ひとりぷらタコり 『おんな城主 直虎』ゆかりの地巡り(1) | == 肖蟲軒雑記 ==

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連休明けの58日、道もそれほど混んでいないだろうと浜松市の井伊直虎ゆかりの地と大河ドラマ館巡りの旅に出かけた。朝7時半ごろ家を出て、晩の7時半ごろ帰着の半日ツアーであった。

 天候にも恵まれ(というか、今年初めての夏日でとても暑かった)、様々な所を訪問することができた。

 

【はじめに】

 旅行のあらましをご紹介する前に、直虎が生きた時代の井伊谷(いいのや)の状況を概観しよう。井伊一族は浜名湖に注ぐ都田川とその支流、井伊谷川、の流域を支配した。現在も残っている地名(中野だけは例外:参考文献にあった地図からの推定)を参考に村や家中の人々の支配地を見るとざっとこんな感じである。いずれも川沿いの地である。

 

 

 

 『おんな城主直虎』の第12回から登場する井伊谷三人衆の推定支配地も併せてみた。鈴木重時(菅原大吉)近藤康用(橋本じゅん)は遠江の境に近い三河の国衆なのに対して、菅沼忠久(阪田マサノブ)の領地は都田川の中流域と推定される。参考文献によれば、忠久の父、元景は井伊直親(三浦春馬)に仕えている。ドラマでは、井伊の人々とは初対面のような描かれ方をしていたが、実際には、少なくとも顔ぐらいは知り合う関係だったのではないだろうか。自治会のジイサマたちのようによそ者の介入を快く思わない井伊、ということを強調するため、以前の関係を敢えて語らなかったということかもしれない。

 

 地図に記してある方廣寺は、南北朝時代に奥山氏によって開かれた寺院であり、ドラマでは第4回で出家した次郎が腹を空かせながら施餓鬼をしている場面のロケが行われた場所でもある。

 

 また大福寺(地図の西端)は、ドラマとは直接関係はないが、この寺に残っている『大福寺文書』の中にある寺領目録「大福寺領永地注文案」(天文十三年:1544)に注目したい。第16回では瀬戸方久(ムロツヨシ)の発案で棉花の栽培が始められることが描かれていた。あの地域では新しいものというニュアンスの描かれ方であったが、実際には上記目録に木綿が上納品の一つとして記されている。以前の記事では、天文二十二年(1553)には今川領内で木綿が取引されていることを紹介したが、そのさらに十年ぐらい前には、少なくとも三ヶ日あたりでは上納品になる程度の木綿が生産されていたということになる。

 

 今回の訪問したのは、次の地図の12箇所である。一般道は省略した。

 

 

天浜線の正式名称は天竜浜名湖鉄道。国鉄がJRになる少し前に第3セクター方式となったローカル線である。

 

【久留女木の棚田】

 9時半ごろ、新東名の浜松いなさICを降り、まずは都田川(とその支流)の上流を時計回りに巡った。最初の訪問地はドラマの第7回のロケが行われた棚田である。

 

 

ドラマではたわわに実った稲の美しい映像をみることができたが、5月上旬、しかもかなり高地の水田ということだろう、田にはまだ水も張られていなかった。

 

ロケが行われたのは、写真中央上あたりだろうか。

 

 

ちょうど畔道の草刈りの最中であった。

 

 地元の人の話では、元々「日本の棚田百選」にも選ばれていたところだったのに、高齢化のため耕作放棄地になる寸前だったそうである。それを救ったのは、大河ドラマの舞台になることが決まった2年前。有志が集まって棚田を再生させるプロジェクトがスタートしたとのことである。

 

NPO竜宮小僧の会のHP

https://www.kurumeki.com/

 大河ドラマが地域活性化や忘れかけられていたことを思い出させるきっかけになるのは喜ばしいことである。しかしその一方、一時のブームとしてではなく、ずっと先々まで棚田を生かしていくことができるのか、若い人が惹きつけられ関わることができるようになるための二の矢、三の矢はあるのか、と言うことも気になってしまう。

 

【川名の地】

 川名は井伊直虎(柴咲コウ)の曾祖父井伊直平(前田吟)の隠居の地(?)としてドラマでは描かれている。国土地理院の空中写真をみると、都田川の支流、川名川、が流れる山に挟まれた谷間であることがわかる。

 

国土地理院の空中写真ファイル(CCB20152-C3-23:2015年5月2日撮影)を改変。

 地図中の①は今回訪問した福満寺薬師堂、②とあるのは直平の菩提寺、渓雲寺である。ドラマの第17回、直虎が竜潭寺を訪問して五目並べをする虎松(寺田心)を初めて目にした日、南渓和尚(小林薫)は「福満寺の法要に出かけて」いた。彼は川名の地にまで足を運んでいたのである。法要は直平の菩提を弔うためのものだったのだろうか。

 


 

