まなざし | 風紋

風紋

鋼の錬金術師ファンの雑文ブログ



  リンとランファンに愛が偏っています


出立は慌ただしかった。


人目をはばかるようにこの国の首都を後にしたそのとき、背後に感じた
視線はいつもの孫娘のものと少し違ったような気がしてフーはもう一度
振り返った。乗り合い馬車は馬の蹄の音とともに煤煙ですすけた街から
遠ざかってゆく。連れの若い女性軍属は無事に首都を出られたことで気
がゆるんだようで、隣で目を閉じて座っている。
不老不死の法を主君と共に探しにきたフーは、陰謀により咎を被せられた
この国の女性軍属を故国に連れ帰り匿うという任務を新たに負った。
護衛として仕える主君のもとを離れねばならぬ自分を孫娘のランファンは
「心配しないで下さい。若のことは全力をもって私が。」
ときっぱりと言って見送った。
その視線には命を張った務めをする者特有の、大気に浮かんだ塵をも焦が
しそうな切迫があったがそれ以上の何かがあった。それは一族の大婆さま
に見送られたときのような、遠い空の下にあってもこの者らをしっかりと
懐に抱きとめていようという深い情のこもったまなざしをふとフーに思い
起こさせた。


山地に住まうヤオ族の女たちは、焼畑で得られる穀物だけではまかなえな
い食い扶持を稼ぎに渡り歩く男たちを待ち、家を守るのを自分たちの大事
な役目としている。塩商いや薬種その他の斡旋で渡り歩く男たちは各地の
同胞を通じて家族の消息を気にかけ、女たちは時折もたらされる便りを楽
しみとして刺繍細工に精を出す。そして男たちの守り主として祈る。
大瑤山から遠く離れた王都の育ちである孫娘にも、やはりヤオ族の女とし
ての守る者の持つたおやかさがやはり備わっていたのだろうか。
いや、むしろそれよりも、戦う者としての意思の強さをもつことで頑なに
抑えてきた本来の娘らしい情感が、その意思を損なうことなく滲み出した
ようにフーには思えた。



―――あの娘は名実ともに一人前の女として歩き出したのだろうな。



それはごく幼い頃から孫娘の成長を見守ってきた爺には相当な寂しさと
若干のこそばゆさを覚えるものだった。



―――ランファン。おまえがこんな目をするようになるとはな。



最初にそれを感じたのはいつだったろう。


若は王朝内での立場を固めるために宮中の学問所へと幽閉されたかのよう
な生活に入り、ランファンは護衛としての鍛錬を積むことになって、一切
の接点を断っていた、あの数年間のうちのいつのことだったか。


一族のなかの力を読み違えたうつけ者が、錬丹術を悪用し若の上の十一人
の皇子の暗殺を企てるというとんでもない事件を起こしてヤオ族全体が皇
帝陛下の不興を買った。ヤオ家お抱えの錬丹術師はすべて術が使えぬよう
刑を課され、ただ生まれがヤオ族であるというだけの術師さえ、錬丹術を
捨てさせられた。ある者は道士として廟へ入り、ある者はただの薬草売り
として流浪の暮らしを続け、ある者は自暴自棄になり怪しげな薬に酔って
破滅するように死んだ。ヤオ族の錬丹術師はそうして滅び絶えた。
犯人の男・クーロンの極刑は若が言い渡した。それは皇帝からもたらされ
た、若への無言の処分だったのだろう。若はまだ十歳で、クーロンは若が
兄のように慕った教育係だったのだから。


自分は若に近侍することを禁じられ、近衛を志す同胞の若者たちの指導を
して雌伏していたあの頃。
侍女というには幼なすぎ、ご学友とさせていただくには身分の足りぬラン
ファンはそれまでのように護衛見習い兼気のおけぬお世話役の小姐として
若のお側につくことが叶わなくなった。
ランファンは若を守りきれなかったと詮無い自責の念でしばらくふさぎ込
んでいたが、ある日意を決したように強い目をして言った。
私は護衛になります。鍛錬を積んで優秀な護衛になり、一生をリン様に仕
えますから私を鍛えなおして下さい、と。


ただ一人の孫娘への感傷に似た思いはその日から封じた。
力自慢の少年たちに交じり必死で食らいついてくるランファンにことさら
厳しい修行を課した。その間には同じ宮中にありながら、若の顔を見るど
ころか消息を送ることすらできなかった。王家に忠実で優秀な皇子である
べく学問を積む若には新しい護衛という名の監視がついていた。


