花散る庭 | 風紋

風紋

鋼の錬金術師ファンの雑文ブログ



  リンとランファンに愛が偏っています

「ランファンちょっとつきあってよ。いいものを見せてあげるから。」
窓枠に手をかけ、今まさに部屋を抜け出そうとする姿勢のまま年若い皇子
リンは従者のランファンを振り返って言った。
そのついてきて当然、というような自信満々の態度はどこから来るのだろう
とランファンは内心ため息をつく。
(私は遊び相手でもあるけど基本的にはお目付け役なんですけど・・・。)


「リン様、今日は午後には書の先生がいらっしゃるからそれまでにご自身で
手習いをしておかねばならないんじゃないですか?」
ほんの小娘の身でありながら従者として重用されているのは、この気ままな
皇子に言う事をきかせられる数少ない者のひとりだからだ、と自覚している
ランファンは遊びに行く気満々のリンに釘をさした。


「今日ぐらいしか見られないんだ。これを逃がすと次は来年になってしまう
んだよ。こんなにいい天気が明日も続くとは思えないし。」
ランファンの制止にもリンはさらに食い下がる。
「何のことかはわかりませんけど、後で手習いをなさるとお約束いただけ
るならお供いたしましょう。」
「わかってるよ。だから早く行こう!」
「一体どこまで行くのですか?」
「大丈夫!今日は城外へは出ないから。昼までには帰ってこられるよ。」


いくつもの殿舎や楼や房を通り過ぎ、次第に宮中も外れのほうにまでリン
の歩みは進んでいった。
ランファンは落ち着かなくあちこちを見まわしながら小走りにリンのあとを
ついてゆく。
リンの住まう殿舎以外には何か用事がない限り行くことがない上、彼女の
身分では通れない橋や回廊などがある為、ランファンはこんな宮中の奥深く
までは来たことがなかった。
どんどん人の気配が少なくなって閑散とした雰囲気になってゆく。
皇帝に背いた皇子や妃が入れられるという冷宮というのはこんなところに
あるのではないかと心細くなってきた時だった。


急に薄暗い小路が明るくなり視界に優しい白い色がいっぱいに広がった。
白、いや違う。ごく淡いうすもも色。桜の花だ。
かなり大きな桜の樹が高い塀を越して枝を伸ばし、この路まで綿雲のような
ふんわりとした花の塊を拡げているのだ。
寂れた雰囲気の宮中も外れの小路に、ここだけは灯りがともったように
あざやかな春の気配が満ちている。

その桜は華麗に整えられた庭園のものよりよほど気高く美しく見えた。


「すごい・・・、綺麗。こんな場所があるなんて全然知りませんでした。」
ランファンは少し興奮したように頬を染めて桜の樹を見上げる。
「すごいだろ、今が満開さ。だから今日じゃないとダメだって言ったんだよ。」
まるで自分の手柄でもあるかのように得意な様子でリンは胸を張った。
「でもリン様はどうやってこんな宮中のはずれの樹のことを知ったんですか?」
「秘密!」
リンは笑いながらはぐらかす。
「んもう、教えてくださっても・・・」
焦れたように声をあげるランファンは、自分に向け急に神妙な表情をして
みせるリンに思わず言葉を途切れさせた。


「秘密・・・だったんだけどね。でももう秘密を守ってやる必要なくなっ
ちゃったからなあ。」
「え?どういうことですか?」
「ここを教えてくれた奴と俺との秘密だったんだけどね。
ランファン、これから俺とこの秘密、守ってくれる?」
わけがわからないながらリンの真剣な物言いにおもわず引き込まれて
ランファンはこくり、と無言でうなずいた。


「ここは先帝が造らせた庭のひとつさ。崩御のあとは誰も入らなくなった。
言ってみれば『忘れられた庭』だね。」
確かに風雨にさらされた塀はくすんで、それを丈越して見えるのはこの桜の
枝だけでなく、ありとあらゆる雑草が生い茂っているのがわかる。


