絹と明察 | 風紋

風紋

鋼の錬金術師ファンの雑文ブログ



  リンとランファンに愛が偏っています


それは、異国の色鮮やかな小鳥が飛び立つようだった。




『絹と明察』





 イーストシティにある軍ホテルのバンケットルームは華やいだ雰囲気に
つつまれていた。長く寸断され、それに伴い国交もほとんどなくなってい
た隣国・シンとの横断鉄道再敷設の調印式が先ほど行われ、両国の親交を
深めるためのレセプションがこれから始まるのだ。
 グラマン政権になってから近隣諸国との戦闘は休止され、特にシンとは
砂漠化という物理的疎遠以外には大きな問題もなかったため、アメストリ
スは積極外交をとりはじめた。(砂漠化で鉄道が寸断しても回復させなか
った理由には、イシュバールを孤立させるアメストリス軍の作戦や、戦火
が絶えなくなった西側諸国と距離をおきたいシンの思惑や、アエルゴやド
ラクマ等砂漠に接する各国の利害や、砂漠で少ない水を求め移動する生活
を営む少数民族の帰属の問題など面倒なことが山ほどあった為だが。)
 かたやシンでも、リン・ヤオ新皇帝の即位後は西側諸国との繋がりを強
めていく政策がとられたので、鉄道再開に伴い国交と交易が活発化するの
は必然だろう。和平的ではあるが実に利に敏いシン国商人たちはさっそく
アメストリス軍部の中心に食い込みはじめているし、アメストリスの実業
家たちもシンに交易の足場を作ることに躍起になっている。今日のこのレ
セプションはそんな両国の半官半民の形態で主催されていた。


 アメストリス側からは東方司令部のトップであり、最近はイシュバール
復興への施策を強く進めている国軍准将・ロイ・マスタングが。シン側か
らはリン・ヤオ皇帝の懐刀との評判も名高いジェンミン・ヤオ外交通商大
臣が臨席している。アメストリスは歓迎の意を表するためにセントラル軍
の大音楽隊を差し向け、シンはといえば宮廷舞踊団を送り込んだ。


「この選択はシンのほうが上手だったな。」
 ロイ・マスタング准将はざわめく会場を最後方から眺めひとりごちた。
 シンの舞踊団の舞姫たちは色とりどりの衣装を身につけ、きらびやかな
装飾品を揺らしながら出番を待っている。その舞姫たちを見つめるのは軍
の男たちの好色さを抑えられない目だけではない。同じくらい熱い視線が
アメストリスの女性たちからも彼女たちに注がれていた。シン特産の絹織
物の優雅さをアピールするには、舞姫たちは最高の広告だろう。シン風と
称して立ち襟の衣装を好んで着る風がアメストリスの上流婦人の間にはあ
り、それは首筋を隠す慎ましさとして広がっていたが(そして彼の副官も
こういう盛装をする場ではシン風の立ち襟ドレスを愛用しているのだが)
、舞姫たちの衣装の華麗さはそんな上品だけどおとなしすぎて物足りない
シン風のイメージを上書きするのに十分なはずだ。このレセプションの後
には、どの商社もこぞってシン・シルクを求めて奔走することが目に見え
るようだった。
 列席者をもてなす料理や酒は主催のアメストリス側がすべて仕切ってい
るが、「ではせめてお茶くらいは」とのことで茶菓をふるまわせてくれと
シン側が言ってきたのも同様。
 薄手の白い陶器に藍色の釉薬で繊細な絵柄がつけられた茶器の見事さに
見とれ、ほのかな芳香のお茶にほっと息をつくと
「アメストリス国軍の紋章は向かい合う獅子でいらっしゃいますガ、我が国
にも双獅子という伝統的な図案がございまス。今回は両国の親善の証とし
てこれを持って参りましタ。」
そんなことを言われて気分の悪かろうはずがない。
 絹や陶器、お茶などシンの品がこれまでと比べ物にならぬほど大きな規
模でもってアメストリスで受け入れられるのは確実だろう。シン国商人は
本当に抜け目なく商売がうまい。


