今から225年前の1789年(寛政元年)6月20日は、フランスベルサイユに置いて
「テニスコートの誓い(球戯場の誓い)」事件が発生した日
詳しい概要は球戯場の誓いのWikipedia を参照してもらうとして・・・
第3身分たる平民が公然と国家体制(アンシャン・レジーム)に反旗を振りかざした出来事として、
フランス革命前夜の象徴的事件の一つとなりました。
そもそものフランス革命の始まりは、フランス王室に対する「貴族達の反乱」が発端。
貴族は平民を巻き込んで、国王VS貴族+平民という構図を作りますが・・・
ところが三部会における貴族と平民の対立から、平民は貴族たちの“伴食”という立場を乗り越え、
革命の原動力となり始めます。
(ここで言う「平民」とは大・中ブルジョワジーのことです。)
今日から7月14日のバスティーユ襲撃事件まで様々な出来事があって、フランス革命が開始されます。
有名なダヴィッドの「球戯場の誓い」。
政治的画家(画家的政治家)ダヴィッドは政治的変節の激しい人のように思ってしまいますが、
フランス革命~ナポレオン帝政期まで常に政治中枢内にいて、政治家や軍人達と親密だっただけあって、
歴史絵画の「英雄達」が生き生きと描かれていて、なかなか面白いのです
この絵画も登場人物たちも・・・
中央で机に載って右手を挙げて神妙に宣言しているのがノッペリ顔のバイイ。
右手側で両手を胸に当てて感激している感なのがロベスピエール。
イスに載って右手をかざして興奮しているのがミラボー。
おそらく1人1人にモデルがいるはずですが、きっと特徴を掴んで描いているのだと思います。
上手端でイスに座って、身を屈めているのが、平民で唯一宣言を拒否したマルタン=ドーシュ。
こういう「少数者」までちゃんと描いているのが楽しいところ。
なお、ドーシュは「変わり者」だったらしく、誰にも相手にされずに政治の表舞台から去っていきます。
でも彼の名前が今でもこうして語られるのは、この絵画のおかげですな
その中で、バイイの横にイスに座って、平然というか、むしろ心配そうに前を見つめているのがシェイエス。
「第三身分とは何か」というアジテーションから始まって、事実上ここまで会議を引っ張ってきたのは彼。
でも興奮している様子は全くない。
シェイエスは「こういう人」だったんじゃないかなと想像してしまいます。
ただし、この絵画が書かれたのは、2年後の1791年。
まだ「いろいろ意見はあるだろうけど、国王も含めてみんなで何とかしよう」という機運もあった頃だから、
このように描けたのではないかな
同年のミラボーの急死、国王一家逃亡未遂(ヴァレンヌ事件)辺りから、革命はきな臭くなっていき、急進化。
革命初期からの活動家達の多くは、亡命するか粛正されるかという運命が待っています。
バイイ、ロベスピエールを初め、この絵画の登場人物で刑死した人は幾人いるか
革命の進行に伴って、意見が食い違ったり、自ら去っていく活動家が出てくるのは致し方ないこと。
でもこれら「脱落分子」が、革命時から「いなかったことにする」というデマゴギーをよく見かけるのです。
ソビエトロシア・スターリン体制下のトロツキー・カーメーネフ・ジノヴィエフとかの扱いとかね。
逆にいなかったのに、いたことにする例もたくさん見受けます。
都合の悪い文献・絵画・写真類は全て抹消か改ざん。
少なくとも、このダヴィッドの「球戯場の誓い」はそういう目にあわなかったわけですから、
いろいろあったにせよ、フランス人にとってその後の歴史は幸いだったというべきかもしれません。