天幕をとりはらえ | 風紋

風紋

鋼の錬金術師ファンの雑文ブログ



  リンとランファンに愛が偏っています

わずかな灌木や草むらさえ丈ひくく地を這うように細々と命をつないでいる
遮るもののない荒れた砂地。
少々枯れた広い牧野と思われた景色は、進むほどに荒涼としてきて私達の
前にその実態をあらわし始めてきている。
アメストリスへとつながる大砂漠だ。
そういえば、今朝宿営地を発ってからこの水場のある休憩地まで、人家と
いうものを全く見ていない。
見渡す限り、生きて動いているものは私達だけみたいだ。
あたりは白茶けた色ばかりで空だけがやたらと広い。


―――国を出たのだな。
もう宮中の皇族同士の探りあいや他族との小競り合いや暗殺者の影に気を
使うことはないのだと思うと、重い防具を取り去ったときのような開放感
を感じて大きく伸びをした。
実際今朝からは防具をつけず、かわりに砂色のマントを羽織っている。
こうして砂漠の民と同じ格好をしていると、自分がヤオ族の武者であること
どころか、シン国人であることさえ一見しただけではわからなくなるのだと
いうことがなんだか可笑しい。
重苦しい宮中の護衛役から、それ以前の幼い頃に戻ったような気楽さと
ともに、風に転がる枯れ草にでもなったような心許なさを感じる。
心細いのにどこか懐かしいような不思議な気分だ。



―――若はそんな気持ちにはならないのだろうか?
そう考えてふと気づいた。
つい先程まで傍にいた若がいない。
「若?」
天幕の傍らに設えた簡素なかまどの上では鍋が湯気をあげている。
まもなく食事の支度が出来るというのに、若は一体どこへ行ったのだろう。
さっきは物好きにも煮炊きの手伝いをされようとするのを押しとどめたり、
アメストリスの言葉の練習をさせられたりで賑やかにしていたのだけれど
鍋の火を見ている少しの間にいなくなったらしい。


隊商長のところへでも行っているのかと考え中央の大きな天幕の方へ向かい
歩き出したとたん、隅の天幕の方で女たちの笑いさざめく声と若の楽しげな
声が聞こえてきた。
「・・・また!」
思わず苦い顔になりかけるのを慌ててふりはらい、努めてなんでもない風を
装いながら天幕の外からおとなう。
「若、そちらにおられますか?」
「ああ、ランファンちょうどよかった。入っておいでよ。」


少し迷ったが意を決して中に入ると、やはり若はこの旅芸人たちの天幕の
真ん中で数人の踊り子たちに囲まれて談笑していた。
一人の踊り子がこちらを見て何か言うと全員がどっと笑い声をあげた。
若までが笑っているが、砂漠の民の言葉を聞き取れない私には一体何が
おかしいのかわからない。
仕方なく怪訝な顔のまま若の傍らにひざまずき、
「一体なんと言われたのでしょうか?」
と問うてみた。
若はあはは、と声をあげ飄々とした笑みを浮かべたまま
『こんな可愛らしい姫がいるのにシンの皇子は油断ならない。』
だってさ、と通訳する。
「ランファン、昨夜の舞台では仮面を被ったままだったろう?
彼女たち、剣舞を見ててっきり男だと思っていたらしいよ。」




過酷な砂漠越えを少しでも安全確実なものにするために、この隊商に従いて
移動しようと決まったのは三日前。
かなり大規模な隊商で、その中にはこの天幕にいる旅芸人の一座も混ざっていた。
屈強な体をもつ髭をたくわえた座長と、いくらか浅黒い肌をして波打つ黒髪と
黒曜石のような瞳をもつ踊り子たちは、国籍はアルエゴであるけれどその血は
もっと古い国の流浪の生活をする者の末裔たちらしい。
どうやら隊商長と古いつきあいで、駱駝曳きたちのあいだでも人気者である
この旅芸人たちはこの隊商の者たちのよりどころとなっているようだ。
それを見てとった若はその日のうちにこの一座の者たちと打ち解け、
翌日の宿営地での舞台にフーと私の立ち回りを幕間の余興に演じさせると
いう約束までしてしまったのだ。


ようやくアメストリスの言葉を何とか使えるようになった私やフーをよそに、
若は砂漠の民の言葉も器用に使いこなす。
しかし、言葉をあやつること以上に、このお方は人と人の心をあやつる
ことに長けているのだと、この旅に出て改めて思い知らされた。


