僕たちは何者なのだろう? | 遊びをせんとや生まれけむ

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マジシャン紙磨呂のあまりマジックと関係ない話。
目指すは心に響くファンタジー。

たまにそんなことを考える。
浅草の業務をしている時や、何かを判断するとき、される時によく考える。


アーティストなのか?
→アートで言うアーティストはもっと突き抜けている。エンターテイメントとは限らないけど、、、
気取りたい人は気取ればいい。

同様に人を評価できる存在なのだろうか?
→所詮、他の分野や社会から見たらドングリの背比べ。道端にいる人だ。
ただ面白い分野であることはある程度評価できるので、
今後の可能性を含めて未知数の分野とは言えると思う。

反社会的?
その要素は往々にしてある。社会が一般人を指すのであれば。


何がしたいのか?なんのために生きているのか?
これは問題だ。そこに存在意義がある。

単純に稼ぐなら会社人になればいい。
人と違うことをしたいのであれば旅に出ればいい。
誰かに用意されたようなことをやって、同じに見られるのであれば、
会社勤めをした方がいい。
なぜこんな生き方をしているのか?
そこまで深くなくても生きていかねばならない僕らはどうしたらいいのか?
いい歳して実家に住んでいてもかまわない(どうか思う時もあるが)
多くに評価されなくとも、己のやりたいこと突き抜けていることに正直な人が好きだ。
そういう人を笑うのは、僕は好きじゃない。
それを笑えるだけの価値や存在が自分にはあるのか?
ちっちゃい世界で見下しているだけじゃないのかと。

可能性やチャレンジを僕は評価する。
自分の概念と違う存在を僕は評価したいと思う(これが難しいのか?)
ただ人の存在と熱さを評価したいと思う。
本人がやりたいこと、それを笑う人間を僕は侮蔑する。
それを考えようとしない人を僕は軽蔑する。

僕らは何者なのか?
そんなに誇れるような存在なのか?
そして誰かの判断基準に卑屈になる必要があるのか?

ヘブンの審査会結果を含めた最近のことで、よりそう思った。


別に審査委員の批判でない。
特に審査会で○○さん好みとか、こういう傾向がいいらしいとか、
傾向と対策や媚びた話ををきいて、顔色うかがうならこんな職業してる意味ないだろ?
落ちても自分に拍手して、誇って、悔しがればいいんだよ。

人を笑うなよ。おまえは笑えるそんな存在なのか?
それとも上手くやっているから幸せなのか?