異国の友のしあわせを | 風紋

風紋

鋼の錬金術師ファンの雑文ブログ



  リンとランファンに愛が偏っています

気はこの世のどこにでも存在し、互いに影響し合っている。
龍脈とはこの気の大いなるな流れで、王たる者はそれをあやつる力がある
とされているが、それは本当だろうか。
皇帝とは龍脈を感じとりやすい場を与えられた、龍脈の流れの意味を知り
それを広める役を担う者なのだろうとリンは思う。
その証拠にごく小さな雑多なものに流れる気は臣下のほうが読める。
「おそらくいい知らせがありますよ。」
昼間は黒装束を着こみ物陰にひそんで表に出ることのない腹心の臣下が
どこからともなく女官姿で現れ、文箱を掲げて微笑む。皇帝ではなくリン
個人に宛てられた書簡は彼女に扱わせている。ランファンはそれらを手に
とるだけでそのまとう気が読めるらしい。


文官・武官に囲まれる国の統治者としての皇帝の居場所は玉座だ。
そして夜の居場所は後宮と決まっていた。
しかし全民族をまとめて守ると誓ったからには、宦官の企み跋扈する後宮
に用はない。今、皇帝の私的な空間は機能的に改築したごく小さな殿舎だ。
譲位が決まると同時に権勢を求めて娘を差し出そうとする各部族の首長
たちにリンは早々に釘をさした。
「私はまだ二十歳にもならぬ若輩。即位したばかりなのに先帝の菩提を
弔ってすごす妃方を後宮から追いやるような無体はできぬ。」
先帝への孝を持ち出せば、異を唱えられる者はいない。
のらりくらりとかわせばいい。力を使うことはない。
世界は刻一刻と変化し続けている。もちろんシンも。
いずれはすべてこの国を俺の思う理想どおりにしてやろう。
俺は世界を手に入れるはずだった強欲の魂を継いだ男なのだから。


部屋に戻って湯を浴び、夜着に着替えるとやっと体がほぐれる。
「どうぞ。お茶が入りました。」
その声と前後して花のような芳香が鼻先をくすぐる。
茶卓に用意されたのは白茶とカリンの砂糖漬けだった。
ランファンはこうしたささやかな楽しみに心を配ってくれる。

寝椅子に横たわり淹れられたお茶と少々の菓子をゆっくりと味わい眼を
つむった。馴染んだ女のやわらかい声で読み上げられる親しい者からの
便りは安らぎをもらたしてくれる。
公務で膨大な量の書状に目を通すので私室に戻るともう文字は見たくない。
ランファンを陰の護衛だけではく私的な補佐をする女官にして、この役を
させたのは彼女のアメストリス語の能力を錆びつかせないためでもある。
ヤオ族の郷からの内通も彼女なら安心して扱わせられる。


一時帰国の途上で送られたアルフォンスからの西方の報告や、ヤオ族の郷
の作付状況などを聞いているうちにいつの間にかうとうとしていた。
それを破ったのはランファンの華やかな笑い声。
「どうした、一体?」
寝椅子から体を起こし怪訝な顔をしていると彼女は可笑しそうに封筒を
こちらへ差し出す。くつくつと笑いに震える彼女の手からそれを取り上げ、
裏がえして差出人を確かめる。それで得心がいった。押さえきれぬうれしい
笑みがこちらにもこみあげてくる。
『エドワード・エルリック / ウィンリィ・ロックベル』
連名の差出人。真っ白い上質紙の角封筒には誓いの鐘の模様が型押しされ
ている。切手はつがいの鳩の絵柄。
「これ、どう見ても結婚通知だよな。なぁ?」
「こんなかしこまった便りをしてくるなんて、あの男も大人になったもん
ですね。」
「とうとうというか、やっとと言うべきなのかな。」
「月日は偉大です。ウィンリィの教育もあるでしょうね。」
これはぜひご自身でお読みになってくださいと言う彼女を横に座らせ、
並んで封筒の中身をあらためた。
手紙はウィンリィの筆によるもので、春の羊まつりの日にリゼンブールで
結婚式を挙げること・今帰国中のアルフォンスのシンへの再留学は式が
終わってからになること・お互い両親が亡くなっているので結婚の証人と
してエド側は師匠のカーティス夫妻が、ウィンリィ側はピナコとラッシュ
バレーのドミニク氏が後見役をしてくれることなどが書かれていた。
『むずかしいことはわかっているけど、二人にはぜひ式に来てもらいたい
と思ってます。今回は無理でも、鉄道が通じたら私たちのほうから絶対に
会いに行くからね。』
手紙の末尾にはそんな飾らない言葉で締めくくられている。
エドワードからのメッセージはひとことだけ。二人並んで婚約指輪を見せ
て映っている写真カードの裏に殴り書きがしてあった。
『元々家族みたいなもんだったけど、本当の家族になることにした。』
「これだけですか。もう少しあいさつがあって然るべきものを。」
「笑えるな! これ絶対照れくさがってるよ、エド。」
「確かに。そう思うと結婚式、見ものですね。」
「残念。こっちの清明節とかぶってなきゃ、こっそりお忍びで祝いにいく
んだけどな。」
「次官が頭をかかえるようなこと、サラッとおっしゃらないでください。」
たしなめるランファンの声にも、アメストリスを懐かしがる響きが混じる。


