H20年春場所引退力士① | KBP大相撲中継

H20年春場所引退力士①

H20春場所の引退力士です。


駿傑(放駒部屋)

 
雷光(八角部屋)

 

一の谷(中村部屋)

 

琴乃峰(佐渡ヶ嶽部屋)

 

朝陽丸(高砂部屋)

 

棟方(春日野部屋)
 

駒光(放駒部屋)

 

山頭(鳴戸部屋)
 

玉ノ勝(片男波部屋)

 

鶴闘力(井筒部屋)

 

大森(鳴戸部屋)
 

松下(間垣部屋)
 

鳩弾力(出羽海部屋)

 

現役生活、お疲れ様でした。

 

 
駿傑関は元幕内で、幕内を5場所務めました。
身長は176センチ、体重も110キロほどで力士の中では小兵です。その体格で幕内まで昇進したのはすごいと思います。スピードのある思い切りの良い相撲だったと思います。

昭和51年生まれで埼玉県三郷市の出身です。相撲を始めたのは幼稚園時代だそうで、同じ相撲道場に大翔山豪志さんがいました。小中学校時代から全国大会で活躍し、同じ昭和51年生まれの琴光喜関や高見盛関としのぎを削っていました。特に同じ埼玉県出身の藤ノ花さん(元二子山部屋)や東京都出身の栃東親方・東桜山さん(元玉ノ井部屋)とはよく顔を合わせていたようです。

 

中学を卒業して平成4年春場所放駒部屋に入門しました。駒光の四股名を名乗ります。
十両昇進は平成13年初場所。その前の平成12年九州場所、西幕下3枚目で7戦全勝で幕下優勝し、新十両昇進を決めました。この時は2場所十両に在位して幕下に落ちてしまいました。
平成14年夏場所で2度目の十両に昇進し、この場所で10勝し、番付を上げていきました。平成14年九州場所は西十両2枚目に上がり、幕内昇進のチャンスをつかみました。しかし、7勝5敗からの3連敗でチャンスを逃してしまいます。そして。平成15年夏場所後には幕下に落ち、低迷してしまいます。四股名も本名の石出に戻しました。
平成16年に入って盛り返してきます。初場所は5連勝し、若手の萩原(稀勢の里)さんと対戦。萩原が関取経験者の石出を送り倒しで破り、そのまま幕下優勝しました。
平成16年九州場所に3度目の十両昇進。この場所で12勝し、十両優勝します。そして翌場所も勝ち越し、幕内に昇進しました。新入幕の平成17年春場所は負け越しますが、十両に落ちた夏場所は3勝7敗から5連勝で勝ち越し、再入幕します。名古屋場所は幕内で勝ち越し、9勝しました。秋場所の西前頭12枚目が最高位でした。
平成17年九州場所からは駿傑に改名しました。

平成18年初場所を最後に十両に落ち、平成20年春場所では大敗し、幕下転落が決定的となり引退しました。
平成17年九州場所で琴ノ若関の最後の対戦相手になったことも有名ですね。。。

2年前にmimurastepさんのブログにコメントした ことを思い出しました。内容を確認して、当時の自分に驚きましたが(汗)
新十両昇進を決めた一番が思い出だそうです。3月23日の記者会見では「自分は右腕で相撲を取ってきたが、最近は痛くて使えなくなった。悔いはない。新十両を決めた時が一番の思い出」と話したそうです。

 
 

雷光さんは八角部屋で、平成6年春場所に初土俵を踏みました。最高位が西十両11枚目で十両を1場所務めました。初場所で引退された北勝城さんは弟で、兄弟力士でした。

四股名は、ちゃんこ雷光の経営をしている元幕下雷光山さんにちなんでつけられました。本人は最初、部屋で1人だけ北勝がつかないことを気にしていたそうですが、いまでは良い四股名だったと思っているそうです。

平成15年名古屋場所で東幕下5枚目に上がり、しばらく十両目前で頑張ります。そして平成17年名古屋場所、西幕下2枚目で5勝2敗と勝ち越し、新十両を決めました。十両では3勝12敗に終わりましたが、その後も最近まで幕下上位を維持し、十両復帰をめざしましたが、成りませんでした。平成20年春場所限りで引退です。体力の限界だそうです。



いままでお疲れさまでした。