 先ほどは、もっとあやしいシン国商人にも声をかけられた。
『ジャクリーン&ハン商会』
そんなふざけた社名の書かれた名刺を差し出してきた黒眼鏡のシン国人は
「おたくの部下だったジャクリーンさんには大きな商いをさせてもらって
お世話になったヨ。半年前ちゃんとした会社組織にしてアメストリスでも
登記をしたからご用の向きはごひいきにどうゾ。また大がかりな釣りをす
ることになったらぜひ私共を使ってネ。」
と実にあやしい挨拶をしてよこした。
 あのハボックが暗躍した『約束の日』での武器密輸のルートはひそかに
生きていて、アメストリスの軍備の拡大はないと見た今は希少鉱物や薬品
など輸送量は少ないが利幅の大きいものをシンから輸出しているらしい。
今はまっとうな商売だけヨとミスター・ハンは胸を張る。
「イシュバール復興をうたうならイシュバール人の子どもを彼ら自身の手
で教育させることも考えていル?もしそうなら砂漠に散ってるイシュバー
ル人たちに伝えてやってもいいヨ。」
 彼は輸送を請け負う砂漠の隊商たちを通じて砂漠へと逃れたイシュバー
ル人たちの消息をよく知っているらしい。あやしい商人としかいいようが
ない人物だが、その言葉で少し認識を改めた。軍にいては得られない情報
をもたらしてくれる人物は重要だ。
「追いおい連絡することもあるだろう。よろしく。」
「よろしくネ、准将閣下さマ。」
 人ごみのなかに去ってゆくミスター・ハンの背中を呼び止める。
「ところで、人にはジャクリーンは誰の名だと説明しているんだい?」
「一緒に砂漠で商いの旅した私の愛馬の名前ヨ。タバコは吸わないヨ。」
 苦笑して見送るしかなかった。



 いよいよ開宴が近いらしい。シン国側の招待客用控室からは、シンの盛
装をした一団が仰々しくバンケットルームへと向かってゆく。最後に部屋
の中を確認するようにした後に出てきた女性だけがアメストリス風のドレ
スなのが目についた。通訳か何かだろうか?それとも領事館の関係者か。
どこかで見た覚えのある顔なのだが・・・
 その彼女が誰か思い出したのと、彼女が何かにつまづいたようによろけ
たのを咄嗟に近寄り背後から肘を持って支えたのは同時だった。


「大丈夫ですか、ミズ・ランファン。」
「失礼しましタ。あの、なぜ私の名ヲ・・・ってええッ?」
「あの戦いのとき以来ですね。ロイ・マスタング准将です、今では。」
 礼装の肩章を改めて見たランファンは
「おめでとうございまス。」と改めて礼をする。
頭を下げる彼女をおしとどめマスタングはその麗姿を褒めそやした。
「見違えましたよ。素晴らしく美しい。」
 こういった場合のお約束の賛辞。今日はもう五指では足らぬほど口に
しているが(そしてこういった彼の社交的洗練は、野暮な者揃いの軍では
たいへんに重宝されているのであったが)、これは思わず本気で出た言葉
だった。


 リン・ヤオ皇子の護衛としてアメストリスに来ていた彼女はいつも黒い
陰の戦士としての格好をしていたが、今日は無骨な防具をつけたところな
ど考えらないようなたおやかなドレス姿で、小鹿を思わせる若い肢体の輝
きを周囲にふりまいていた。
「あれから二年ですか。若い女性の変貌というのは著しいものですが、あ
なたは実に美しくなられた。立派な淑女だ。」
 にぎにぎしく着飾った舞姫たちとは違い彼女の装いはシンプルだった。
しかしそれは彼女の魅力を損なうものではなく、反対に着る者を引き立て
るような実によく考えてつくられた衣装だった。深い艶のある生地が滝が
流れるように美しいドレープを描くドレスはシン特産でも最上級のシルク
だろう。彼女の体のラインに沿って纏いつき拡がり裾に向かって流れ落ち
るさまは流麗としかいいようがなかった。瑠璃色の生地は光の加減で深海
のような紺青にも、暁の空のような色にも見える。


 細い手首には絡み合う唐草の精巧な紋様の施された大ぶりな翡翠の腕輪
が重々しく気怠げな風情で嵌められていた。
 東洋の装飾品に関して一般教養程度の造詣は持っていたが、にぶく溶け
たような色合いの翡翠のような石をなぜこれほど珍重するのかと疑問で、
嗜好の違いということで片付けていたがそれは浅薄な考えだったことをマ
スタングは思い知った。眼の前の娘の、なめらかな象牙色の肌に添う翡翠
はその不透明な練り込まれたような輝きが美しく映え、素晴らしい調和を
見せていた。この国の大理石のような白い肌の女性に似合う、硬質で透明
な貴石の輝きばかりを美しいものと思い込んでいた自分の不明を恥じるば
かりだ。