「では、せめて異国の朋友として精一杯の祝いの品を贈るとしよう。」
「どんな贈り物になさいますか。」
「とりあえず結婚祝いの定番といえば羊50頭。」
「リゼンブールですよ。羊は人口の20倍もいます。」
「カザフ族ならいくらいても喜んで受け取るぞ。」
「シンのローカルな風習は通じませんってば。」
ランファンは以前よりずっと冗舌になった。軽口をたたく皇帝に誰かが
つっこみ返さねば冗談が現実になってしまうから当然か。少々いいかげん
な皇帝のまじめな補佐役は律儀につとめを果たしている。
「羊がだめなら婚礼衣装一式。」
「シンの伝統衣装ですか。村の結婚式としてはいかがなものでしょう。」
「エドはああいうやたら派手で満艦飾な服を喜びそうだぞ。」
「ああ確かに・・・あの男のセンスなら・・・」
思わず納得しかけて、ランファンはあわてて反論する。
「着方がわからないものを贈ってはかえって迷惑になるかと。」
「じゃあもういっそのことランファンが着て行けばいいよ。婚礼当日に
『私という女がありながらどういうこと?』って乗り込んだら面白いぞ。」
「芝居だろうと一瞬でもあの男に気があるふりなど御免です。」
本気で憮然とするものだからつい面白くてこういうからかいをしてしまう。
エドに対すると妙にムキになるのは相変わらずだ。


冗談は切り上げて本気で贈り物を考える。皇帝としての贈り物はできない。
ただの異国からの旅人として絆を深めた友にどんなものを贈ろうか。
ランファンの手元を見てふと思いついた。きっとこれがいい。
「記念になるものにしよう。ランファンはウィンリィちゃんに扇を贈って
やるといいよ。エドには俺が何か見繕ってやるから。」
「扇!」
ランファンの声がはずむ。
「扇なら洋装でも小物として持っていてもらえます。」
最近は扇が西の国でも婦人の装飾品のひとつとして普及してきている。
「いいと思うかい?」
「ええ、すごく。」
「じゃあ扇で決まりだな。」
「私、なんで思いつかなかったんでしょう・・・」
ひとりごとのようにランファンが小さくつぶやく。
ヤオ族は同世代の娘が義姉妹の契りを結び、互いが結婚する時に扇を贈る。
都に育ち同朋の友もほとんどおらずひたすら護衛として精進してきた彼女
の寂しさがそこににじんでいた。それをふりはらうように明るく尋ねる。
「ウィンリィちゃんにはどんな扇が似あうだろうね。」
「青がいいです、絶対に。ウィンリィの瞳の色に合わせて。」
勢い込んでランファンが言う。
「そういや向こうでは青いものが花嫁の縁起物なんだっけ。」
「サムシングブルーですね。」
金髪の花嫁が纏う白いドレスは春の新緑の日差しのなかでどんなにまぶしく
輝いて見えるだろう。そこに羽根を休める蝶のような扇の青はきっとよく
映えるに違いない。扇面はごく薄い紗の生地に濃い色で吉祥紋様を刺繍を
させよう。女文字で祝いの言葉を入れさせよう。骨には螺鈿のきらめきを
添えて。職人に出す注文のあれこれを考えながら彼女に告げる。


「清明節の仕度のついでだ。扇を特別に作らせよう。ランファンのも色違い
で作らせてお揃いで持てばいい記念になる。」
「ありがたいお心ですが、可愛い妹君を差し置いてはいただけませんよ。」
恐縮することもなく自然にへり下るから、ランファンとメイの仲は今では
最初の頃が嘘のように睦まじい。各部族のとりまとめは難しいことが続い
ているが、この二人を見ていれば捨てたもんじゃないと思えるのだ。
「メイには扇だけじゃなく衣装ひと揃い。俺の代りに行くんだから。」
先祖の墓に一族郎党が集う清明節は大切な行事だが、ここは生きている者
のほうを優先させてもらおう。アルフォンスを慕っているメイには行事
よりアメストリス行きを命じることにする。それくらい当然だ。元老たち
に文句は言わせない。


