この前のお盆に東京に帰った時に、東京市小石川区にある茗荷谷周辺を散策してきました
帝都営団茗荷谷駅に下りるのは・・・高校生以来かなぁ
駅がビルになっちまったよ・・・
駅前にある筑波大学。
かつてココには東京教育大学大塚キャンパスがあったんだけどねぇ
教育の森公園になっちまった
江戸時代の古地図を眺めると・・・松平大学頭(守山藩松平氏)の上屋敷があった場所らしい。
木陰は涼しいですねぇ
昭和天皇が東京師範学校に行幸した際の記念碑有り。
占春園なる庭園があったらしいね、
近くにあるお茶の水女子大学。
そもそもは安藤長門守(磐城平藩安藤氏)の下屋敷のあった場所。
そー言やぁ、クイズ番組でよくある質問に
「日本には国立の女子大学は2つあります。お茶の水女子大学とあと1つは」ってのがありますな
跡見学園もあります。
ATOMIC(原子力)のアトミではなくて、跡見さんが始めた学校とのこと。
大昔は「ごきげんよう」と挨拶していたそうですが、トンだお嬢さん学校だったんだなぁ
拓殖大学もあります
日本のカルチェラタンは茗荷谷にあったんですねぇ
茗荷谷の谷底に下りて行きます
散歩の醍醐味。
深光寺には南総里見八犬伝の滝沢馬琴のお墓有り。
谷底に下りて更に小石川方面に坂道を上ると・・・
切支丹屋敷跡の石標があります。
そもそもは井上政重の下屋敷だったそうですが、それを江戸時代初期に強要されて
キリスト教を棄教した「転びバテレン」を収容する施設に転用したとのこと。
※
井上政重ってどっかで聞いたことがあると思ったら、講談社学術文庫の『江戸お留守居役の日記』に
出てきた幕府官僚だった人ですね。
極めて優秀で頭の切れる、それでいて各方面を調停して丸く収めようとする能力も優れた、
かなりの人物だったらしい。
布教のために日本に潜伏し逮捕され、拷問に屈して強制改宗させられた宣教師らが監禁された場所。
ジョゼッペ・キアラ(岡本三右衛門)とかが有名ですね。
ジョバンニ・シドッティと新井白石のエピソードの舞台になった場所でもあります。
シドッティの展示物も掲示されていました。
切支丹屋敷はキリスト教徒を逮捕監禁する場所であると共に、彼らを保護する場所でもあった。
物事は表裏一体なんですよねぇ
棄教を迫る為政者の政策において信仰を守り拷問死していった英雄がいた一方で、
拷問に屈して改宗に応じた者達も日本人欧州人問わず沢山いた。
彼らもまた人間であり、ある意味「普通の人々」であり、それも人の生き方として当然でもあったわけで。
いろんな人がいた・・・のは、あらゆる時代・地域問わない事実だと思いますよ。
近くの普通の家の表札の下に「シドティ記念館・国際寮」の表示有り。
カトリックの方の家かな
信仰って凄いなぁ・・・と感じます。
切支丹屋敷の近くに切支丹坂があったとの記録はありますが、その場所は諸説あり。
この切支丹屋敷跡から帝都営団丸ノ内線のガード下に向かう坂道が切支丹坂であるというのが
文京区教育委員会の見解のようですが異論あり。
丸ノ内線のガード下を抜けた・・・
庚申坂が切支丹坂であったと言うのが有力のようです。
江戸時代の古地図を見るとこの道が「キリシタンサカ」とありますから、
ここが切支丹坂だと思いますが・・・
意外と江戸時代と地割に変化がなく、当時の道もよく残っているのが不思議です。
ガード下って面白い空間ですよね。
自家用車が目一杯のような狭い隙間的空間が素敵なんだよなぁ