大阪紀行1・真田山公園付近を散策する | 乾パンのブログ

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前々から大阪に行った時に訪れてみたいと思っていた場所が大阪市天王寺区の真田山公園です。

1614年(慶長14年)の大坂冬の陣における最激戦となった「真田丸の戦い」があった場所・・・のようです。


本格的な散策はいずれまた・・・ですが、今回は現地を把握しようと軽く歩いてみました音譜

日曜日の早朝、ホテルを出立して市営地下鉄玉造駅へ地下鉄


駅から降りて(地上に登って)南側にあるのが空堀町。

道路の地割から見て、かつての大坂城外堀だったのは間違いないところ。




ここらが外堀があったらしい場所。

前方には真田丸本陣があったとされる宰相山公園が見えます。


冬の陣の和議によって徳川方が外堀を埋めますが、相当に急いで埋立した記録が残っています。

国土地理院のサイトを見ると、明治時代までこの辺りは所々細長く湿地帯が残っていたようで、

地盤が軟弱で高層建造物を建てるのは困難だと想像されます。



三光神社にある真田幸村像。

左手にあるのが大坂城からの抜け道だという洞穴ビックリマーク



大坂の役から400年ですか・・・

再来年のNHK大河ドラマは、真田丸で活躍する真田幸村を描くということですから、

この辺りも「観光地」になると思われます。




この微妙に湾曲した道路が真田丸の空堀跡なんじゃないかと地図から想像する場所。

真田丸も徳川方によって、徹底的に破壊されたとのことですが・・・




現地に行って分かったのは、思っていた以上に地形が複雑で高低差があること。

真田山は本当に山でしたあせる


何もない平坦なところに出城を築いたと思っていましたが、

そもそも自然の丘があって、そこを防御拠点に特化させた施設だったんですねぇビックリマーク

その最も強固な「要塞」に徳川方を誘引した真田幸村等の戦術は見事としか言いようがない・・・のかも。




陸軍騎兵第4連隊の記念碑もありましたが、ここは明治期~昭和初期まで騎兵隊の演習場だったようで。

学校や公園が集中しているのは、そんな由来があったからなんですね。

普通の住宅地だったら、もっと真田丸の痕跡は残らなかったと思います。




真田山から南に下った場所。

明治時代までここらには池があった模様。

この池も真田丸の防御施設として利用したみたいですべーっだ!


大阪平野は平坦だと思いこんでいましたが、やっぱり実際に歩いてみるとイメージが大分違いました。

大坂城~住吉区辺りまで上町台地が帯状に広がっているのは知っていますが、

実際に来て体感しないと分からないものです。



帰りは鶴橋駅に出ましたが・・・




鶴橋商店街もいつか散策したいとは思っていますが・・・

今回はまだ朝だったのでシャッターが閉まっていました。




東京でいうところの御徒町アメ横的なのでしょうけど、印象はまるで違うように感じられます。

私はビジターなのですが、「一見さんお断り」的ディープさ加減が半端なくて!?