第3話 | 臨時作家

第3話

 あの惨劇のことについて語りたがらないのは仁志にかぎったことではない。祖父の弥隅をはじめ、祖母の滋子、仁志の父・河勝智司にしてもそうだ。建が得られた事件の情報といえば新聞や週刊誌の類から入手したものがすべてといっていい。
 建自身が、仁志のように傷を負ったわけではない。ただ、事件が起こった数十分間の記憶が欠落しているのだ。新聞や週刊誌に、建がその場にいたという記述はどこにもなかった。
 でも僕は、あの場所にいたような気がする……。


 横浜市内の大学病院から北鎌倉の屋敷にむかうハイヤーの後部座席で、建は窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。鎌倉は、戦火、地震、津波などの災害で、いくども壊滅に近い被害をこうむった土地である。倒壊と復興をくりかえしてきた古(いにしえ)の都に、絢爛(けんらん)とした面影はない。ハイヤーは円覚寺(えんがくじ)の脇を通り、閑雅な住宅地にはいった。しばらくして黒塀の背後から瓦屋根の屋敷が姿をあらわした。
 弥隅が「そこだ」と、運転手に声をかける。
 ハイヤーが切妻の屋根をのせた古めかしい門の前で停まった。
「着いたぞ、建。一ヶ月ぶりの我が家だ」
 建は、おぼつかない足取りで門をくぐった。
 武家屋敷を思わせる平屋造りの家屋。
 沈丁花としゃくなげが彩を添える前庭。
 楓の巨木と織部灯籠(おりべとうろう)……。
 生暖かい風が髪を撫でた。
 足もとで桜の花弁(はなびら)がきらめき、逢魔刻(おうまがどき)の藤色に似た陽ざしがおりてくる。
 どこかで、季節はずれの風鈴が鳴っていた。
「………」
 なんだろう、この、ふわふわした感じ……。
 ひょっとして自分はすでに死んでいて、浮遊霊となって屋敷に舞いもどってきたのではないだろうか……。
 彷徨(さまよ)っていた視線が前庭の奥へと吸いよせられた。
 ふらり、と、歩きだす。
 織部灯籠を左手に見て千鳥(ちどり)がけに打たれた飛石をいく。
 中門があり、そこからは石畳がつづいている。
 右手に静まり返った道場、そして、奥門。
 さらに奥へ……。
 茫々と垂れさがった萩の奥に古びた井戸が姿をあらわした。
「瑞之井(みずのい)……」
 胸が激しく動悸(どうき)を打った。
 思わず胸に手をあてる。
 突然、背後から肩をつかまれ、建は小さく叫び声をあげた。
「大丈夫か」
 振りかえると、弥隅の心配そうな顔があった。建は大きく肩で息をすると無理に笑ってみせた。


「それで、三橋(みつはし)さんに任せようと思うんですが」
 物思いにふけっていた建が、ぴくりとして顔をあげた。
「任せるって? ごめん、聞いてなかった」
「師範研修中の切紙(きりがみ)の指導です」
「いいよ。人選は仁志にまかせる」
「これが三橋さんに渡す稽古内容です。目を通しておいてください」
 手渡されたプリント用紙を見ると、剣術の形名と、その形をつかう際に陥りやすい注意点、目付、足運びなどが、こと細かに書かれてあった。目を通せといわれても実際のところ建は学生なので夜の稽古にしかでていない。宗家の孫ということで「若先生」などと呼ばれてはいるが指導経験は皆無にひとしく、道場の名札が仁志の横にかかっていること自体、しごく迷惑な話だった。
「わかった。ところで、一堂先生はもうきてる?」
 一堂数馬は室士一刀流の皆伝師範(かいでんしはん)である。室士一刀流には皆伝免許を許された高弟が三人いる。ここ、鎌倉道場の一堂数馬、伊豆道場の道場主・片桐清三、そして、弥隅の息子であり金沢本部道場の道場主である蔵木國人だ。
「一堂先生は、まだ、姿を見かけていませんが、奥伝(おくでん)の御三方が揃っていらしていますよ」
 建が、「天災トリオが?」と、頓狂な声をあげた。書類を揃えていた仁志の手がぴたりととまる。建は悪戯(いたずら)を露見された子供のような表情をしてみせた。
「忘れたころに現れるから、天災トリオ」
「……おもしろいですね」
 仁志は無表情に言って腰をあげると、袴の形を手ばやくととのえ部屋をでていった。
 仁志の足音が消えるのを待って、建がおおきく溜息をついた。



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