第18話 | 臨時作家

第18話

 片桐が部屋を出て行った後、弥隅は板間に端居して庭の梅の木を眺めていた。
「宗家、入りますよ」
 滋子だった。襖をあけ中をうかがう。弥隅一人だとわかると、滋子は畳に投げてあった団扇をひろい板間まで出てきた。弥隅の傍らに正座すると、団扇でゆっくりと弥隅に風をおくる。
「片桐先生は、仁志の隣部屋に泊まっていただきますね」
「………」
「夕飯の支度がととのいましたけれど片桐先生の姿が見えませんの。お出かけになるようなこと、おっしゃってました?」
 弥隅は、「いや」と言うと、滋子に向き直った。
「滋子、話がある」
「おやまあ、めずらしいこと」
 団扇を動かしながら、滋子が笑いを含んだ声でいった。
「仁志に室士を継がせる」
 団扇がぴたりと止まった。
「癌が再発した。すぐに、どうこうと言うわけではないが、跡目を決めておきたい。さきほど片桐先生にも仁志の後ろ盾をお願いした」
「それは、室士一刀流の宗家としての言葉ですか。それとも室士家の当主としての」
「どちらもだ」
 長い沈黙が流れた。
 滋子が音もなく立ちあがる。
 すだく虫の声がふつりと途切れた。
 雨夜の月が雲のすきまから、わずかに蒼い顔をのぞかせている。
 弥隅は滋子を見上げたが、部屋からの明かりを背にした滋子の表情は闇に溶けこみ、はっきりと読みとることができなかった。
「彩子のいったとおりに、なさいますのね」
「それはちがう。わしからみて仁志がもっとも宗家に相応しいと思った。だから決めた。そもそも仁志にはなんの罪もない。おまえも、そう言っていたはずだ」
「逃げだした國人はしかたありませんよ。でも、建は」
「あいつは宗家には向いておらん」
「あら、あの子はあなたに、そっくりですよ」
「だから、だ」
「……治療は、……入院なさいますの」
 気性の強い滋子には似つかわしくない、ひどく頼りなげな声だった。
「これから医師と相談して決める。おそらく当分は通いで治療を受けることになるだろう」
「……そうですか」
 滋子は、それきり押し黙ると踵を返し部屋を出ていった。襖が閉まると同時に、たちさわぐ葉ずれの音が部屋を満たしだした。弥隅は悄然として空を見上げた。雲足がはやい。一度、顔をのぞかせた月が見るまに雲の陰にかくれた。


「ああ、おばさん、桂介です。ご無沙汰しています」
 言うと、桂介は手に持った受話器を肩と首で器用にはさんだ。デスクの上には書類が山積し、空いた両手で中からなにやら探している様子だ。手あたり次第にひっかきまわしては、ますます混乱をひどくする。
(あら、桂介さん、お元気?)
「はい。あの、周一郎くん携帯が通じないんですが、今日はどちらかにお出かけですか?」
 話しながら、せわしなく動かしていた手が一枚のA4用紙をつかんだ。メモ用紙に「高原自宅にFAX」と殴り書きして、用紙ごと近くいいた事務(デスク)に渡す。
(どうかしら。でも仕事じゃないと思うわよ。いつもの鞄、持っていなかったから。なにか急ぎの用かしら?)
「いえ、でしたら……。ところで、おばさん、ここ数日の間でノートをまとめてゴミに出した覚えはありませんか」
 桂介は受話器をにぎりなおすと、山のようになった書類をみて、とたんに渋面をつくった。
(ノート?)
「ええ、普通の大学ノートなんですが」
(いいえ、私は見ていないわよ)
「そうですか……。いえ、いいんです。失礼しました」
 受話器をおくと桂介は一呼吸おいて書類を乱暴に掻き集めた。ようやく、そろったところで脇に置き冷めた珈琲を一口飲む。
 まいったな……。周一郎のやつ、捨ててなきゃいいが。
 というのも、つい先刻、知り合いの雑誌記者から連絡があったのだ。蔵木國人に関わる情報を依頼した記者である。聞くと、道場日誌の件で室士一刀流・金沢本部道場から連絡があり、貸した道場日誌を返却して欲しいと言ってきたという。一時は返却不要といったが、やはり気が変わったようだ。すまないが送り返して欲しいという暢気な言い草だった。慌てたのは桂介のほうである。周一郎のところに持っていってから、すでに一週間近くたっている。あの整頓マニアの周一郎が、一週間近くもゴミの山を自室に置いているとは到底考えられなかった。
 桂介は、再度、周一郎の携帯にかけてみた。 やはり不通状態のままだ。
 また、女か……。
 桂介は舌打ちして受話器を戻した。



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