獅子を噛む | 風紋

風紋

鋼の錬金術師ファンの雑文ブログ



  リンとランファンに愛が偏っています

【今回の交流使節団に反アメストリス思想の活動家が潜入したおそれ有り。】


当日になって本国から打電された情報ははなはだあいまいなものだった。
デマに近いものだがを黙殺することもできず、現場に判断を丸投げすること

しましたという裏事情がそのまま見えるような内容である。
皇帝自らが訪問する今回のアメストリスとの文化交流事業はシンの民にも
広く告知されその参加者も多い。事前の人物審査は厳密にされているはず
だが、本気でアメストリス外交の妨害を考える輩ならばその真意を隠して
いるだろう。だが百名に至る使節団の目があり、しかも技芸者には腕に覚
えのある者も多い中で、怪しまれず妨害活動を完遂するのは困難。
―――よって警備は通常通り。
近衛の護衛官も皇帝も同じ判断を下された。
近侍の侍女として異国の民の目を楽しませるよう意識した衣装を身につけ
たランファンは、ひそかに護衛としての意識を張りつめさせた。
―――ものものしい警備は無粋。
武力以外で相手を圧倒するのが国際上に於いても洗練されたやり方だとい
うリン・ヤオ皇帝の意志は尊重しつつ、陰で任務のために全力を尽くす。
それが皇帝の護衛となったランファンの流儀だった。


文化交流の催しが行われるこの劇場はアメストリス随一の規模だという。
開会のセレモニーのあとは、ごく一部の者しか立ち入れない天井桟敷の席
に移動できるのでそちらは問題ないだろう。気がかりはそれまでの、シン
とアメストリス・軍部と市民が一同に会する式のあいだの安全だ。
開会まであと少しとなり、ランファンはリン皇帝と近衛官に断って会場を
もう一度確認にまわることにした。先にも警備の精鋭たちがさりげなく巡
回して不審な物や人物がないことを確かめてはいるが、打電の内容が妙に
頭に残り落ち着かなかった。
劇場の入り口では所持品とボディチェックがされていた。これなら一般市
民に紛れてテロリストが物騒なことをしたくてもできないだろう。主催者
のお偉い方々に近づける出演者たちは更に厳しいチェックを受けているの
で、妨害のテロ活動など起こしようがないはずだ。
会場に詰めかけたアメストリス市民は皆なかなかに身なりがよく、華やか
な場に参加できることへの期待で高揚した顔をしている。あやしい気を放
つ者はいないようだ。シンの使節団と隣り合った者のなかには、片言のシ
ン語で話しかける好奇心旺盛なアメストリス人もいた。その向こうには反
対に、若いアメストリスの娘を何やら懸命にかき口説いているシンの雑技
団の若者。まったくもって、こういった男の熱心さというものにはいつも
おそれいる。


口説かれていた娘は踵をかえし後方の席へ向かった。残念ながらあの若い
男の執心は叶わなかったらしい。髪につけた青いリボンの目立つその娘が
自分のすぐ脇を通り過ぎて、ランファンはふと違和感を覚えた。
この会場の女性たちからはシンのものとは違う化粧品や香水の匂いがして
いたが、彼女からはその装いとは不似合いな工場の揮発油の匂いがしたか
らだ。工員をしている娘が珍しい催しのために精一杯着飾って来ているの
なら、そんなこともあるだろう。ウィンリィのような子だっているんだし。
そう自分を納得させてランファンは主の控える席へと戻り始めた。



照明が暗く落とされる。いよいよ開会なのだろう。
ランファンがリン皇帝の傍らへ戻ったのとほぼ時を同じくして緞帳の前に
司会者が現れ進行を始めた。
―――まずは座開きの余興に、シンのライオン・ダンス=獅子舞を披露し
この会の成功を祈念します。
緞帳が開き白と金、二頭の獅子がうずくまっているのが見えた。
シンの獅子は想像上の神獣で魔をはらい福を呼び寄せるものです、という
説明がおわるのと同時に銅鑼の音が響く。獅子舞のはじまりだ。


