いろは歌の音読ができる様になったら、次にお勧めしたいのがこちらです。

やまとうたは
ひとのこころをたねとして
よろづのことのはとぞ なれりける

よのなかにあるひと
ことわざしげき ものなれば
こころにおもふことを みるもの きくものにつけて
いひいだせるなり

はなになくうぐひす
みずにすむ かはづのこゑをきけば
いきとしいけるもの
いづれかうたを よまざりける

ちからをもいれずして あめつちをうごかし
めにみえぬおにがみをも あはれとおもはせ
をとこをんなのなかをも やはらげ
たけきもののふのこころをも なぐさむるはうたなり


これは、『古今集』序文「仮名序」の最初の一部分です。
まだ音読を始めたばかりの子供が読むにはちょうど良い長さです。

音読では「ゑ」は「we」、「を」は「wo」と読ませます。
「ひ」「は」など「い」や「わ」と読むところはルビを打っておくと間違えにくいです。

『古今集(古今和歌集)』には「仮名序」と「真名序」という二つの序文があります。その名の通り、「仮名序」は平仮名つまり大和言葉で書かれ、「真名序」は漢文でかかれています。筆者は紀貫之ですが、当時の男性貴族は日記や公文書は漢文で書いていましたから、それを仮名で書いたものも作るというのは画期的なことだったと思います。今の中国語もそうですが、漢文も微妙な描写や心情を表現するのは苦手な言語ですから、紀貫之も大和言葉でも書きたくなったのではないかと思います。

原文は大変長いものです。和歌の本質、歴史、六歌仙(在原業平、僧正遍昭、喜撰法師、大伴黒主、文屋康秀、小野小町)について書いてあります。
上に出した部分はこの和歌の本質について述べた部分です。

平仮名だけでは、意味が分かりにくいので、漢字まじりの文にしてみましょう。


やまと歌は
人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける

世の中にある人 
事 業(ことわざ)しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり

花に鳴くうぐひす 
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの 
いづれか歌をよまざりける

力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり


大人であれば、何度も読み返せば、これでだいたいの意味は取れますが、以下に現代語訳を書いてみます。

【現代語訳】

大和歌とは、人の心を種として、たくさんの言葉となったものです。
世の中にある人は事物や行為がたくさんあるものですから、心に思うことを、見たり聞いたりしたのに合わせて、言い表わしたのです。

花に鳴くウグイス、水に住むカエルの声を聞けば、生きとし生けるもの、歌を詠
まずにはいられないでしょう。

力を入れなくても天地を動かし、目に見えぬ鬼や神をも感動させ、男女の仲も和らげ、猛々しい武士の心をも慰めるのは、和歌なのです。


【以上】

力を入れなくても(和歌を歌うだけで)天や地を動かす。すごいですね。

これについては、柿本人麻呂が、岩見の国(島根県)に妻を残して都に出立したときに、「・・・?夏草の 思ひ萎れて 偲ぶらむ 妹が門見む なびけこの山」と詠んだら、本当に岩見の山々がなびいた、という伝説もあるそうです。

実際、平安時代の宮中では政(まつりごと)とは、神様への祭祀・儀式を行い、ひたすら和歌を歌うことでしたから、歌の力で天地も動かすことができると信じていたのでしょうね。

まさに、言霊の力です。

でも、現代の私たちも古(いにしえ)のひとたちを笑うことはできません。
「憲法9条によって、日本の平和は守られて来た」だの「平和、平和と唱えていれば、平和が守られる」だの、極めつけは「軍事のことや核兵器を持つなどということは議論するのもまかりならん。軍靴の音が聞こえる。」などと大の大人が真面目な顔をして言ったりするのですもの。

日本は、実は現代も言霊の国だったのですね。

例えば、辛坊治郎??氏が中川昭一氏を酷く罵倒し、「○○してしまったらいいんだ。」と公共の電波で発言したことがありました。

中川氏の死の原因はマスコミによる袋だたきや、選挙の結果によるストレス、体調不良など色々な要因が重なってのことではあるでしょうが、私も含めて、多くの人たちが辛坊氏を非難しました。

もちろん、発言をした当初も非難は巻き起こったのですが、中川氏の死後、もっとたくさんの非難が起こりました。

これは、辛坊氏が言霊を発することにより、中川氏を呪ったと日本人はとったからです。しかも本当に中川氏はお亡くなりになってしまった。こういう場合は言霊を発した主には責任があると思われてしまうのです。

さて、渡部昇一氏は「日本人には和歌の前での平等がある」とおっしゃったそうです。なるほど、万葉集には歴代の天皇の歌とともに、百姓、女性、兵士、帰化人、罪びと、乞食の歌も集められています。また地域も東国、北陸、九州などの地方の歌もおさめられています。古代から、貴賤にかかわらず歌を詠み、その歌は尊ばれたのです。

現代でも毎年1月15日に行われる皇室の歌会始では両陛下や皇族方のお歌とともに公募で入選した一般人の歌が披露されます。

歌会始の儀(宮殿:松の間)
ひなげしのブログ-歌会始2

陛下の歌の朗読を聞かれる皇后さまと皇族方(2009/1/15)
ひなげしのブログ-歌会始1
来年の勅題は「光」すでに公募は終わっていますが、歌会始の直後に次の勅題が発表されますので、我こそはと思われる方は挑戦してみるのもいいかもしれません。

それでは終わりに「仮名序」の最後の部分を

人麿なくなりにたれど 歌のこととどまれるかな
たとひ時移り 事去り 楽しび哀しびゆきかふとも
この歌の文字あるをや
青柳の糸絶えず 松の葉のちり失せずして 
まさきのかづら長く伝はり
鳥のあと久しくとどまれらば 歌の様をも知り 
ことの心を得たらむ人は
大空の月を見るがごとくにいにしへを仰ぎて 
今をこひざらめかも


「仮名序」の全文を読みたい方はこちらへどうぞ。