だいたい、この隊商に従いてゆくことに決めた時からしてそうだった。
たった三人ではっきりした旅の目的も言わず(不老不死の法を探しに、
などと言ってもまともに受け取ってもらえないのは仕方がない。)
しかもどうやらアメストリスには密入国するつもりらしいシン国人が共に
旅することに商隊長は最初迷惑そうな顔を隠さなかった。
ところがしばらく馬を並べて進み最初の水場に入る頃には商隊長の態度は
すっかり軟化していたのだ。
不思議に思ってどういう話をしたのか訊ねてみたのだが、
「別に。信号弾をわけてやったから機嫌よくなったんじゃないの?」
とはぐらかされてしまった。
昔からこのお方には本当にかなわない。


仮に本当に信号弾のおかげだとしても、私やフーでは交渉の途中で相手を
怒らせたりしてしまったかもしれない。
若は私たちによく「血の気が多い」と言うが、主を第一に考えるゆえんだ。
ただ、そうすると周囲と無用の摩擦が起きることがある。
だからこそ若は私たちの分を打ち消すべく飄々と、あるいはのらくらと
渡り歩いているのかもしれない。
それを思うと交渉ごとに向いていない私たちのかわりに自ら色々なことに
関わってくださる若に少しでも報いたい。
・・・かといって、それが旅芸人の舞台に立つことになるとは・・・


フーも私も「そのような事は」と訴えたが、若は笑って聞き入れない。
仕方なく太極剣と対練(組み手)の演武を二人でやることにしたのだが、
何が面白いのか、観客からは沢山の拍手と喝采を受けた。
とりあえずそれで義理は果たしたと思っていたのだが、今日はまた若は
何をしにここへ出入りしているのだろう。




不審な顔をしていると、最もなまめかしい顔をした踊り子が何事か言いつつ
立ち上がり、笑いながら若の体を勢いよく押しのけると、天幕を出て行って
しまった。


「若!」
あまりに無礼で乱暴な仕打ちに驚き思わず大声をあげると、周囲の踊り子
たちはまた一斉に笑い声をあげた。
―――ここは笑うところか?そんな場面じゃないだろうに!
キッと睨みつけようとしたが当の本人である若がおかしそうに笑っている
ので、どうしたらいいのかわからなくなる。
何を笑っているのかわからないと、からかわれているように聞こえてつい
ムッとしてしまいそうなのだけど。


「いやあ、やっぱり皇族ってのはツライね。」
とへらへらと笑っている主に
「どういうことなのですか?」と問い詰めた。
「シーファムちゃんに俺のお嫁さんにならない、って言ってたんだけど
ふられちゃったのさ。」


―――唖然とした。
そして何故だか無性に腹が立った。
あのシーファムとかいう無礼な踊り子にも、笑っている主にも。

皆が笑っているけど私は笑えない。笑いたくない。
大事な主をないがしろにされて笑えるか。私は臣下なのだから。
若も若だ。どうしてこんな者たちに無礼にされて笑っていられるのか。
笑いからとり残された私は、この大勢いる天幕のなかで独りだ。
―――こんなところには居たくない。


「若、もうすぐ食事の支度ができます。私は先に戻っておりますので
あまり遅くならずにお帰り下さい。」


そそくさと天幕を出て走りだした。
天幕を通さない直射日光はまぶしいばかりで、空の広さがいまいましい。
さっきまで感じていたあの不思議な心地よさは何だったんだろう。
同じ景色のなかにいるのに今は心に石が詰まったみたいだ。
砂漠なんてだだっ広いだけでどこも何も変わりはないのに・・・


かまどの前で鍋の様子をみているとそこに若が帰ってきた。
昨日の芝居のなかの歌の口笛など吹きながら機嫌よく歩いてくる。
砂色のマントの下の白いズボンの色が目に痛い。


「もう、俺と一緒に帰ればよかったのに。ランファンってばさっさと
行っちゃうんだもんな。」
ほらこれ、と主は笑いながら小さな袋を私に差し出した。
「何ですか?」
何か言って置かなくてはと思っていたのが勢いがそがれる。
何を言いたいのかは自分でもわかっていなかったのだけど。


「香辛料、彼女たちがわけてくれた。鍋に少し入れるといいよ。」
「あ、ありがとうございます。」
―――何か気まずい。
旅のさなかに他人に食べ物を分け与えることの重大さくらいはいやでも
わかった。彼女たちは親身になってくれてるのだ、きっと。
それが少々馴れ馴れしい振る舞いになっただけで。
なのに自分ひとりこんなに腹をたてているのは、いかにも狭量なききわけ
のない子供みたいだ。
そう思うが心のもやもやは消えない。これをどう収めたらいいのだろう。


