ポリープ退治ってこんな感じです(その3) | 落語・ミステリー(もしくは落語ミステリー)・映画・プロレス・野球・草バンド活動のよもやま話、やってます。好きな人だけ寄ってって。

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鎌田善和です。売れてない分時間はありますので、遅まきながらブログ始めました。記事は落語やミステリーが中心ですが、映画・野球・プロレス・草バンド活動(野球でいう草野球の事)もリストアップしておきます。気になる、興味がある、と思う人にだけ伝われば。

 おはようございます。記事の更新に何日か間が空いてしまって申し訳ありませんでした。

 実は先週の木曜日、このブログを書き上げた後に、5冊目の本の著者見本が到着しました。元々翌日の金曜日と土日には予定がありまして、出来上がった本を読みたくても(どんな内容なのかは当然知っていますから、新たに出合った物語を読み進めるドキドキ感みたいなものは無いのですが、やっぱり自分の原稿が”本”になって、そのページをめくって読み進めるというのは、他には代えがたい感情が湧くものです)それが出来ない。一方で、これもおかしな感情なのですが、「本になった作品を簡単に読んじゃうのはもったいない」みたいな気持ちもありまして、だから、「寸暇を惜しんで」とか「無理に時間をやりくりして」みたいな読み方はしたくないんですよ。着想した内容を一度パイロット版のような状態に書き上げたのが昨年の12月の初旬、そこから、編集さんとの遣り取りが始まって、今年に入ってから正式な原稿としての初稿を書き上げ、それから第一稿、第二稿と遣り取りがあって、最終稿を提出したのが5月の終わりでしたからね。パイロット版に取り掛かった時から考えると8か月(着想してからはもっと長い時間が流れています)以上の間、アカデミックな書類の数々や資格試験の問題などを作成する合間を縫って(心情的には「監視の目を盗んで」という後ろめたさがありつつ)、一所懸命書いたものですからね。他に何もしていないで書いたのとはやっぱり達成感が違います。で、それを昨日、ゆったりと流れる時間の中でやりましたので、正直、ブログにまで気持ちが行きませんでした。ということで、実にさっぱりした気分で、今日はブログの続きを書きますね。

 さて、実際に入院した当日(翌日の朝8時40分に手術室に入るのですが)は、すでに手術に関する検査も、入院生活に対する説明も、すでに受けて完了しておりましたので、特に何もすることがないと思っていました。何度も言いますが、客観的には「声帯ポリープの除去なんて、大したことのない手術」だと思っているのですが、自分の身に降りかかるとなるとなかなかそうは割り切れません。もちろん、カミさんが木・金と会社を休んでくれていましたので、一人で”考え込む”ことはないと思っておりましたが、人間暇だとくだらないことを考えがちですからね、その手術前日の”暇”をどうやって乗り切ろうかが不安でした。ところがこれが、有難いくらいに暇じゃありませんでした。

 まず、入院生活を過ごすために自分に割り当てられたベッドまで向かわねばなりません。僕は11階の東病棟でしたので、入院手続きをした1階からカミさんと11階に向かいました。そのフロアーに着いて、ナースステーション(という名称ではありませんでしたが、実体はどの病院にもあるそれです)に声を掛けるように言われていましたのでそうすると、うまい具合に、その時に対応してくれた看護師さんが、僕を担当してくれるHさんでした。で、僕に割り当てられた部屋に連れて行ってもらうと、なんと3人部屋の窓側という、とても開放感のあるベッドが僕の仮住まいでした。「こんなロケーションだったら、3日で退院してしまうのはもったいないな」。ベッドについて荷物を置いて、最初にそう思いました。しかも、その大きな窓から、我が家の屋根が見えるんです。いつも普通に歩いて駅や商店に向かっている道路が、これまでに見たことのない景色として眼の前に拡がっている。僕が入院した病院は、僕の家から歩いて1~2分の場所にあるんです。この病院を大きなお屋敷と譬えたら、差し詰め僕の家は敷地内の物置小屋という按配でしょうか。何か月もの入院になったら「里心」が付いてしまいそうな距離です。

 そこに落ち着くとすぐ、そのフロアに常駐している事務職の若い女性が来てくれて、実際に歩きながらフロアの設備などの説明をしてくれました。僕もそうですが、そのフロアに入院している患者さんは、確かに入院加療が必要ではありますが、「生死」に直結するほど重篤ではない(デイルームには”糖尿病やその他の生活習慣病”に関するポスターなどが貼ってありまして、そこにある自販機では糖分の入った飲料は売っていませんでした)ようで、その所為か、なんとなく雰囲気が穏やかでした。僕の部屋にはトイレと浴室(といっても本格的な入浴ができるのではない、いわゆるシャワールームです)がありませんでしたので、共用のそれらを使うためのやり方などを丁寧に教えて貰ってベッドに戻ると、もう昼食です。カミさんには昼食が出ません(当たり前だ!)ので、カミさんの昼食と、入院してその様子をみてから買おうと決めていた生活必需品(実際にはウエットティッシュくらいでしたが)の買い出しに、B1フロアの売店(昔の病院には必ず、田舎のヨロズ屋さんみたいな独特のそれがありましたよね。でも今は、大手のコンビニがそのまま入っていまして、全然特別感がありません)に行って、自室に戻って2人で昼食を取り終えると、そこから”麻酔の説明”や”手術室担当の看護師さんとの面談”が用意されていました。今時ですから、丁寧な説明をしなくてはならないのでしょう。麻酔の担当の先生も、手術室担当の看護師さんも、なんとかこっちの不安をぬぐおうとしてくれているのはよく分かりました。だからこっちも、なんだか「そういう気持ちに応えよう」みたいなカラ元気が出て、一打逆転のケースでバッターボックスに入るような気持ち(つまりそういう時は打ちたいという気持ちだけではなくて、打てなかったらどうしようという一抹の不安も抱くものです)でベッドに戻ってテレビを点けたら、どこでもやっていたのは小林麻央さんの訃報でした。僕とは病のレベルが違うと分かってはいるのですが、何となく身につまされる思いがしてしまう。そうこうしているうちに夕飯になり、またカミさんの夕飯を一緒に買い出しに行ってからそれを食べたら、あえなく面会時間が終わりました。こうしてその日は、何となくシャワーを浴びる気にもならず、消灯時間に合わせて寝ることにしました。で、目が覚めたら手術です。

続きはまた、明日か明後日に。