シンの獅子舞は前足役と後足役、二人がかりで一頭の獅子を演じる。前足
役は大きな目玉と開閉する口の獅子頭を動かし、後足役はそのあとに従っ
て歩き、愛嬌あるしっぽを動かす。二人の体は獣に見立てた毛皮の脚絆の
足元以外、獅子の胴を模した布の下に隠れて見えない。人間がなかに入り
動かしているつくりものの獅子だが、演じる者の技術によってまるで本当
に生きているかのように見えるのだ。


大小の銅鑼とシンバル、太鼓の演奏にあわせて二頭の獅子は動き出した。
ライオンというにはあまりにかけ離れた姿に奇妙なはりぼてを見る顔を
していたアメストリス人が、目覚めた獅子が活気づいていく様子に一気に
引き込まれていく。白い獅子と金の獅子ははじめはゆったりと歩いている
だけだったが、お互いの姿に気づくと立ち止まった。見合って威嚇するよ
うな動きのあとに、ぐるぐると円を描くように相手の尾を追う。絡まって
いた二頭の獅子は大銅鑼の音とともに弾かれたように舞台の両翼に離れた。
にぎやかさを増す音楽にあわせ互い違いに見得を切るようなポーズをとる。
すっかり会場はシンの獅子に魅了されていた。


やがて楽人が奏でる音楽の調子が変わり、獅子たちは客席を練り歩きはじ
める。獅子舞では恒例のことだが、アメストリス人には馴染みのないこと
だろう。舞台を降りすぐ傍を歩く獅子に観客は物珍しげに身を乗り出して
見入る。そんな彼らの間を獅子は頭を左右に振りながら歩き回る。
拡声器から、シンではこの獅子に噛まれると健康と幸福に恵まれる言い伝
えがあると司会の説明する声が流れた。
白い獅子は十歳くらいの男の子の前に来ると、獅子は何度か口を開閉した
のちその子の頭を噛んだ。
「うわー、食べられちゃうよ!」
そう悲鳴をあげながらおどけてみせる男の子に場内は笑いに包まれた。
一方、金の獅子は車椅子に乗った老婦人に遠慮がちに噛みついていた。
あらまあ、まあどうしましょうと連れに向かって何度も言う老婦人の表情
は華やいでいる。老婦人にやさしく撫でられて金の獅子は首を振ると次へ
と向かった。小さな女の子が「ライオンさーん。」と甲高い声で呼んでい
る。獅子が体を大きく揺さぶりながら前に来ると、女の子は棒つきキャン
ディーを差し出した。金の獅子は口を開閉し食べる真似をする。こんどは
どっと笑いの渦が巻き起こった。


白い獅子はすいぶんと後方まで練り歩いていた。何かを探すような素振り
をしていたが、青いリボンの若い女性の前に来ると彼女に噛みつく。一度
では済まず二度三度。
どうやら白い獅子の獅子頭はさっきのふられ男だったらしい。つれない娘
を獅子の姿でまで追うとは懲りない奴だ。
そう思ったところで獅子の口のなかに光るものを見つけ、ランファンは
ハッとした。今までなかったものを獅子頭の男が持っている―――
何かが受け渡されたのだ。あの青いリボンの娘から獅子頭の男へ。
わざわざこんな時、こんな形で渡すのは何かの企みがあるはずだ。
あれは何だ?
形からして銃器ではない。爆弾などでも。
ランファンの目は銀色のものの正体をとらえた。あれは酒など入れて持ち
運ぶスキットル。だが中身はきっと危険物。何だ?
(そうだ、ガソリンだ!)
あの時の、こんな女性には不似合いな匂いという直感は正しかった。
獅子はこの練り歩きのあと舞台に戻り、甕の酒を飲んで酔う演技をする。
もうすでに観客の目が逸れているうちに舞台の中央には白酒の大きな甕が
据えられているのだ。
白酒のアルコール度は60°超。スキットルのガソリンだけでは少量でも、
白酒と混ぜて適当な布の芯に火をつければ―――
白酒の甕はそのまま火炎瓶になる。
座開きの余興の舞台上に時ならぬ炎があがればこの会はめちゃくちゃだ。
銃器や刀剣などでなくてもテロは出来るということを改めて思い知った。
だがそれをさせてはならない。絶対に。


