あと0.7秒で日本は死の国になる寸前だった真実 | 人間「すがはらまき」の視点  ハワイ島 カロコの森から 全地球へ繋ぐ言霊   

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ハワイ島から美しい地球がいつまでも輝きますように・・・
魂の一滴としてメッセージを伝え続けます。

日本の皆さん
0.7秒遅れていたなら
私達はもうこの世からいない
存在になっていた可能性もありました。

この真実をしっかりと理解し、
過ちを犯さないという
重大さに気がつかなければなりません。

以前このブログでも
伝えさせて頂いた、長年原発の建築、
安全管理などの監督を務められていた
平井憲夫さんのインタビューを通じて
伝えられています。


http://www.news.janjan.jp/area/0412/0412292123/1.php
JANJANサイトから引用です。

 2004年8月9日、長崎で59回目の
が行われた日の午後、福井県美浜町にある
関西電力美浜原子力発電所3号機が
11人の死傷者を出す大事故を起こしました。

建設してから28年間、定期検査を怠っているうちに
厚さ10mmの鋼管が1.4mmにまで薄くなって
いたという報道に、私は「やっぱり」
という思いを強くしました。

というのは、約20年にわたる原発建設の現場監督の
経験をもとに、原発がいかに設計通り造ることも、
維持管理することもできない
「いい加減なもの」であるかを言い遺して
亡くなった平井憲夫さんの言葉通りだったからです。

私が原発に関心を持ったのは、大きな運動となった
伊方原発出力調整実験反対がきっかけでした。

1988年のことです。東京・国立で原発の
勉強会があるからと誘われて参加しました。
講師は平井憲夫さんでし た。

その時、平井さんから
「みんな廃炉というけれど、原発は止めたら錆び始めるよ。
穴があけば放射能が漏れるからね。

止めても燃料棒を出して、発電しているときと
同じように管理しつづけなければならないのが原発だよ」
と聞きました。
素人でも納得のいく話であるだけでなく、
「廃炉にできない!」ことに衝撃を受けました。

平井さんのこの話はずっと頭から離れませんでした。

 1995年1月、マグニチュード7.3の
兵庫県南部地震は阪神・淡路大震災を引き起こしました。
原発がなかったことは本当に不幸中の幸いでした。

そのころ、私たちは「PKO法『雑則』を広める会」
をつくって活動していました。
私たち日本人は山のように原発を抱えた
地震列島に住んでいます。

地震と原発を重ねて考えることが重要だと思い、
多くの方に協力をお願いして、私たちの会誌である
『アヒンサー』の「地震と原発」号を
急遽出版することにしました。

 私たちは平井さんのお宅で3回お話を伺い、
講演記録も参考にし、「原発がどんなものか知ってほしい」
という平井さんのお話を文章にまとめました。
そして原発現地の人々の声とともに、
「アヒンサー・地震と原発」(95年5月発行)
に掲載しました。平井さんもこのような形に
まとまったことを大変喜んでくださいましたが、
それから2年半後に亡くなりました。

 平井さんは「原発がどんなものか知ってほしい」
のなかで、1991年2月に美浜原発2号機で
起こった事故について

「もうびっくりして、足がガクガクふるえて
椅子から立ち上がれないほど」だったと、
次のように語っています。

「原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、
炉が空焚きになる寸前だったのです。
日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、

あと0・7秒でチェルノブイリになるところだった。

それも、土曜日だったんですが、
たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが
停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、
世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。

日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ」

「原子炉には70気圧とか150気圧とかいう
ものすごい圧力がかけられていて、
配管の中には水や水蒸気--水といっても
300度もある熱湯--がすごい勢いで通っていますから、
配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。
そういう配管とかバルブとかを、
定検でどうしても取り替えなくてはならないんですが、
この作業に必ず被ばくが伴うわけです」

「(そのため原発労働者は防護服、安全靴、
放射能を吸わないように全面マスクを
付けたかっこうで現場に入り)放射能の心配を
しながら働くわけですから、
実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。

普通の職場とはまったく違うのです。

そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。

お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。

言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。
そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで
作業をするわけです」

 美浜原発ばかりでなく、あちこちの原発で
同様の破損が起こっています。


平井さんの言い遺した通りの
「いい加減な」工事や定期検査が生んだ事故です。
とくに私たちが恐れているのは、
地震災害と原発事故が複合した「原発震災」です。

国が「マグニチュード8クラス」と想定している
東海地震の震源域の真上に、国が5基も許可した
中部電力浜岡原子力発電所については、
まさに正気の沙汰ではありません。

 茨城県東海村のJCO臨界事故(1999年)や
美浜原発3号機事故、阪神・淡路大震災や
新潟県中越地震を目の当たりにし、
「浜岡原発震災」への恐ろしい思いが一層募るなかで、
改めて多くの人々に
「平井憲夫さんのお話--原発がどんなものか知ってほしい」
を読んでいただきたいと思い立ちました。

世論の高まりに期待する以外にこの
「人災」を止める道はないからです。

すべては一人ひとりから始まります。

 この原稿を書いているときに、
スマトラ沖地震のニュースが飛びこんできました
(12月26日)。東海地震と同じプレート境界型の地震です。

マグニチュード9のこの地震は、
震源地近くに大きな被害をもたらしただけではなく、
地震が引き起こした津波は遠く離れた国々をも
直撃しました。国が「マグニチュード8クラス」
と想定している東海地震は浜岡原発を直撃します。
その時、原発がどうなっているか想像してみてください。

「死の灰」によってこの国を滅亡へと追いやる
大惨事を未然に防止するためには、
一刻も早く浜岡原発を停止する必要があると
考えるのは当然のことではないでしょうか。