かめ新聞
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待つわ

 

 

 私待つわ いつまでも待つわ

 たとえあなたが ふり向いてくれなくても

 待つわ いつまでも待つわ

 他の誰かに あなたがふられる日まで


 「待つ」機会がずいぶん減った。思いがつのることも、今か今かと待ちわびることも減った。もうその理由は言うまでもないね。だから「待つ」が歌から消えていく。同時にその仕草も心模様も風景も消えていく。

 時代があんまりにも急いでるようなら、その揺り戻しを歌にする。それも歌の役割のひとつだったかもしれない。振り返れば、1982年というせわしい時代にリリースされた『待つわ』がオリコンチャートの年間一位になったことはそれを暗示している。

 

 当時の流行歌を思い出せば「待つ」は至るところに出てくる出てくる。

「偶然をよそおい帰り道で待つわ〜」1981年(まちぶせ/石川ひとみ)

「どれだけ待てばいいのですかあぁ届かぬ愛を〜」1980年(万里の河/チャゲ&飛鳥)

「男はいつも待たせるだけで女はいつも待ちくたびれて〜」1980年(恋/松山千春)

 ホームやバス停といったプラットフォームを舞台にして「待つ」の意味も移ろい変わる。

「汽車を待つ君の横でぼくは時計を気にしてる〜」1975年(なごり雪/イルカ) 

「バスを待つあいだに涙を拭くわ〜」1972年(バスストップ/平浩二)

 

 「待つ」というのは、そこに期待や不安というアンビバレントな気持ちを含み、また「待つ時間」というものが決心や覚悟という気持ちの確認作業も含んでいた。アイツの登場によって気づかない間に、こうした感情のかけがえのなさをぼくたちは失くしている。そんな感情のやり場を失くした都市空間はどこか空虚さを漂わせている。

 

 誰も私の心 見ぬくことはできない

 だけどあなたにだけは わかってほしかった

 

hana竣工

hana 店舗移転改修が終わり、昨日オープンしました。

大好きな市川でまたひとつ特別な場所ができました。

少し前の準備中にお邪魔した時、空間を彩る商品の陳列が始まっていました。そこにはデザインの力のようなものへの信頼と共感が感じられて、とても嬉しくなりました。

クライアントは染色家の柚木沙弥郎さんのご家族なので、その沙弥郎さんのデザインした商品や書籍、クッキーなども販売しています。

現在、日本民藝館では『柚木沙弥郎展』が開催されていますので、合わせてお知らせします。

https://mingeikan.or.jp/special/ex20230

 

 

 

2022年暮れ

2022年が暮れていきます。

コロナ禍の社会は3年がたち、東京に出向く機会は極端に減りました。それぞれの町で楽しむ暮らし方を皆が求めて、実践しています。

今年のかめ設計室はギャラリーfとともに、地域の人々に支えられた一年でした。

来年にはhanaさん、fishandbooksさんなど設計のお手伝いをした店舗が市川にオープンします。

小規模な保育と地域社会との連携を指向している善福寺の家との出会いも偶然ではありません。託児所や保育園といった子どもの環境を考えてきたことが、私たちの建築をより具体的に言語化できるような手応えも持ちました。

他にもプロジェクトは数々ありましたが、一つ一つがより良い社会のための一歩となれたらいいなと思います。

さて、今年もあと2時間となってきました。

2023年の出会いを楽しみにしながら

皆さま良いお年をお迎えください。

 

本棚製作

地元、市川真間の東屋さんから本棚の製作を頼まれました。
いつも事務所やギャラリーの棚やプランターをつくっているが、やっぱり人様のものをつくるのは緊張感が違う。若手スタッフが頑張り、無事に納めることができた。
作ること、考えること、設計することはひと繋がり。
その上、コスト管理と段取り(スケジュール管理)も学べるのがセルフビルドの良さ。
やっぱり基本は「手で考える」
 

 

 

 

 

富津の家

 千葉の富津市で進めていた住宅の改修工事が終了した。

 増築されていた部分を再び減築することで風や光、視線が通り、玄関側に移したキッチンからは1階全体が見通せるようになった。

 この家でいちばん古い瓦屋根の平屋を残して、そこから障子、鴨居、欄間という軽やかな断面構成を新しい空間に持ち込みつつ、壁は白漆喰とすることでその新旧の対比が鮮明に。