「清明節じゃなくて結婚式の客なんだから、メイの衣装は洋装がいいな。
シン風ドレスを仕立てさせようか。ランファンはどう思う?」
「伝統衣装より快活でいいかと。あちらの方の思うメイ様らしくて。」
「アメストリスでメイが着てたのは桃色の短袍に紫の被き布だったよな。
あの色なら祝いの席に華を添えられるだろう。列席できないのだからラン
ファンも扇で気持ちだけでも繋がるように。」
「そういうことでしたら祝いの扇、ありがたくいただきます。」
「では大切な臣下には忠義の赤を。可愛い妹には紫で扇を造らせよう。」
これで梅の名をもつメイが紫蘭の色、蘭の名をもつランファンが紅梅の
色をもつことになる。この錯綜は贈り主の悪戯心としておこうか。


「ひとつお願いをしてよろしいですか。」
改まってランファンが言う。
「言ってごらん。」
「私の扇には骨に鉄針を仕込んで作らせてください。」
「何、鉄扇にするのか。」
「せっかく扇舞を覚えたのですもの、いざという時に使いたいんです。」
目を輝かせて言い募るランファンに苦笑してうなずくしかない。
主君の苦笑に気づきながらも、すました顔をして彼女は礼を言う。
京劇の隈取では赤は忠義者の色。しかしそれ以上に赤は花嫁の色だ。
それを知って受け止めたうえでの彼女なりの牽制だろう。
宮中で表向きの働きもつとめだしてから彼女はしたたかになった。
「扇作りの職人から物騒な女官がいると噂になるかもな。」
ちょっとした皮肉も気にせずこちらへ言葉を返してくる。
「私がひどく物騒な女だということは陛下が一番よくご存知でしょう。」
上目づかいの目が前髪のあいだからこちらをうかがう。こういうことを
言うときの彼女はなぜこんなに妖艶なのだろう。笑みを含んでこちらを
見返すランファンの目に引き込まれるように手をとった。
「ああ知ってるさ。文字通りに抜身の刃を呑んでいて、いつ寝首をかかれ
てもおかしくない女で」
肩を抱いてまっすぐこちらを向かせる。衣の下で機械鎧の起動音がするが
気にならない。見つめたまま額がつくほど顔を寄せてささやいてやる。
「だからこそ俺をいつでも誠実で正しくあるように向かせてくれる羅針盤
のような女だ。」
彼女の頬のあつさがそのままこちらに伝わった。唇を吸うとやわらかい体
が胸にもたれかかってくる。
「リン・・・さま。」
「俺も家族が欲しいよ。」
ランファンは無言の抱擁で答えを返してきた。




やがて5月。
新緑のリゼンブールでエドワード・エルリックとウィンリィ・ロックベル
の結婚式が羊祭りの日に行われた。それぞれが両親との縁のうすい子らで
あったが、幼なじみとして助け合い新家庭を築くまでに成長した彼らを
村じゅうが大いに祝福した。
ラッシュバレーからは技師仲間たちがやってきた。何かと世話になった軍属
たちも大勢やってきてはお祝いとひやかしの言葉を次々にかけた。
シンからはメイがリンの代理として祝辞を贈った。
薄桃色の絹地に紫蘭の紋様が織り出されたシン風ドレスのメイは初々しく
も華やかで、「あのちっちゃかった女の子がこんな綺麗な娘さんに。」
と以前の彼女を知る列席者からは感嘆の声があがった。
祝辞の最後にメイは自らの扇をひろげて見せ、ウィンリィに贈る扇を取り
出して言った。
「遠く離れていてもあなたのことを思っている。月日が経とうと私たちの
友情は変わらない。そういう意味がシン語で書かれています。異国の友と
して祈ってますから、どうかおしあわせに。」
手をとって受け取るウィンリィの大きな青い瞳に涙の膜が浮かんでいた。


皇帝リンからエドワードへの贈り物は薬籠だった。
掌におさまる大きさの色糸の提げ緒のついた薬籠は「今の君には銀時計
よりこちらのほうが似合うだろう。」という言葉とともに贈られた。
薬籠のなかには蓮の種が入っており、これを育ててシンの朋友を思い出し
てくれとアメストリス語とシン語両方の手紙に記されていた。
ふるいスープ皿を水盤がわりに活けられた蓮の種はよく育って、勝手口の
水桶から村の貯水池へとその生育場所を移し、やがてリゼンブールの初夏
を淡い色彩の大きな花弁で彩るようになった。


その蓮の種はシンの古い王家の霊廟に納められていた数百年前のもので
あり、シン語の手紙の後半はクセルクセスの生き残りが息子ふたりを残し
た逸話になぞらえてこの蓮のように思いはずっと伝わっていくと詠んだ詩
であると判明したのは、後年の話である。





あとがき:
環咲蓮一さまからずっと前にいただいていた「エドウィンからリンランに
結婚通知がくる」というリクエストにおこたえしてのss。
本当に長くお待たせしてしまいました。
花嫁ウィンリィの青い扇は、シャガールの有名な絵からヒントをもらって
おります。