「去年死んだ庭師の太監が教えてくれたんだ。太監なんてどうやって楽に
宮中を渡っていくか考えてる奴ばかりだけど、奴は仕事熱心だったよ。
俺にも樹のことをいろいろ教えてくれた。この桜のこともね。
庭の隅に植えられているから、花が咲いたらきっと廊路からもわかる。
見にいってやってくれって。」
このところリンの勉強の合間をみてのそぞろ歩きが多かったのはこの樹を
見に行っていたからか、とランファンは思い至った。
リンはしょっちゅう御付きの目を盗んで部屋を抜け出しては人気のない
場所で昼寝をしたりしているが、きっとその太監ともそんな時に会った
のだろう。


「先帝の庭とはいえ、ここも禁裏のうちだから本当は滅多なことで入って
はならないんだけど、自分は庭師だから入ったことが知られてもよほど
酷い罰はうけないからって、誰も来なくなってからもずっと手入れをして
いたらしい。」
「らしい、ってリン様はここでその太監と会ったんじゃないんですか?」
「違うよ。ずっと後になって奴が病気になってから話してくれた。
それまで奴はずっとこのことをひとりで秘密にしていたんだ。」
「なんだかそれって・・・、遺言のようなものじゃないですか。」


「そういうことになるのかなあ。」
リンはとぼけたような口ぶりで空を仰ぐ。
「そんな大事な秘密を私なんかに話していいんですか?」
「秘密ってのは共有してくれる人がいなけりゃつまらないじゃないか。」
「そう、かもしれませんけど・・・。」
「太監も大切に思っている人との秘密だったんだよ、この樹のことは。
だから俺はランファンとの秘密にしたいと思ってさ。」
「大切に思っている人・・・?」
それが自分のことも含んでいるということに気づいてランファンは顔を
赤くした。
そんな彼女の反応に満足したようにリンは微笑んで静かに話を続ける。


「身分の低い淋しい妃のかたみのような樹だと言ってた。
奴はその妃と同郷でね、妃が死んだ時に彼女をしのんで故郷からこの桜の
苗木を持ってこさせてこっそりここに植えたんだって。
妃はずっと故郷に帰りたがってたのにそれが果たせなかったから、せめて
桜を植えて彼女の魂をなぐさめようとしたんだね。」
「・・・それがその太監の秘密、なんですね。」
かなしいけど、素敵ないい話だとランファンは思った。
宮中はきらびやかであらゆる豪壮なものが集まってきているが、そのぶん
幾多の人の辛苦や醜悪な感情もひしめいている。
しかしその妃も太監も、故郷を思い人を思う美しい心を持ったまま生き、
そして死んでいったのだから。


「これだけ年を経た樹だから手を入れなくても滅多なことでは枯れたり
しないだろうけど、自分が死んだらもう誰もこの樹がここにあることなど
忘れ果てたままになるから、俺に覚えておいてくれって。」
リンはその老太監のことを思い出しているのか少し淋しい声で言った。
「私も覚えます、忘れられるわけないです!こんな綺麗ないわれのある
桜の樹なんてほかにないですから。」
ランファンは熱心に言い募る。


「太監のかわりに入ってやろうか?」
リンは妙にきっぱりとした顔で桜を見つめて言った。
「それはダメですよ。誰かに知られたら・・・」
「誰も思い出さないのなら存在しないのと一緒だ。ありもしないものに
先帝の庭だからって敬意をはらって立ち入らないなんて無意味きわまりない。
さあ、この塀越えて中で花見をするぞ!」
「リン様!」
ランファンは今にも塀に手をかけてよじ登りそうなリンの腕を掴んで叫んだ。


「・・・と思ったけどやめとこう。」
「え?」
「そんな先帝の身勝手につきあってやる義理はないけどさ、その妃さまは
子供も産めないまま死んだんだよ。
なのに知らない子供が入ってきたら心乱すだろうな、って思うとさ。」
途切れることなく降り続ける、かすかな紅の色を端にうかべた白い花弁を
見上げながらリンはひとりごとのように呟く。


