第16話 | 臨時作家

第16話

 この周一郎は温雅な顔貌をしているうえ体つきもほっそりとした優形だ。おおよそ武術家には見えないところにもってきて、いつも整った身なりをしているので順良で育ちがよさそうな印象を相手にあたえる。本人もその効果を熟知していて第一印象をくずすような失態(ドジ)はけっしてしない。ようするに「喰えない男」なのだ。
 童顔のくせして、言うこともやることも、きわどい。
 おそらく周一郎の両親や亡くなった祖父の英世でさえ周一郎の素顔を知らない。それほどに、この男は自分というものを出さない。いや、出せなかったといったほうがいいかも知れない。
 周一郎の両親は周一郎が幼い頃からずっと共働きをしており、祖父の英世(ひでよ)は稽古と駅近くの碁会所にいく以外は、ほとんどの時間を一階の自分の部屋ですごしていた。七歳年上の姉がいたが周一郎が高校二年の時に結婚している。姉の優美が結婚して横浜にいってからというもの周一郎は平然と女を部屋にいれるようになった。
 いつだったか、ベッドで女と抱き合っているところに桂介がドアをあけ入ってしまったことがある。それまでにも何度か女を連れ込んでいるところを見かけていたのだが、そのたびに相手が違う。さすがに桂介が見かねて「どうなっているんだ」と、面詰したことがある。すると周一郎は眉ひとつ動かさずに「くる者は拒まない主義なんですよ」と、答えてきた。
 それから数日後のことである。周一郎の母親が桂介に、結婚相手は決まっているのかとたずねてきたので「僕は、周一郎くんほどもてませんよ」と、こたえると、傍らで聞いていた周一郎が、はにかんだように顔をほころばせた。
「女の子なんて、まだ興味ないですよ」
 万事においてそうなのだ。周一郎は桂介以外の人間のまえでは、まったく別の人間を演じてみせる。
 それとも、俺の前にいる、この周一郎が別人なのか……。
「なんです?」
「おまえ、ちかごろめっきり女遊びをしなくなったな、どうしてだ」
「飽きたんですよ。桂介さんはどうなんです」
「俺?」
「もう三十三でしょう? そろそろ身をかためたほうがいいんじゃないですか。もっとも相手がいなきゃ始まりませんがね」
「おおきなお世話だ」
「ところでこれ、どうするんです」
 周一郎が、ちらと視線を投げる。
 桂介は古びたノートの山を見て渋面をつくった。
「返却不要だ。今はパソコンでデータベース化されているらしい」
 ようするに、ゴミの束を十万で買ったわけだ……。
 周一郎は空になった紙袋にノートを戻そうとして手をとめた。
 底のほうに何かある……。
 取り出してみると手のこんだ和紙でつくられた封筒だった。そうとうに古いものらしく、ふちが茶褐色に変色しており、ところどころ虫の喰った痕がある。宛名は達筆な文字で「蔵木長政(うらきながまさ)様」と書かれてある。
「どうした?」
「手紙です、蔵木長政宛の。金沢道場の前の道場主、つまり、國人の義理の父にあてて書かれたものですね」
「差出人は」
「室士滋子(むろししげこ)、今の弥隅(やくま)の妻ですよ」
 桂介は、さして興味がないようである。「そうか」と、生返事をして目をとじた。
 封筒の中には四つ折りになった便箋が入っていた。周一郎が便箋をとりだすと、手からすり抜けていったものがある。手紙に同封されていたのだろう。拾い上げて確かめる。
「戸籍抄本……?」
  
 父・河勝智司
 母・彩子
 子・仁志
 
 なんの変哲もない戸籍だ。これが、なんだっていうんだ……。
 手紙を開いてみる。便箋、二枚にわたり書かれていた。


お変わりございませんか
先日は無理なお願いをお聞きとどけいただきまして誠にありがとうございました
ご希望の戸籍抄本を同封いたしましたので、どうぞご覧ください
尚、先だってお申込みのございました貴社への融資に関しましては室士が滞りなく準備をすすめておりますので、今しばらくご猶予くださいませ
また、國人(くにと)も婿養子として蔵木家に入ること承知いたしました
不肖の息子でございます
蔵木先生によきご指導をいただければと存じます
本来なら、すぐにでも室士が参上し、ご挨拶しなければならないところ書状で失礼いたします
来月あらためまして、室士が國人ともども、ご挨拶に参上させていただきますので何卒よろしくお願い申し上げます
末筆ながら、仁志(ひとし)の件に関しましては将来のこともございますので、どうか他言無用のほど伏して願い上げます


昭和六十ニ年 葉月


 周一郎は長い間、手紙と戸籍を交互に見ていたが、そのうち、眸を大きくひき口辺に笑みを浮かべた。
 桂介をみると、いつのまにか寝入ってしまっている。
 周一郎は手紙を封筒にもどすと、机の上に投げられた赤いシステム手帳にはさんだ。



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