(とにかく白い獅子を甕に近づけてはいけない。)
お仕着せの衣装の飾り紐をほどいて端を口にくわえる。ひらひらした袖を
まくり上げたすきがけをして左胸の脇でしっかりと結び目を作った。いざ
という時のために衣装の下に袴下を身に着けていたが、長い下裙は走るの
に邪魔だ。裏地の鮮やかさを見せるために入った深いスリットのところで
縫い合わせを両手で引き裂き、腰にからげて結びつける。戦闘態勢完了だ。


獅子は体を揺らしながら甕に向かっていくところだった。
「貸せ!」
太鼓を叩いている楽人から頭巾を奪った。突然のことに楽人は慌てたが、
演奏をやめることもできず呆然とされるままにバチを持った両手を動かし
続けている。頭巾をきちんと被りなおす暇はない。頭巾布を幅広の鉢巻に
して目深に締める。棒紅で目のふちを赤く隈取った。面がないのでこんな
ことでしか顔を隠せないがなんとかなるだろう。
ランファンは地面を踏みきって大きく跳躍し、獅子たちの前に躍り出た。
いきなり独楽のように旋回しながら踊り出てきた舞手に獅子は戸惑い動き
を止める。


(どうする?)
獅子を甕に近づけるのは阻止したが、このまま舞台が止まっては困るのだ。
金の獅子は何かのトラブルを感じ取ったようで、楽人の音楽にあわせ体を
揺すりながら動かず様子を見ている。
白の獅子は、少なくとも獅子頭の男はやる気のようだ。ランファンの隙を
うかがい甕に火をつけようとじりじり間をとっている。
甕の酒を飲んで酔った獅子がご機嫌に寝転んだところから、終盤の盛り上
がりへ向かいフィニッシュに至るのが本来の筋書きだ。火炎瓶による放火
を阻止するには白い獅子頭の男を無力化するしかない。しかし舞子が獅子
を倒しては、舞台がぶちこわしだ。それになんといっても獅子はアメスト
リス国軍の紋章なのだ。友好の証にこの演目を持ってきたのに、その獅子
を倒すことはできない。


(どうする?立ち回りに見えぬよう無力化するにはどうすればいい?)
ランファンの迷いを察知したように、白い獅子が彼女に向かって突進して
きた。咄嗟に獅子の首、つまり獅子頭役の肩をつかんで止め、
―――接吻をした。おもいきり大仰に。
観客がワッと歓声をあげる。
獅子は美女の色香に惑わされたように目をまわし脚を折って座り込む。
実際のところは、観客から見えないほうの脚でランファンが男のみぞおち
に思いっきり膝蹴りをくらわせたからなのだが。
完全に虚をつかれたのか男はあっさり崩れ落ちた。膝をつき倒れかけるの
を胸ぐらを掴んで支え、ガソリン入りのスキットルを奪う。
「大人しくしろ。何かすれば次は刃を喰らわす。」
目的を阻まれたと知り、男は力なくうなずき腹をおさえてしゃがみこんだ。
「そのまま伏せてろ。」
後足役に命令するとランファンは獅子から一歩退いて周囲を見渡した。
楽人たちは演奏を続けながらも段取りにない動きにうろたえている。


(どうする?)
もうこれ以上うまく誤魔化すことは出来ない。演目を終えて欲しいのに
どうしたらいいのだろう。
完全に進退窮まったと思ったところに、救いの声がかかった。
「好(ハオ)! 好了(ハオラ)!」
リン皇帝が舞台を褒めそやすお約束のかけ声を入れたのだ。
楽人たちは段取りを思い出したように最後の盛り上がりの演奏をし、金の
獅子は派手な見得を切った。
小銅鑼と太鼓の音は断続的に早く大きくなり、最後に大銅鑼が盛大に鳴ら
されて獅子舞はフィニッシュを迎えた。
金の獅子の口から細長いものが出ているのを見て、ランファンは白い獅子
に寄り「出せ!」と命令する。
『酔獅歓迎』『如意吉祥』
二頭の獅子の口から取り出された巻物にめでたい文字が躍る。
裏にはちゃんとアメストリス語に訳したものが書かれており、横向きに
拡げて観客に見せると盛大な拍手が巻き起こった。
金の獅子は獅子頭も後足役も顔を見せてお辞儀をし、客席に手を振る。
白の獅子はまだダメージが残っているのを、ランファンが首根っこをつかみ
引きずるようにして舞台袖に引っ込ませた。
そしてそこで待ち構えていた近衛の護衛官に話すと、すぐに拘束させた。