 彼女がシン国の女性として唯一舞姫たちと同じなのは、銀細工の耳飾り
をつけていることだった。これはかの国での宴の慣習なのかもしれない。
雪片のごとき小さなかけらを組み合わせて作られた繊細な銀細工の耳飾り
は、ほんの少し首を傾げるだけでしゃらしゃらと音をたてる。
 大きくあいたデコルテの部分に、彼女は首飾りをつけてはいなかった。
かわりにすっと伸びた象牙色の清潔な首筋に彩を添えるのは艶のある黒髪
を編みこんで纏めあげた髷から長く垂らされた結い紐。黒赤白青黄の五色
で細く編まれた紐はエキゾチズムを感じさせる。そして目をひくのは結い
上げた髷に添えて咲く大輪の白い花だった。芙蓉だろうか。生花の、生き
ているがゆえの存在感は宝石の首飾りにも勝ることを証明していた。贅沢
という点でも勝っていたかもしれない。宝石につく価格と、生花を髪飾り
に調達できるようなシン在来種の木を植えた庭園をこの国に持つ経費とは
単純に比較はできないだろうが。


 腕輪のないほうの腕には長手袋をし、肩にショールを羽織っているのは
彼女の左腕が機械鎧だからだろう。そうなった原因の一端に自分も絡んで
くることがマスタングの胸の奥を鈍く刺した。だがそれを表には出さない
ことで彼女を尊重したかった。彼女はその機械の腕で主を守ることに誇り
をもっているのだから。
 瑠璃色の衣装に金糸を使ったショールはよく映えていた。青と金という
組み合わせはアメストリス国軍の色を意識したものでもあるだろう。ふわ
りとかろやかな一見レースのように見える白地に金の長手袋とショールは、

よく見ればごく薄い生地をかがって模様を透かし浮かび上がらせた、凝った

細工の刺繍布なのだった。
 その描かれたモチーフを見てとったマスタングは息をのんだ。飾り羽を
もつ鳥、龍、実をつけた広葉樹、雲と風、日と月。蛇の尾と蔓草。
(これは錬金術の記号ばかりじゃないか。)
 
 すぐに思い当ったのは、今朝セントラルの錬金術研究所から届いたシン
からだという送信者不明の無線電信のメッセージだった。
『クーリエを送ります。』
 ただ一言そうあったが、それが以前リン・ヤオ皇帝宛に私的に送った書
簡で錬金術と錬丹術との共通性に関しての資料の貸与を依頼したことに対
する回答だったのだ。そしてそのクーリエが彼女、ランファンなのだろう。
(それにしても錬金術の記号を衣装の模様にし臣下に着せ送り込むとは。)
マスタングは嘆息した。見事なものだがまさか女性のショールを外して見
せてくれと頼めるものではない。シンの王は依頼には応えてもおいそれと
錬丹術の真髄を教えるつもりはないらしい。生半可な興味で手出しできる
ものじゃないヨと釘を刺す糸のような目の目尻を下げた、笑っているよう
で鋭いリン・ヤオ皇帝の顔が目に浮かぶようだ。そしてこの牽制はショー
ルを纏うこの黒髪の娘に関しても効かせているのだろう。
「皇帝陛下はあなたがよほどご自慢なのでしょうね。見とれずにはいられ
ないが、この装いをさせた方の見識がわかればまじまじと見るのは失礼だ
と恐れ入ってしまう。」


「私など本来はこんな晴れやかな場の裏で静かに控えているしかできない
存在です。こうして綺麗な格好をしていても慣れない靴ででつまづくような
無様をさらす次第ですからラ。」
「それは誰でもよくある仕方のないことですよ。それよりも履き直されたほ
うが。控室に行きましょう。」
 腕をとると青いドレスを纏ったシンの娘は
「お構いなく。私は健康で立派な足がついておりますのデ。」
と断ろうとする。
「こういう場では女性は男性にエスコートをさせるのが礼儀なのですよ。」
「私は必要を感じませン。」
大股で歩き始めた黒髪の娘の足取りはまた乱れた。
「靴のかかとが取れかけているようですね。どうぞこのまま。」
すげない態度を取る女性をなだめて扱うことは彼には慣れた作業だった。
不服そうな顔のままの彼女をマスタングは控室の椅子へと導いた。


