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細川内閣(1993年)から野田新首相誕生までの歴代政権

http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=JAPAN-229492&cc=03&nt=00


 8月31日、民主党代表選を逆転劇で制し、新首相に指名された野田佳彦氏の手腕が問われている。
 [東京 31日 ロイター] 歴史的な政権交代から2年。民主党代表選を逆転劇で制した野田佳彦氏が30日、同党3人目の首相に指名された。衆参のねじれ状態が続く中で、震災復興や円高対応を進めなければならず、党内の亀裂を修復し、野党との連携を深めることができるか、新首相の手腕が問われている。

 自民党が結党以来初めて野党に転落し、細川内閣が誕生した1993年以降の政権の推移は以下の通り。


 <細川内閣>

 1993年8月9日、 衆議院選挙において自民党が過半数割れし、1955年の結党以来初めて野党に転落。細川護熙が非自民連立内閣の首相に就いた。国民から高い支持を得たが、金銭スキャンダル報道などを受けて、翌年の4月に細川首相が突然辞任し、短命政権に終わった。


 <羽田内閣>

 1994年4月28日、羽田孜が非自民連立内閣の首相に選出されたが、社会党が連立を脱退し少数与党内閣に。在任期間64日間という戦後2番目の短命内閣となった。


 <村山内閣>

 1994年6月30日、自民党が、社会党、新党さきがけと連立を組み、社会党の村山富市を首相とした内閣が誕生。自民党は、野党に転落後1年足らずで与党に復帰した。


 <橋本内閣>

 1996年1月11日、前年の自民党総裁選挙で小泉純一郎に圧勝した橋本龍太郎が、村山首相の辞任を受け、総理大臣に指名された。1998年の参議院選挙での敗北を受けて内閣が総辞職。


 <小渕内閣>

 1998年7月30日、自民党総裁選で梶山静六と小泉純一郎を破った小渕恵三が首相に選出された。在任中に公明党および小沢一郎が代表を務める自由党と連立を組むが、2000年4月に小沢代表との会談で連立離脱を告げられた後に脳梗塞で倒れ、5月に亡くなった。


 <森内閣>

 2000年4月5日、森喜朗が、総裁選ではなく自民党の両院議員総会を経て総裁に選ばれ、首相に指名された。批判を招く発言が多く、任期中低支持 率に苦しんだ。2000年11月には自民党の加藤紘一元幹事長が野党提出の内閣不信任案の採決に欠席するなど、与党内からも退陣を求める声が上がった。


 <小泉内閣>

 2001年4月26日、森内閣退陣後の自民党総裁選で当時有利と見られていた橋本元首相を破った小泉純一郎が、国民の熱狂的な支持を受けて首相の 座に就いた。米国の対テロ戦争を支持し、自衛隊をイラクに派遣するなどブッシュ米大統領と緊密な関係を築いた。拉致問題解決に向け北朝鮮を二度訪問して金 正日総書記と会談するなど、国民から高い支持を得た一方で、靖国神社参拝をめぐって中国・韓国との関係は冷え込んだ。


 <安倍内閣>

 2006年9月26日、北朝鮮に対する強硬姿勢で人気を得た安倍晋三が、自民党総裁選で麻生太郎、谷垣禎一を大差で破り首相に。事務所費問題など で閣僚が相次いで辞任。年金問題でも支持率が低下するなど、苦しい政権運営を強いられた。2007年の参議院選挙で自民党が大敗し党内から責任を問う声が 出たが、続投を表明した。しかし9月に所信表明を行った後に体調不良を理由に辞任した。


 <福田内閣>

 2007年9月26日、自民党内の大多数の派閥の支持を得た福田康夫が、麻生太郎元外相を破り総裁に選ばれ、首相に指名された。参議院では野党が 過半数を占める「ねじれ国会」の運営で苦しみ、民主党の小沢代表と大連立を協議するが実現せず、安倍前首相に続き約一年で突然の辞任を表明。


 <麻生内閣>

 2008年9月24日、福田首相の辞任を受けて行われた自民党総裁選に4度目の出馬をした麻生太郎が、石原伸晃、小池百合子、石破茂、与謝野馨を破って総裁に選ばれ、首相の座に就いた。2009年8月の衆院選挙で民主党惨敗し、自民党は1993年に次ぎ2度目の野党転落。


 <鳩山内閣>

 2009年9月16日、衆議院選挙で300議席を越す圧勝を収めた民主党の鳩山由紀夫代表が、社民党、国民新党との連立政権を樹立し、歴史的な政権交代を果たした。政権発足から8カ月後の6月2日、米軍普天間基地移設問題と政治とカネの問題を理由に、鳩山首相が突然の辞任表明。小沢民主党幹事長にも辞任を求め了承された。


 <菅内閣>

 2010年6月8日、民主党の新代表に選出された菅直人代表が首相の座に。政権発足直後の参院戦で惨敗し、「ねじれ国会」での厳しい政権運営を強いられる。東日本大震災や原発危機の対応に追われる中で内閣支持率は低迷。6月の辞任表明で野党が提出した内閣不信任案を回避したが、辞任時期を明確にしなかったことで政治的混乱を招いた。


 <野田内閣誕生へ>

 2011年8月30日、民主党代表選を逆転劇で制した野田佳彦氏が、第95代、62人目の首相に指名された。野田新内閣が認証式を終え、正式に発足するまでは、菅内閣が職務執行内閣を務める。



野田内閣は将来どのような評価をされるでしょうか。



柿本あつやホームページ

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