第56話 | 臨時作家

第56話

-第4章 由比ケ浜-



 その日、片桐は東京の渋谷区西原にある代々木上原駅にきていた。以前きたのは十五年ほど前のことだ。当時、忍壁桂介は高校生だった。興味に抗いきれず一度だけ稽古を覗きにきたことがある。あの時の気持ちの高揚は、いまだに忘れられない。桂介の物腰、表情、技をつかう際の身のこなし、どれをとっても亡き与一に生き写しだったのだ。孫とはいえ桂介は生前の与一と数えるほどしか会っていないはずである。なのに、これほど似るものなのだろうか。あの時、忍壁流の継承者は桂介しかいないと片桐は確信した。あれから今日にいたるまで、神坂英世の存在を忘れた日は一日もなかった。忍壁流の復興と継承。それは、遥か昔に交わされ受け継がれてきた、忍壁流と室士一刀流、両武門の悲願でもあるのだ。
 なのに、どうしてですか神坂先生……。
 駅周辺も街の様子も、がらりと変わっていた。住所を確認しながら早足に道をすすむ。ほどなくして目的の家を探し当てた。表札に神坂とある。片桐はハンカチで額の汗を拭うと、インターホンを鳴らした。
「はい」
「片桐です」
「お待ちください」
 ドアを開け出てきたのは亡き神坂英世の一人息子、秀二(しゅうじ)だった。
「片桐先生、お待ちしておりました」
「秀二さん。神坂先生がお亡くなりになったというのは」
 片桐は咳き込むようにして早口に訊いた。昨夜、弥隅の窮地を見ておられず神坂英世に連絡を取ったのだ。そこまではよかったのだが、そこで知らされた事実に片桐は我が耳を疑った。
「本当です」
 片桐は落胆の色を隠せなかった。秀二に中へはいるよう促され足取りも重く玄関へとむかった。仏間に通され位牌を目にする。片桐が力なく座りこむと、秀二が支えるようにして脇に腰をおろした。
「どうして、こんなことに……」
 信じられないと言った面持ちでいると、秀二が「ええ」と、呟いた。
「急性肺炎でした」
「いつのことですか」
「正月の五日のことです」
「一月五日……?」
 今年、忍壁桂介に引き合わせると室士弥隅に約束した翌日ではないか。それから今日まで、弥隅も片桐も一日千秋の思いで英世の連絡を待ちわびていたのだ。二十七年前、室士一刀流に残った時、こんな結末を予期していなかったわけではない。だが、事ここに至ってこの運命の皮肉さはどうだ。片桐も弥隅もすでに年老いてしまった。ここから何が始められるというのだ。いや途切れた糸を手繰り寄せるしかない。まだ手はあるはずだ。なんとしても忍壁桂介を弥隅に引き合わせなければならない。



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