「私、そんなことまで考えていませんでした。」
ただ、宮中に膨大にある覚えきれるはずもないしきたりに反することの
ないよう、自分に許された場所以外には立ち入らないようにすることだけ
を考えていた自分よりリンはずっと多くのことを考えている。
定められたきまりを言われるままに守ることより、そのことによって誰が
守られ誰を斥けることになるのかと思いをめぐらせているのだ。
この年若い皇子が自分とはちがう立場から物事を見、考えていることを
感じてランファンは改めてリンの姿を見つめなおした。


「んー、俺はヒマだからね。あちこち歩きまわっても咎められることも
ないし。」
いつの間にか地面に座り込んでかかえた膝の上でほおづえをつき、目を
細めてのんびりとそう答える皇子の姿に気負いこんだところはない。
しかし、この人はいずれ天子となられることを考えているのだとランファン
は強く感じた。
そして、そんな彼に仕えることのできる喜びも。


「リン様はやっぱりお優しい方です。」
リンの前に膝をついて向きなおり、ランファンはまっすぐな瞳で力強く
言い切った。
「へへっ、こうしてランファンを花見に連れ出してやったから?」
「そうじゃなくて、顔も知らないずっと昔に亡くなった妃さまのことを
そんな風に考えておられるから。」
これ以上さらに照れ隠しに話を逸らせることもかえって野暮な気がした
のか、リンは口をつぐんだ。
ランファンも無言で散り行く花をただ見つめている。
二人の上に白い花弁は静かに降り続けた。



「本当ならここで私、帰りましょうって言わなきゃならないんですよね。」
中空を見上げて陽の高さを確認しながら、職務に忠実な従者はいつになく
歯切れの悪い言い方をする。
「何、ランファンも今日はサボりたくなった?」
いたずらっぽい表情を浮かべリンはランファンの顔をのぞきこんで訊いた。
「立ち去り難いんです。この花がこうして誰にも知られずに散ってゆくの
が何だかかわいそうで。」
振り仰いだ顔に陽の光があたり、黒髪が陽に透けて栗色に輝いている。
まぶしさに細められた目は涙をこらえているようにも見えた。
「花弁がこのまま地面に落ちて朽ちてゆくのは、自然なことだとは思うん
ですけど。」
口ごもりがちな語尾はあいまいに途切れ、ランファンはその顔をうつむかせ
足元の花弁をじっと見つめて動かなくなってしまった。


「よし、中に入らないかわりに連れ出してやろう!」
リンはしんみりとした空気を打ち破るように勢い込んで大きな声を出した。
「どういうことですか?」
「この散った花びらを河に流してやるんだ。なるべくたくさん。
魂が花の筏にのって妃の故郷へ流れつけるように。」
怪訝そうだったランファンの瞳が輝きだし、ぱっと明るい表情になる。
「いいです、素敵ですそれ! やりましょうよ。」


リンは風に舞う花弁をつかまえようと空に手を伸ばし、
ランファンは上衣の裾を前掛けがわりにもたげて、降ってくる花弁を
そこに集めようと歩きまわった。


いつもは静まりかえっている場所に、二人のはしゃぐ声がこだまする。
忘れられた庭先を駆け回る二人の子供の姿を、花に誘われた胡蝶の舞の
ように微笑ましく見守る魂があったことは誰も知らない。


                                            

                                            

                                            

                                            

                                            

                                            



あとがき

『雪待月』さま現top絵のあまりのかわいらしさにエピソードを妄想。
幼少リンランというにはちょっと口調が大人すぎたか・・・。
果たしてこのような場所が皇子リンの起居する近辺にありうるのか、
という点に関してはツッコまないで下さいませ。(冷や汗)
イラストの雰囲気を汲んで叙情的に仕上がっていますでしょうか?
リクエストss第4弾として雅さまに捧げたいと思います。