それでも時折、遠くから若の姿を目にすることがあった。
偶然、格闘の試技を行っていた中庭からふと、楼へ向かう回廊を渡ってゆく
若の姿を認めて思わずランファンのほうを窺うと、あの娘は既にその方に
目をやり強い目でひたと見据えていた。
それはごく一瞬のことだったが、あまりにもひたむきで胸が詰まった。
あの頃のランファンには若を恋い慕うというような思いはなかっただろう。
その目は生き別れたきょうだいを求めるようなものだった。


若のもとに再び近侍できたのは、若が十四歳になられた時だ。
学問所での修養を終えられ、青年皇族としてあらためて房を与えられた若
は私的な家臣として自分とランファンを任命してくださった。
春節の宴を終えて盛装のまま房に戻られた若と四年ぶりに近しく対面した
ときは、そのご成長ぶりに目を瞠った。
十二の歳には生母さまのお背を越されたと聞いて、ではきっと自分の背も
越して大きくなられていることだろうと思っていたのだが。いざ本当に顔
をあわせ、その目が自分の目よりずっと高いところで、以前と変わること
なく微笑んでいるのを見ると胸がいっぱいになり
「ご立派になられましたな。」としか言えなかった。


ランファンはただ畏れ多いのか硬くなり無言でかしこまっていたが、若が
声をかけ顔をあげさせてからは一瞬も目を離さず若の目を見続けていた。
あれは半ば呆れ感嘆していたのだろう。これが自分の知る、脱走癖があっ
て大食いで抜け目なく立ち回るくせに人なつこい、あの小さな『リン様』
だった人なのかと。
あまりまじまじと見ているので肘で小突いて止めさせると、ランファンは
顔を真っ赤にして俯いてしまったものだった。
お小さい『リン様』への追慕の思いはそうして霧散し、ランファンは次の
玉座を狙う野心あふれる青年皇子である『若』へ、また違った感情を持つ
ようになったのだろう。
その感情を持つことはあらかじめ禁じられていたからこそ、あの娘はそれ
を苦しい恋だとも思わずに、ただ若への忠義を尽くしていた。
ひたすらに若の身を案じ、その向かう先を邪魔立てするものを排除するこ
とに躍起になってしばしば自分の身の安全を後回しにした。
命を張って務めを果たし戻ると、若からおまえは血の気が多くてひやひや
すると叱責されたりして、そのたびにランファンのまなざしは揺れた。


あの娘のまなざしが微妙に色を変え始めたのはいつだったろう。
不老不死の法を求めて旅に出るのはヤオ族の男として当然のことと、若は
他族の皇子たちを尻目に自分とランファンを旅の供にしてシンを出た。
夜、休む前に隊商宿の中庭に出て空を見て星を読み、翌日の行程を確認す
るのは砂漠に入ってからの若の日課だった。
そんなある夜に少し離れたところに控えていたランファンが、若のほんの
わずかな目配せに従い隣へ立って同じ空を見上げていた。
あのときの目はどこまでも共にありたいと願う目だったと思う。
若の目にそれと同じ色があるのに気づいて、自分はそっとその場を離れる
しかできなかった。


次の時代を切り拓く若に、間もなく幕を下ろす時代の決まりごとをもって
いさめることなど意味を持ちはしまい。
ならばこの自分に何が言えよう。
己にできるのは見守ることだけだ。
賢者の石を持ち帰りこの旅を恙なく終えることができたとき、若はきっと
次期皇帝の座に手をかける。
その時ランファンはどんな目をして若を見るのだろうか。
遠い日に見たあえかな夢のように切なく見送ることになるのだろうか。
それとも・・・


今も遠く見守っているだろうそのまなざしを思い、フーは故国への旅路を
進む馬車の揺れに身をまかせた。








あとがき:


色ボケた話のあとの気分直しに、ちょっとシリアスなフー爺様視点のお話。
ランファンは幼少時からリンに仕えてるけど、いちど引き離されたことが
あって「リン様を守りきれなかった。」という思いから護衛としてひたむき
になっているというマイ設定がずっと前からあります。
ドラマCD『流星計画』は偶然にそれと矛盾しない内容だったので、自分の
『降りかかる雨 振り返るとき』という本でクーロンにより引き離された
彼らの過去を書きました。そんな過去を思い返すフー爺さまです。
ここらへんの話は、恋心を自覚するリン/ランファンというテーマで
いつかちゃんと書きたいと思っています。