第9話 | 臨時作家

第9話

 奥伝の三人と片桐が立ち上がり、それぞれ道場の四隅に立った。激しい動きにそなえ見落としのないよう立合の補佐をするのである。
 蔵木が最後に一堂と仁志の間に立った。
 互いの礼がなされ五間(ごけん)間合いに立つ。
 ゆっくりと晴眼(せいがん)の構えがとられた。
「はじめ!」
 蔵木の声を合図に、摺足(すりあし)で一足一刀(いっそくいっとう)の間合いまで歩み寄る。
 双方の動きがぴたりと止まった。
 誰かが生唾をのむ。
 一堂が迅速な動きをみせた。
 一堂はそくざに上段に振りかぶり間境を越えてきた。仁志の面めがけて大きく竹刀を振り下ろす。とっさに擦り上げようとした仁志の手から竹刀がはじけ飛んだ。すばやく目で追った仁志の後方に、竹刀は凄まじい勢いで叩きつけられていた。
 一堂に視線をもどすと一堂の竹刀の尖(さき)が喉もとにぴたりとついていた。
 蔵木が頭上たかく腕を振りあげた。
「一本!」
 仁志は姿勢を正すと、「まいりました」といって、一堂に頭をさげた。
 ころがった竹刀を門弟が慌てて拾いにいった。竹刀を見下ろし躊躇(ちゅうちょ)したように仁志を振りかえる。
「……折れています」
 建が、ぐいと膝を乗りだした。
 仁志は大股に近づいていき竹刀を拾いあげた。瞬刻、双眸がひらかれる。言われたとおり竹刀は柄元三寸(つかもとさんずん)くらいのところで見事に折られていた。
 一堂は刀掛にあるひき肌竹刀をつかむと仁志に柄のほうを差しだした。仁志が無言で竹刀をうけとる。
 建は一堂の姿を目で追っていた。
 仁志の竹刀を打ったときの確かさと疾(はや)さは尋常ではなかった。これほどの腕を持っていながら、これまで微塵も見せなかった一堂に、建はある種の不気味さを感じはじめていた。
 蔵木は一堂と仁志が位置につくのを見届けると、一呼吸置き「はじめ!」と、声を張り上げた。
 一堂は今度は動かなかった。
 仁志が構えを晴眼にとったまま、じりじりと間合いをつめる。
 すると、一堂は右足を引きながら八相(はっそう)の構えにもってきた。
 仁志が眉のあたりに疑々とした表情を浮かばせた。
 これまで様々な流派の技を見てきたが、これほど隙だらけの構えは見たことがない。両脇を広くあけ体の重心も後方にかたよっている。どこに打ち込んでも、とれそうな気がしてくるのだ。
 誘っているのか……?
 仁志は一堂の出方を見ようと、あいている左胴に見せ打ちをいれてみた。刹那、一堂の左足が後方にあざやかな円を描いた。仁志は一瞬の虚をつかれ、またもや八相から振り下ろされた一閃に、竹刀をしたたかに打ち落とされていた。鈍い音が空をつらぬく。
 仁志はかろうじて柄を握ってはいたが、こんどもやはり、測ったように柄元三寸のところで竹刀はもののみごとに折られていた。
 俄かに周囲がさんざめく。
 わずかに前傾姿勢になった仁志の鼻先に、またしても一堂の竹刀があった。
「それまで!」
 蔵木の声が響くと門弟たちがいっせいに息を吐きだした。
 建は頬を紅潮させ壁に背中をあずけた。
 偶然じゃない。はじめから狙っているんだ……!
 繰り打ち……でなきゃ、拍子打ち。どっちにしても仁志じゃとてもかなわない。
 一堂は仁志の落ち着き方が気に入らなかった。一堂ですら額にうっすらと汗をかいているというのに、仁志は悠揚として涼しげな顔を一堂に向けていた。
 天狗の鼻はむかし道場荒らしを相手につかった、相手の自信や慢心をくじく手段だった。ここ数年は見かけなくなったが以前は道場荒らしだと言わないまでも、体験入会と偽って乗り込んでくる腕自慢のやからが多かった。大抵の相手は出鼻で竹刀を折られ戦意喪失するものだが、この仁志は違った。このままいけば仁志はかならず天狗の鼻をかわしてくるだろう。
 いや、すでに……。
 仁志の醒めた双眸とあう。一堂はかすかに苦笑すると弥隅を振り返った。弥隅が、はっとしたように眸をひらく。
 仁志は無言で刀掛までいき、竹刀に手を伸ばした。
 と、その時、一堂が言った。
「木刀にしませんか?」
 仁志の肩が大きく波打った。



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