「ランファン、嫉妬してる?」
「そんなこと・・・!」
思いがけない言葉にかぶりをふる。
わざと顔を覗きこむようにしてそう問いかけた若の表情はなぜだか妙に
嬉しそうで理由がわからず居心地がわるい。


「そんなことないです、しません、できません?どれがランファンの本音?
ねえ、なんで怒ってるって言わないの?」
嬉しそうな顔のまま次々と畳みかけられて困惑し、
「主君にそのような私心を抱くことは任務の妨げになりますから。」
必死に平常心を呼びおこそうと修練のときのような言葉をつなぐ。


「俺はランファンにもっと俺のこと執着してほしいんだけどなあ。」
若のその暢気な言い様に苛立ちがつのった。

「若はご自分のお立場というものを軽く考えすぎです。
いらぬ厄介ごとを起こさぬよう慎んでいただかなくては!」


―――思わず怒声をあげてしまった。何をしてるんだろう私は。
「さっきのシーファムちゃんみたいなこと?やっぱり怒ってるね。
冗談だって。彼女もわかってたからあの場を出てったんだし。」


―――嫉妬、しているのだろうか私は。あまり考えたくない。
「・・・もういいです。お立場を自覚してくだされば。」
もうこの話題から離れたくて終わらせようとしたが、
「そんな大層なもんでもないよ。こんな西の果てまで面倒なお使いに
ほいほい出かけてくような皇子なんかさ。」
若はまだそんなことを言う。


「そんなことはありません。若はヤオ族の希望なんですから。」
「確かにヤオの民は俺を頼りにしてくれてるから、立派な皇子をやらな
くちゃと思うけど時々重くなるんだよね。だからあいつらみたく皇子を
駄ボラのように笑いとばしてくれる奴がいると楽しいんだよ。
いかにも違う国に来て違う世界があるんだなと思えるしね。」
「そういうものですか・・・。」
「そうさ。新しいものを求めるための旅なんだから。ヤオ族のために。
冗談半分で声かけてるけど、有能な者にはシンに戻るときについてきて
ほしいしね。部下でも嫁でも。」
―――それでこういうことをしてるんですか、若は。まったくもう・・・


「それにさ、本当に立場を忘れて求婚したい娘はこんなに近くにいるのに
なかなか俺の気持ちをわかってくれないし。」
地面に片膝をたてて座り込み、ほおづえをついたままこちらを見上げて
にっこりと笑いかける若とまともに視線があってしまった。
動揺して思わずあとずさる。


「わ、私は、そういう冗談は苦手です。」
―――私は主の寵愛をうけるための女ではないのだから。
ただ側にありたいと願って鍛錬を積み、護衛として仕えることを選んだ
のだから。そういうことは・・・


「じゃあ、本気だったらいいんだね?」
のそりと立ち上がった主の身体が眼の前に立ちふさがる。
思わず逃げ腰になったのを見透かされたように手をとられた。


「真剣だよ。」
言葉通りのあまりに真摯な声音。
いつもの微笑は欠片もなくて、密命を下すときなどに主が時折見せる、
刃のきらめきのような強い視線に押され息を呑み、うつむいてしまう。


「俺が今、ふざけたり嘘を言ってる顔をしてるか?」


―――どうしよう、主君の言葉をいなすようなことを言ってしまった。
恥ずかしさに顔を上げられない。


「確かめてごらん、俺の目を見て。」


―――とらえられたのは手だけじゃない。
その目を見たら何も言えなくなる、何も出来なくなるのはわかって
いるのに。
どうしようもなく主君に惹かれていることを思い知らされて、
それでもどうすればいいのかわからない。
主従を越えて恋い慕ってしまえば私は護衛を全うしきれるだろうか。


―――でも若は私に、服従よりも信頼を望んでいるのだ。
若を、信じたい。


意を決して、息をつめたまま顔を上げ、若の目を見た。


・・・見上げた顔は先ほどのこわいくらいに真剣な表情ではなく、いつも
の糸のような目じりを下げた笑顔。


「そんな思いつめた顔しなくていいよ。」
とん、と眉間を突かれて緊張が解けた。つめていた息が抜ける。


「そんな悲壮な決意をしなきゃならないような決断を今のランファンに
強いるのは俺の本意じゃないからさ。」
「あの、リン様・・・?」
緊張が解けて思わず幼い頃の呼び方で若に呼びかけてしまったことに
気づいたが、もう言い直す気にはならなかった。
―――今さっきのは主従を越えて私を求められたのでは・・・


