛門)と立花宗茂(左近将監)って何ぞなもし
ですが・・・宗茂と長重は棚倉藩主だった時代があったんですね
非常に驚きました
立花宗茂と丹羽長重の共通点は・・・
関ヶ原合戦で西軍に与し、一旦は改易されて戦国大名として滅亡するものの
その後再封されて近世大名として復活すること
織豊政権で「有名人」だった戦国大名が再封される第一歩として棚倉藩(5万石)は丁度良かったのか
こんな山間地で5万石とは信じがたい石高ですけどね。