 それはともかく、この寺院は伝承によれば創建は奈良時代にまで遡ることができるらしい。少なくとも、室町前期の応永年間に堂宇が火災により焼失し、現在の本尊(薬師如来像)は応永三十三年(1426)に刻まれた。直虎が生きた時代には、既に古刹だったのだ。この寺院では毎年正月に五穀豊穣を祈念して、「ひよんどり」(国指定重要無形文化財)という祭りが行われている。松明の火に合わせて若衆が踊る祭りらしく、「火踊り祭り」がなまって「ひよんどり」になったということだそうだ。

 

なお、「ひよんどり」の様子はこちらを

https://www.youtube.com/watch?v=TXeIZU1JGO0

 

 

 川名川沿いに車を走らせると、ドラマの第7回に、奉行によって隠田を暴かれる前に検地が行われていた田と似たような風景に出会える。

 

【伊平と仏坂古戦場】

 川名から伊平へ山越えの道を辿り坂を下ると土地が開けてくる。

 

 

国土地理院空中写真ファイル(CCB20152-C4-34:2015年5月2日撮影)を改変

 空中写真の中央を北から南に流れるのは井伊谷を経て都田川に合流する井伊谷川である。ドラマでは「井平」という鍛冶の村となっていたが、実際の所はどうだったのだろうか。ここでの訪問地は①の井平氏館跡と②の仏坂古戦場である。ドラマではまだ先のことになる元亀三年(1572)冬の武田軍侵攻の際に舞台となったところだ。

 

 井平氏は井伊氏の支族である。ドラマではまだ登場していないが、このころは井平飛騨守直成が当主だったようだ。山県昌景に率いられた武田軍の別働隊が長篠から遠江に進攻すると、井伊谷三人衆の近藤康用鈴木重好重時の息子)はこの地で防戦することにし、井平城(文書では井平小屋:城というよりも領民が逃げ込めるシェルターのようなものか?)に籠もった。合戦はそこより少し北の峠道、仏坂であったようだ。

 

 

井平氏館跡にはそれとわかる遺構はなさそうであり、ドラマとともに更新された(と思われる)説明板でのみ場所がわかる。また、このうしろの道を上ると井平城に行くことができる。

 

 

立て札の所まで来て、根性無しなので暑かったのと体力温存ということで引き返すことにした。「無事に家に戻ることこそ旅行の目的。体力があるときに使ってしまい、疲れて事故でも起こしたら元も子もない」からである。ドラマ第6回で語られた二つの饅頭の教えは、現代ならこういう時にこそ思い出すことであろう。

 

国道を北に進み、狭い山道を登って古戦場に赴く。

 

 

 

 仏坂という地名の由来は、この深巌山竹馬寺に由来するらしい。伝承では奈良時代行基の開山とのことだが、そのことは割り引いて考えるとしても、本尊の十一面観音菩薩像の制作年代から見て、遅くとも平安期には寺院としてあったものと思われる。この観音像は、合戦に先立って別の地に難を逃れ、その後数奇な運命を辿り、大正年間にこの地に戻って来たという。

 

 

観音堂の少し手前に、合戦で討ち死にした井平直成をはじめとする88名を祀った「ふろんぼ様」という石塔群がある。もっとも大きな宝篋印塔が直成の墓標のようだ。なお、説明によれば「ふろんぼ」とは「古い墓(ぼ)」か「古い坊」がなまって伝えられたもののようだ。

 

【奥山氏居館跡】

 新東名の東名高速と連結する道で山を越え、神宮寺川(竜潭寺近くで井伊谷川と合流する)沿いに下ると、左手に奥山神社が目に入る。

 

 

 

道を挟んで向かいのミカン畑の中にあるのが、奥山氏館跡である。

 

 

国土地理院空中写真ファイルCCB20152-C5-30(2015年5月1日撮影)を改変

 

 空中写真を見ると、蛇行する神宮寺川沿いに開けた平地は川名や伊平よりもずっと広い。このように良い土地を所有していることからも、井伊では重要な支族であることがわかる。居館跡(矢印)は縦横50mぐらいであろうか。以前の記事で紹介した方一丁(縦横約100m)の柏木屋敷と比べると小さい。だが、井伊館じたいが方一丁なので、その支族の館ということでは丁度良いサイズなのかもしれない。

 

 この奥山居館は、ドラマの第9回で小野但馬守政次(高橋一生)が当主奥山朝利(でんでん)を殺してしまった場所だ。政次はその後竜潭寺に駆け込む。この設定だと、彼は神宮寺川沿いに約一里ほど夜道を逃れたことになるわけだ。

(続く)

【参考文献】

小和田哲男 「井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史」洋泉社歴史新書(2016

「静岡県史 資料編7中世三」静岡県(1994

浜松観光コンベンションビューローのサイト

http://hamamatsu-daisuki.net/naotora/course/