息がまだ弾んでいたが、乱れた服装をなおし頭巾を楽人へ返して顔を洗っ
てランファンはリン皇帝のもとに戻った。
「突然持ち場を離れてしまい、申し訳ありませんでした。」
「いや、あの場合適切な判断だった。」
リン皇帝は余裕のある鷹揚な態度でそう応じる。
「陛下も獅子頭の使い手の企みを見抜かれたのですか?」
「おまえが気付いたのと同じだ。あの女性との接触は不自然だった。何か
物騒な物が渡ったと思った時にはもうおまえが飛び出していた。」
「申し訳ありません。阻止しなくてはと夢中で。」
「内心慌てたけど、おまえなら任せて大丈夫だからね。そのまま首尾を
見守らせてもらった。」
「あの時かけ声をいただかなかったら、危うく舞台が立ち往生するところ
でした。」
「俺も伊達に道楽皇子をやってたんじゃないよ。あれは絶妙の間合いだっ
たろう?」
ヤオ家の道楽皇子、芝居狂いと揶揄されていた皇子時代はランファンも
よく知っていた。
「はい、私も楽人もあれで我にかえって締めにまでもって行けました。」


進行係に丁重に促され、リン皇帝は開会の辞を読み上げたグラマン大総統
の隣へ向かい、堂々と開会宣言をして天井桟敷の席へと引き上げた。
他の者の耳目がないところに来て、ランファンは改めてリン皇帝と先ほど
起こったことについて話しあい、ねぎらいの言葉を受けた。

「何にしろアメストリス側に気取られず収められてよかった。」
生真面目なランファンはそれでも浮かない顔をしていた。
「私や警護の者へのお咎めはなしですか?」
「何も起きなかったんだ。何故その必要がある。」
「でも実際は起きていました。懲戒ものです。」
「ならば反省のしるしをもらおうか。あとでおまえから、獅子にしたのより
ずっと熱いキスをひとつ。いや、ひとつじゃ足らないかな。」
さっきの棒紅で引いた隈取りが残っているかのように、彼女の目元が真っ
赤に染まった。



放火未遂事件はアメストリス側に知られることなく処理できた。
獅子頭の男はアメストリス北東部の反軍部活動の盛んな鉱山に短期の出稼
ぎに行ったことで過激な活動に目覚め、今回のことを起こしたらしい。
打電の内容はそう間違ったものではなかったのだ。
青いリボンの娘をガソリンの受け渡し役にしたのは、反軍部活動の者たち
にはシン国人だらかかあまり相手にされず、彼女くらいしかアメストリス
で頼れる人がいなかったからだという。テロの片棒を担がされるかもしれ
なかったあの娘は、スキットルの中身は知らなかったけれど彼をあまりよ
く思っていなかったので迷惑だったと語った。
未遂に終わったのは組織に関係ないスタンドプレイだったからで、国際
問題にせずに済んだが、交流が進むこれからは問題が増えていくだろう。
それは頭の痛いところである。



交流事業は盛況のうちにつつがなく終わり、シン・アメストリス双方に
喜ばれる意義のあるものになった。
オープニングの獅子舞はアメストリス市民に大きな印象を与えたようだ。
新聞にはグラマン大総統の顔をした獅子が美女に接吻され骨抜きになって
いる風刺画が載ったり、『シン国美女たちの競演』という見出しの舞劇や
雑技の演者たちを撮った写真のなかには、獅子に絡むランファンの姿まで
が混じっていたりした。
リン皇帝は「うちの護衛ときたら、獅子にまで噛みつく烈女なんだ。」と
この写真をしばらく親しい身内の笑いの種にしていたという。







あとがき:

あるフェスに参加した時神戸南京町華僑の皆さんによる中国獅子舞を見て
『酔獅歓迎 如意吉祥』の文を使えるかも!とメモっておいたことから、この

お話が出来ました。
私のなかで中国獅子舞と沖縄獅子舞と龍踊りがごっちゃになってる為いろ
いろ調べなおしたのですが、結局厳密に正しい獅子舞を書いていません。
でもだって中国じゃなくてシン国なんだものw       書けて
皇帝付きになっても血の気の多いランファンが立ち回りで活躍するのを
書きたかったので満足。カッコよく書けたかはあやしいですが。