第26話 | 臨時作家

第26話

 桂介が乃木坂のマンションに帰ってくると、三階にある自分の部屋から明かりがもれていた。
 周一郎のやつ、鎌倉にいったな。
 周一郎とのつきあいは、かれこれ二十年にもなる。その間には実に様々なことがあった。当の周一郎が気づいているかどうかは知らないが、周一郎は桂介にうしろめたいことがあると、きまって部屋にきて掃除をしたり料理を作ったりして桂介の帰りをまっているのだ。幼い頃から両親が共働きをしていたせいか家事をすることになんら抵抗を感じないようで、苦にならないのだと周一郎はいう。このマメさがないとプレイボーイはつとまらないのだろうが、桂介にしてみればこれみよがしな周一郎の行動がかえって憎めなかったりもする。それとは別に部屋にきて音楽を聴いたり、ぼんやりと窓の景色を眺めていることもあるようで、桂介の、あまり他人のことをとやかくいわない性格が周一郎に居心地のよい環境をつくりだしているのだろう。
 周一郎が、いつの頃から桂介の帰りを待つようになったのかはおぼえていないが、部屋の合鍵を渡したのは、いまから九年前のことである。
 当時、周一郎は大学の一年生で、とかく女の出入りがはげしく桂介も眉をしかめたほどだ。夏も終わりの頃だった。その日は仕事が早くかたづいたので稽古の時間まで周一郎の部屋で涼んでおこうと神坂の家までくると、周一郎が自室のベランダに両肘つき口を尖(とが)らせている。「どうしたんだ」と訊ねると、お手上げといったしぐさで首をすくめてみせた。嫌な予感がして二階まであがっていくと、母親の信子が、周一郎の部屋のドアノブに手をかけたまま目を丸くしている。
「おばさん、どうかしたんですか」
「あら、桂介さん。それが……仕事から帰ってきたら泣き声が聞こえてきたものだから上がってきたんだけど……」
 中をのぞくと高校生くらいの女の子がベッドに突っ伏して泣いている。
 周一郎のやつ、またか!
 桂介は「おばさん、ちょっと」と、言って一階までおりた。
「あの子、なにか言っていましたか」
「いいえ……、私も、いま帰ってきたところだから……」
「あの子、僕の知り合いなんです。相談事があるというので……、今日は稽古日だから、ここの住所をおしえておいたんですが……。すみません、ご迷惑をかけてしまって」
 ひどい取りつくろいようだったが信子は納得したようだった。この幸せな母親は自分の息子が札付きのプレイボーイなどとは夢にもおもっていない。
 桂介は、いそぎ二階に引きかえすと周一郎を廊下につれだした。周一郎はなんの弁明もせず、ただひとこと言っただけだった。
「処女(バージン)だって知っていたら手を出しませんでしたよ」
 それから数日後、桂介は自分の部屋の合鍵を周一郎にわたした。
「俺の部屋をつかっていい。これからは神坂の家に女をつれこむのはよせ」
 桂介が勤めているのは芸能プロダクションだ。地方の興業があると長いときには一ヶ月ほど部屋を空けることもある。
「来たついでに空気を入れかえて、気がむいたら、たまった郵便物を、そこらへんにそろえておいてくれればいい」
 しかし、桂介の知る限り周一郎が桂介の部屋に女をつれこんだようすはなかった。


 部屋に入ると珈琲の香りが玄関にまでただよってきていた。きちんとそろえて置かれた周一郎の靴が目にはいる。
 ルーバー調のシューズボックスが置かれている玄関をはいりリビングのドアをあけると、冷えた空気が流れでてきた。リビングにはボリュームのあるソファーベッドが置かれており、周一郎はそのソファーに胡坐をかき分厚い書類をめくっていた。
「女をつれこんでいいとは言ったが、仕事を持ち込んでいいとは言わなかったぞ」
 周一郎はひとつ溜息をつくと、テーブルの上に乱雑にひろげてあった書類やマニュアルを片づけだした。
「これでも、気をつかっているんですけどね。それに、ここで濡れ場なんか見られた日には、一生、桂介さんに頭があがらなくなるでしょう? 考えただけで鳥肌がたちますよ」
「本音がでたな」
「まあ、ここは塵外(じんがい)でね。濁世(じょくせ)に嫌気がさしてくると、つい足がむいてしまうんです」
「なんだ、ようするに駆け込み寺じゃないか。人の城をなんだとおもっているんだ」
 桂介は背広の上着をソファーに投げおくと、キッチンとリビングを仕切ってあるカウンターの脇をとおり冷蔵庫へとむかった。中から缶ビールをとりだし、その場であけて一口飲む。周一郎が投げてある桂介の上着から煙草とライターをとりだしテーブルの上においた。
 よく気がつく……。
 両親が留守勝ちなので自然と身についた習性なのだろう。日頃、小生意気(こなまいき)におもう周一郎だが、嫌なやつだと、つっぱねてしまえない理由がここにある。



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