 施工は村上建築工房。竣工写真は中村晃さん。

 

 

 

富津の家(改修)

 千葉県富津市で古い住宅の改修工事を進めている。記事を書くのが滞っていたので、外観のみだが経過を少しまとめた。

 

 広い敷地に増築が繰り返されていたようで、北側道路ギリギリまで建築が建ち、そこに古墳の緑が見えるにも関わらず、視界は閉ざされていた。部屋を広げようとしたのに、もともとのリビングスペースが暗くなっていた。こういう改修例はとても多い。


 まず緑の古墳がリビングから見えるように減築する計画を立てた。減築は敷地環境を生かす方法として有効になることもある。

 いちばん古い平屋を残して、その後に増築された部分を減築しながら再改修する。その新旧の対比を大事にした。目の前にある古墳に登ると海が見渡せた。
 

大竹康市の建築ロマン

事務所の斜向かいに新装したギャラリーfで小さな講演会を開催した。
大竹海さん『父を語るー大竹康市の建築ロマン』

象設計集団の創始者のひとり大竹康市は、

名護市庁舎で日本建築学会賞を受賞した翌1983年、サッカーの試合中に急逝された。
わたしたちにとっては話だけで伝え聞く伝説の大先輩である。
大竹氏のスケッチブックやノートをもとに、

息子であり建築家の大竹海さんからレクチュアを受けた。
商店街のギャラリーらしく半分は専門外の人や学生を交え、

道ゆく人も興味深げにのぞいていたのが印象的だった。

大竹康市のことばはいっけん活動家のようだが建築家の魂の叫びである。
洞察力と勇気
一点突破
まず行動
恐れを知らない突撃
議論は何も生み出さない
建築は地域文化の表明である
インターナショナルと言われるものは建築とは考えていない
本音が通用する世界をめざしてゆく
建築雑誌は見たことがない
これが建築なのだ

 

 

旧友と過ごす時間

 古くからの友人がはるばる訪ねてきてくれる。人生においてこんなに豊かな時間はあるだろうかと近ごろ身に染みる。

 大学時代の友人(後輩は兵庫から)、元象設計集団の友人(先輩家族はマレーシアから、後輩は熊本から)、かめ設計室の元スタッフ(Nはスウェーデンから)。Nに至っては帰国直後から出国までの間に4回も顔を出してくれたよ。

 親元を離れ自立してからの人生には本当にいろんなことがある。そのことを確かめ合うように、口に出してもいいし、出さなくても伝わる、それが旧友というものだね。

 

7月2日

7月5日

7月29日

8月13日

月夜見山荘+おすくに

 竣工から4年が経って、運営も順調で、のんびり心地いい時間が流れていた。 
 夜は涼しく窓全開で眠ります。久しぶりの訪問でしたが、ここの原則はとにかく恵まれた環境を最大限生かしていくということなのでしょう。場所を生かし、場所に生かされていく。つくりつつ、つくられていく。という意味では、まだまだ始まったばかりですね。
 料理は美味しくて、近くにはたくさん温泉もある。食う寝るところに住むところ完備のおすすめスポットです。のんびり山梨県早川町へ。近くの勝沼では桃やブドウがシーズンです。

 

 

 

 

吉阪隆正展レビュー

 東京都現代美術館で6/19まで行われていた展覧会「吉阪隆正展」のレビューを『建築技術』7月号に執筆しました。雑誌『コンフォルト』6月号には原田麻魚さん(マウントフジアーキテクツスタジオ)も同じくレビューを執筆されています。

 ボクが象設計集団にいる頃だから、麻魚さんとはもう20年以上の付き合いですが、先日美術館で偶然会った時に「吉阪さんに会っていない世代がレビューを書くことになるね」と話しました。昔から吉阪さんイイよねと気が合い、今でもその気持ちを変わらず持っているふたりです。そう言えば、非常勤講師でご一緒した中川エリカさんもそんな思いを話してくれました。次世代にもファンの多い吉阪さんです。

 

 

 

 

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