「あ、でもさっき言ったことは本当に本気だよ。」
頭のなかを読まれたようなその言葉にカッと顔があつくなる。


「今のシンは身分だとか立場だとか、自分の力では動かせないことで民が
しあわせを求められない仕組みに硬直してしまっている。
少数民族であるヤオの民はなおさらだ。俺はそれをどうにかしたい。
ランファンが何にもとらわれずしあわせを求められようにすることが、
ヤオの民を守ることに通じるんだよ、俺にとっては。
俺は俺をとりまくものを変えていく力を手に入れる。
まずは賢者の石だ。そしていずれ玉座を。
ランファン、そのためについてきてくれるんだろう?」


―――そうだ。旅の供に選んでいただけた喜びは決して忘れられない。
「もちろんです。どこまででもお供します。」


「ならばせめて心には隔てをおかないで。もうここは城壁も門もない
場所なんだから。皇子なんて立場で俺を遠ざけないで。
幼い頃から知ってるヤオの一族の仲間だろ、家族でいさせてよ。」
「はい。」
皇子としてのこの人の孤独を知ってたはずなのに、私心を抱かないように
と戒めるうちそれを見失っていた自分を恥じ、心をこめて頷く。


「ほんとの家族になるのはもうちょっと先になりそうだけど、そっちも
よろしくね。覚悟しといて。」
いたずらっぽくそう付け加えられた言葉に
「・・・はい。」
ようやっとそれだけを声に出して頷くと若は満足げに微笑した。


「さあ、腹へったよ。さっきからいい匂いしてるんだもの。食べよう!」
大きな声でそう言われて今は食事の支度中だったことを思い出す。
することができてやっとまともに動けるようになったが、何だか現実感が
なくふわふわとして足元が頼りなかった。
何だか恥ずかしくて気詰まりな食事になったが、途中でフー爺様が戻って
きてくれて少しホッとする。


何か知らせがあるらしく、中央の天幕のほうから大きな声が上がった。
駱駝たちにつけられた鈴の音が次々とさざ波のようにひろがってゆく。
何事か聞きに言ったフー爺様は大きな荷を持って戻ってきて、若に言った。
「隊商長より伝言であります。あと半時で出発。今日は風がないのでこの
まま進めば次の町へ宵のうちに着けるだろうと。」


辺りの天幕も次々と解体され畳まれて駱駝の背へと積まれてゆく。
見ればあの旅芸人たちの天幕も片付けにかかりはじめていた。
こちらを見て笑って手を振っている。
慌てて会釈を返しかけたが、思い直しておずおずと手を振り返してみると
彼女たちははじけるような笑い声をあげて更に手を振り返してきた。
自分もつられて自然に笑顔になっているのがわかる。


「いいじゃないかランファン。旅なんだからそういう風にするのがいいよ。
シンの国でのやり方はもう関係ないんだからさ。」
確かにそうなのだろう。周囲は誰が敵かもしれなかったシンとは違って
この砂漠では他人は命をつなぐ唯一のよりどころとなる仲間になりうる
はずなのだから。
「ええ、あまり慣れないですけど少しづつ変えていきます。」
これから先、もっと厳しい土地へと入っていくのだからシンとは違う
心得を持って進んでいこう。若を守るために。


「よし、天幕をとりはらえ。出発だ。遅れをとるなよ。」
「はいっ!」


ばさっと支柱から天幕が外され、広い砂漠の空がもっと広くなった。
この先にある町はどんなところだろう。
行く先の方角に目をやると若もそちらを見ていた。
私のような者が何をできるかわからないけど、若と同じものを見ていける
のならいい。それがしあわせだ。
ざわめきが広がり、駱駝たちの鈴の音が砂漠の空へと高く響き渡った。





                                            

                                               




あとがき

なんと、二年ちかく前からあったネタをやっと書き上げました。
どんだけ難産なssだ。そして諦めなかった自分、どんだけ粘着気質なんだ。
いつか絶対書きたいシチュだったから何とかこぎつけられたんだと思います。
リンラン初オフ会で「砂漠リンラン」のリクエストをくださってた芦屋さま
に捧げます。ほんとに長いことお待たせしてしまって申し訳ありません。

書き手が私ですからちょっと気を抜くと、芦屋さまのお宅の可憐ではかない
ランファンをぶちこわしにしかねないうえ、書き始めてから相当後になる
まで視点が定まらなかったり若の呼称に迷ったりして苦労しました。
今後はランファン視点一人称の小説はもっと彼女と実年齢が近い方に書いて
いただきたいとかなりマジで思っています。