新橋駅の近く、新設された新虎通り(この通りは環状二号線の一部なんですね)沿い、
日比谷通りとのアンダーパス付近にある和菓子店の新正堂さん
このお店の名物和菓子が・・・切腹最中
そう・・・「SEPPUKU」です。
このお店がある港区新橋4丁目付近は、かつて一関藩主田村家の江戸上屋敷があった場所。
浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下で刀傷事件を起し、一時預かりとなったのがこの田村家の屋敷。
いろいろ経緯があって長矩は即日切腹となります。
元禄14年(1701年)のお話。
いわゆる「忠臣蔵」につながる「元禄赤穂事件」の発端となる出来事ですが、
現在の新正堂三代目の御店主様が、それにちなんで名付けた和菓子が「切腹最中」とのことです。
「切腹」とはインパクトありすぎで、不吉な感じのする響き・・・
「切腹最中」という命名を思いついて、家族に相談したら猛反対
顧客にリサーチかけたら、総スカン
そりゃそうだ
でも委細構わず売り出したら、切腹最中は新正堂の大ヒット作となって看板商品となりました。
店主様の「遊び心」すら感じるその発想力には頭が下がる思いです。
購入して食べてみると・・・
最中の「餡」が、「皮」をはみ出しててんこ盛り状態
ははぁ・・・「皮」がお腹の皮膚で、「餡」が切腹してこぼれ落ちた人の臓物っていう塩梅ですか・・・
スプラッター
これだけあんこが多いと胸焼けしてしまいそうだったのですが
大きな求肥が入っているし、あんこもしつこくなく、上品な甘さを感じる舌触り
内臓が語りかけます・・・美味い美味すぎる
やっぱり、商品そのものの美味しさが「切腹最中」のヒットの大きな要因でしょう
たまたま買いに行った時、御店主様が自転車で(配達から)帰っていらっしゃった時で、
二言三言、お話しさせて頂きましたが、凄っごく物腰が柔らかくて腰の低い方
私もこういう歳の取り方をしたいなぁ・・・と、ちょっと反省するところ大です
P.S.
実は元禄時代は最も切腹が「形骸化」した頃で、実際には「腹を切らなかった」そうで\(゜□゜)/
腹を切る短刀も扇子や木刀で代用し、実質的には介錯人による「斬首」と変わらなかった・・・
要するに切腹は武士としての「名誉」の問題だったというわけです
切腹最中を食べながら頭に浮かんだのは、「脱藩大名」と称された林忠崇の辞世の句
『真心の あるかなきかは屠りだす 腹の血潮の色に こそ聞け』
あんこがどうしても「腹の血潮」に見えてしまいましてね