 足元に跪き失礼とひと言断って靴を検分すると、ドレスと共布でつくら
れ金糸で刺繍のされた青い夜会靴のヒールの部分がぐらついている。
「これではシン・ビューティーのお披露目に支障を来しますね。」
「からかわないでくださイ。私にはこの衣装、分がすぎていまス。」
「とてもよくお似合いだと思いますよ。」
「大嫌いでス。こんな誰かに支えてもらわねばまともに歩けぬ靴なド!」


 前髪の下でアーモンド型の目がひそめられた途端、重量のある物体が目
の前を跳ね上がった。整髪料でなでつけていた前髪のひと筋がぱさりと落
ちマスタングは目を瞠った。目の前を何かの物体が空を切って複雑な軌跡
を描き旋廻している。黒髪の娘が夜会靴のストラップの端を握って振り回
しているのだと理解できるまで数秒かかった。いつそれが手に取られたの
かはわからなかった。それを跳ね上げたと思われる足先は無防備な素足の
まま、しなやかに床を支えていた。


「私は愛玩のために風切羽を切られる小鳥なんかじゃないですかラ。」
「失礼しました。あなたは塔の中の姫ではなく、皇子の騎士でしたね。」
 憤然として啖呵をきってみせるシンの娘に、それは威圧というよりある
種のご褒美になってしまう恐れがありますよと忠告するのは止めておいた。
確かに、この娘は着飾らせて侍らせておけるようなタマじゃない。壊れた
靴さえ即座に武器にしてみせるのだから。


 半ばあきれた感嘆はマスタングのなかでしのび笑いに変わった。こうい
う振り回され方はきらいじゃない。というより面白い。
 愉快だった。軍備の縮小そして民主化という目標をもって大総統を目指
しているが、この国を本当に良く変えていけるのだろうかと悩むことも多
々ある。だが変革というのはトップが厳めしい顔をしてスローガンを叫ぶ
ことでは達成されない。それより、国の変化はきっとこういう奇妙で少し
ずれた文化をもつ人たちと影響し合うことで起きるのだろう。それは今日
もこの先の部屋で大がかりに起ころうとしている。


「では美しい騎士。開宴に遅れた間抜けな軍人をエスコートしてはください
ませんか?せめて靴を修理させていただきますので。」
 一瞬の錬成で夜会靴のかかとはしっかりと付き直した。両のヒールの高
さを半分ほどへと変えて。
「私は今初めて、心から錬金術を便利だと思いましタ。ありがとうござい
まス。」
先ほどまでの不機嫌は去り、素直な感謝を述べる彼女の笑顔は今日見た

中で一番美しかった。
 立ち上がった青いドレスのシンの娘は、履きやすくなった靴のせいか小
鳥が飛び立つような軽い足取りでさっさと部屋の出口に向かい扉を開いて
「どうゾ。」とマスタングを促す。
 やれやれ、このぶんだと本当にこのシンのやんちゃなお嬢さんは自分を
エスコートしてバンケットルームの扉を開けかねない。ホテルのスタッフ
がそれを阻止してくれることを願いつつ、マスタングは彼女と足を並べて
ざわめく会場へと早足で向かった。






あとがき


環洸海のNeonさんのところの、パーティーに潜入したランファンの盛装に
「そういえばせっかく二次創作なのに素敵な衣装を着せるのをいっこも書い
たことなかった!」と思ってやってみました。
いままでやったことなかったけど、衣装の描写って楽しいですね。
私のセンスなのでアレですが、親善のためのレセプションなのでランファン
の衣装は「素材はシン。様式はアメストリス。」としました。色も軍服色。


ランファンをきもちわるいくらいの勢いでマスタング視線で賛美させたか
ったのと、『ジャクリーン&ハン商会』というネタを消化できて嬉しいv
ミスター・ハンは絶対東部であやしい商人やっていると思うんだ!


4か月もまったく小説が書けませんでしたが、やっとこれを仕上げて私は
原作で食いたらなかったところを書きたいのだなと認識できました。
こんな未来捏造、あってもいいなと思っていただけるでしょうか?