映画「怪物はささやく」 平成29年6月9日公開 ★★★★★ (字幕翻訳 藤澤睦美)

原作本「怪物はささやく」 パトリック・ネス著 シヴォーン・ダウト原案 あすなろ書房 ★★★★★

 

母親が重病に侵されている13歳の少年コナー(ルイス・マクドゥーガル)は、毎晩悪夢にうなされていた。

ある夜、彼の前に樹木の姿をした怪物が現われ
「わたしが三つの真実の物語を語り終えたら、四つ目の物語はお前が話せ」と告げ、
さらにコナーが隠す真実を語れと言う。コナーは断るが、それを境に夜な夜な怪物が現れるようになり……。(シネマ・トゥデイ)
 
厳しい現実に直面した子どものところへ巨人が現れる・・・というのは児童向けファンタジーの定番で、
最近の映画だと「BFGビッグフレンドリージャイアント」もこんな感じ。
この樹の姿をした怪物は毎回おどろおどろしく現れ、リーアム・ニーソンの低くて渋い声で高圧的に話すので
「怖さ」強調ですが、「ダークファンタジー」というほど怪奇やホラーのニュアンスはなかった気がします。
感受性の強い子ども向け!でも大人の鑑賞にももちろん耐えられます。
 
コナーは癌に侵されたシングルマザーの母と二人暮らしですが、母は日増しに衰弱していきます。
自分で目覚め洗濯しながら着替えて朝食の準備も手早くするコナー。
母はただ生きていてくれればいいと思っているのに、母の再入院が決まると、気の合わない祖母の家に行けと・・・
 
別れた父もやってくるけれど、アメリカは休暇が短いからすぐ帰る、とか、(家に遊びに来るのは歓迎するけど)
部屋がないから一緒には住めないと言われます。
学校ではあいかわらずいじめられてるし・・・・・
 
コナーは毎晩同じ夢をみてうなされています。
それは、地震の地割れに落ちそうになった母を引っ張り上げようとする自分の姿。
もうだめだ、というときになって、いつも夢から覚めます。
 
ある夜、夜中の12時7分になると、いきなり庭のイチイの木が動き出し、怪物の姿になってコナーをさらいに来ます。
怪物は永い事人間たちをみてきた、イチイの木の化身でした。
 
彼は3つの話をして、それが終わったら4番目の話をお前がするのだと・・・・
そして、12時7分になると、たびたびコナーのもとを訪れるようになります。
 
(1番目の話)
巨人や竜や魔王と戦っていた王の話
息子も妃も亡くなり唯一残された孫は成長して勇敢な王子に。
王は後妻に若い王妃を迎えるが、すぐに王は病に倒れ亡くなる。
王妃は魔女だと噂が立つが、王子が若すぎたので規則で1年間王妃が王位につく
王子には村娘の恋人がいたが、イチイの木の下で何者かに殺され、復讐に燃えた村人が立ち上がった。
「そのとき私が歩いた」
私は王妃を遠くに隠した。
王妃は魔女だったが、王も村娘も殺していない。
王は寿命で亡くなり、村娘を殺したのは王子だった。
王子は殺人者だったが、いい王になった。
 
(二番目の話)
150年前の工場ラッシュの時代、
薬草や樹皮から薬を調合する男がいて評判になっていた。
人気のある若い牧師は彼を批判したので、村人は離れて行って、調合師は廃業に追い込まれた
調合師は牧師の家の庭にはイチイの木を材料に使いたかったけれど、これも断られる。
牧師の最愛の二人の娘が病気になり、医者にも見放される。
調合師に頭を下げて薬を頼むが、断られ、娘は翌日死ぬ。
「そのとき私が歩いた」
私は牧師の家を粉々にした。
なぜなら牧師は信念無き聖職者だったから。病気は治療を信じ未来を信じなければけっして治らない
 
(三番目の話)
誰からも見ほんtえない男がいた。
透明人間ではないのに、誰からも見られることのない存在感のない男だった。
男は他人から見えるようになるため、怪物を呼んだのだ・・・・
 
怪物がでてくるのは夜中なのに、3番目の話の時は学校の昼休みの12時7分に現れ、
怪物の存在を背中に感じながら、学校のいじめられっこを病院送りにしてしまいます。
 
つまり、怪物の存在は単に夢の中の出来事ではなく、
二番目の話で牧師の家を破壊する場面で、コナーは祖母の家の居間の家具やお気に入りのものを破壊していたのでした。
 
正気に返ったコナーは当然自分は罰が与えられると思うのですが、祖母も学校の校長も
「あなたに罰を与えても解決にはならない」
と、おとがめなしの処分にとまどうコナー。
 
母のリジーの病状は改善することなく、髪は抜け落ち、背中の肉はごっそりと落ち、目のやり場に困るほど。
最後の治療法も効果なく、一縷の望みも絶たれてしまい、鎮痛剤で意識もうろうとしていない時間の方が短いほど。
 
(二番目の話にでてきたように)「信じる心を失わなければ、病気は必ず治る」と信じていた(と思い込んでいる)コナーは母を励まします。
でも母は「もう治療法はないわ、残念だけど」「信じてきたからここまで生きられたけれど」
そして、
「あなたはホントは初めから知っていたんでしょ?気づいてたんでしょ?」
「気がすむまで怒っていいの。誰がなんといったって、気がすむまで八つ当たりしていいの」
「そして、怒ったことを後悔しないで。あなたが言いたいことは母さんはみんなわかっているんだから」
 
これが意識のある母の最期のことばになりました。
 
そして怪物と約束した四番目の話。
それは、彼が毎晩見続けた悪夢の答えでもあります。
母の手を放すまいと頑張りながらも、どこかで「もう終わりにしたい」と思っていたことを告白します。
 
そして、母親を抱きしめ、二度と話してなるものかと抱きしめ・・・・
そうすることで、今度こそ、本当に母の手を放すことができたのです。
 
 
幼い子どもを置いて死ななくてはいけないほど、母親として辛いことはありません。
幸い私の子どもたちはすでに成人しているので、そうすると今度は、娘が孫を置いて病気になる心配に移行するので
正直、シガニー・ウィーバー演じる祖母に共感しながら見ていたのですが、
重い現実を背負ってかすかな希望を探しながら生きなければいけない、孤独になれっこになってしまった
コナーの憂鬱や息苦しさが伝わって、もうたまりませんでした。
 
原作本はコナーの一人称で書かれているので、なおさらです。
何年か前の課題図書にも選ばれている本作。
中学生が読むとどんな感想を持つのかも気になります。
 
映画の方は、「お話」の部分はアニメーションで、実写ではないのですが、そのつなぎ目が全く気にならず、
なんとスムーズにファンタジーの世界に溶け込めることか!
怪物役のリーアム・ニーソンの重厚な声もいい。
 
コナーは絵の上手な少年なんですが、母のリジーも画家志望で、最後に「リジークレイトン」と書かれたスケッチブックが出てきますが
それがまさに、怪物の話のなかに出てきた王子やドラゴンや調合師なんです!
怪物の肩に乗る子どもはコナーそのもの。
この部分は原作にはなかったけれど、感動でちょっと泣きそうになりました。
 
まさに「読んでも観ても」素晴らしい作品です。
「子ども向け」には作っていないようですが、ぜひ感受性豊かな時期に出会って欲しい作品だと思います。