第30話 | 臨時作家

第30話

 仁志は室士家の塀に沿って歩き、やがて切妻(せっさい)の屋根をのせた室士家の重厚な門の中に消えていった。周一郎は歩調を早めると、追って門をくぐった。引き戸をあける音はしなかった。周一郎は玄関を右手にみながら道場へとつづく飛石をすすんだ。中門をくぐり石畳をいく。道場は静まり返っていた。
 さらに奥へ。
 そこはかとなく、かぐわしい香のかおりが漂っていた。
 奥門を開くと茫々と垂れさがった萩……。しかし仁志の姿は見えない。
 そのまま奥へと進んだところで井戸の前にしゃがみこむ仁志の背中が見えた。
 そうか、今日はたしか……。
「月命日ですか?」
 仁志が、びくりとして振り返った。
「あなたは……!」
「白木です、河勝先生。今日はビジネスできました」
「ビジネス?」
「ええ、室士宗家と」
 仁志はなにも聞かされていないようだ。困惑したようすで、そろりと立ち上がった。井戸の前で焚かれた線香の煙が風に流され体にまとわりついてくる。周一郎はいくぶん目を細め井戸に近づいた。中を覗き込む。一メートルほどのところまで土砂で埋められていた。
「先生は事件の唯一の目撃者でしたね?」
 仁志は呆然として周一郎を見た。あまりに斟酌のない質問だった。おそらく身内以外の人間に、このような質問を受けたことがないのだろう。警察も事情聴取は行っただろうが、いまの仁志から察するに、あまり多くを語らなかったに違いない。
「ねえ先生。先生のお母さん、本当に加害者だったんですか」
「あなたは……いったい……」
「ひょっとして被害者だったんじゃないですか」
 仁志の体が大きく揺らいだ。
 認めたのか……?
 仁志の双眸が周一郎の背後にむけられた。周一郎が視線を追うと、屋敷の周り廊下に仏花を抱えた建が所在なげに佇立していた。建は廊下に腰をおろしサンダルをつっかけると、井戸を挟むようにして周一郎の前に立った。
「あの……」
「先日はどうも」
 周一郎が微笑むと、建はぎこちなく微笑み返してきた。
 室士建。これほど良家の子息らしい人間もめずらしい……。
 初対面の時にも感じたのだが、この室士建という少年には、相手の気をおけなくする清廉(せいれん)なあどけなさと、都会の人間がかもしだすのとは異質の、稟性(ひんせい)の華やかさがあった。
「失礼します」
 機を得たように仁志は小走りに行ってしまった。周一郎は溜息つくと「それでは、また」と、建にひとこと残し玄関へとむかった。
 引き戸に手をかけたところで玄関が内からひらいた。中から姿をあらわしたのは着物姿の平八郎である。菓子折りでも包んでいたのか、折りたたんだ風呂敷を手に持っていた。
 平八郎が周一郎を見て、にわかに目を白黒させた。
「ああっ! 印可の日、若年寄を投げ飛ばしはった……あの……」
「白木です。どうぞよろしく」

 その後、周一郎は玄関を入ってすぐ左にある応接室に通された。年代ものの豪華な調度品が、さりげなく置かれている。忍壁与一は、この屋敷を居抜きで室士弥隅に渡したのだろうか。祖父の英世も入ったであろう空間である。周一郎は、ひとり歳月の奔流(ほんりゅう)に呑みこまれたような、たよりなげな感覚に陥っていた。
 ノックが聞こえた。入ってきたのは一堂、そして、周一郎が始めてみる七十代ぐらいの男と四十代中頃の男だった。
 思ったとおり室士弥隅は不在ってわけだ……。
 周一郎はソファーから腰を上げると親しげな笑みを浮かべた。



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