映画「この世界の片隅で」 平成26年11月公開 ★★★★☆
1944年広島。
18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。
それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。
創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。
やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、
数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。
そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。 (シネマ・トゥデイ)
公開からはや半年。
シネマ旬報のベスト邦画に選ばれたことも知っていましたが、年内に見逃したから、アニメだし
もうDVD待ちをきめこんでいたのですが、まだまだ劇場公開が続きような予感。
しびれを切らして観に行ってきましたが、そこで思ったのは
「これは映画館で見るべきアニメ映画だ!」ということです。
絵を描くのがすきなのんびり屋の浦野すずは、18歳で呉の周作に見初められ、顔も知らない夫のもとに嫁ぎます。
身体の弱い姑、出戻りの小姑の径子とその娘のはるみたちと同居する生活。
戦時中で配給は日に日に減り、乏しい食材を工夫してやりくりする毎日ですが、
呉は大きな軍港があることから頻繁に空襲をうけるようになり、街に出かけたある日、
姪のはるみの手を繋いで歩いていたすずは時限弾の爆風を浴びて、自分の右手と晴美の命を奪われるのでした。
呉よりも安全な広島に戻ろうとするも、径子と和解して呉にとどまることを決めたその日の朝、広島に新型爆弾が投下されます。
そして終戦。
すずが広島に行くことができたのは翌年になってからで、すでに両親は亡くなり、妹には原爆症の症状が出ていました。
捨て犬よりもぼろぼろの戦災孤児の少女を連れて、夫と呉に帰るすず・・・・・
広島の原爆投下を題材にした作品と聞いていたので、
ほのぼのとした絵の中にも、痛烈な反戦や核兵器廃絶のメッセージのこめられた作品なんだろうと思っていました。
まあ、それが今まで見なかった理由のひとつでもあったんですが・・・
ホントに観て良かったと思います。
昭和19年から21年が舞台となっていて、すずと同じ年代の人は生きていたら今年91歳のおばあさんです。
私は戦争は知らないけれど、子どもの頃、その世代の人たちから、たくさんの話を聞いていましたから
その時のことを思い出しながら、70年前にタイムスリップすることができました。
「反戦教育」をしようというなら、悲惨な無残な話ばかりを子どもたちに叩きこむのが手っ取り早いでしょうから
子ども向けの児童文学でもアニメでも、そんなのばかりですよね。(もちろんそういうのを否定するつもりはありませんが)
「この世界の片隅に」は、たまたま戦時中の話ではありますが、強いアジテートの意思をもって作られたとは思えず、
人間はどんな状況が続こうとも、それに対応することができる、強い強い力をもっている・・そんなことを伝えたかったんじゃないかな?
実際、命の危険を意味する空襲警報も、あんまり度々になるとみんな慣れてきて、防空壕のなかで楽し気に過ごしていたり、
終戦の玉音放送を聞いても、「平和になった喜び」というよりは
「あれぇ、最後の一人になるまでたたかうんじゃなかったのかね」と拍子抜けしてるところとか、
そういうのは反戦教育アニメではきっと出てこないところです。
それにしても、すずは自分でも
「うちは周りの人にどんくさいと思われつつ、じぶんでもときに呆れつ、それでも流されるままにぼんやり生きてきた・・」
というくらいのんびりしていて、それゆえの面白エピソードも多くて、それが暗い時勢でもまわりを明るくしてくれます。
軍艦を写生していて、憲兵にとがめられたり、祝言の最中に、あわててもんぺを脱ぎ始めたり、
すずが失敗するたびに笑いが起こるような、そんな人なんですね。(のんの声がおどろくほどピッタリです)
食べるものが何にもなくなっても、たんぽぽの根や大根の皮、はこべやかたばみやスギナとか・・・
そんなものに配給のたった4匹のイワシのひもので、楽し気に食卓を整えます。
卑屈にならず、誰も恨まず、粛々と生きている市井の人たちの優しさがたくましさが伝わって、
もう胸がいっぱいになりました。
すずは、顔も知らない人の元へ嫁ぎ、知らない土地で、おっかない小姑に毎日小言をいわれつづけ・・・
なんと気の毒な、と思ってしまいますが、すずの表情をみていると、むしろ幸せにみえるくらいです。
今から考えたらけっして「男女平等」ではない世の中ですが、女性はそれなりに労わられ大切にされている。
夫の周作の愛もちゃんとすずに伝わっているし、ほれぼれするようないい夫婦なんですよ。
私は戦中戦後の歌は(老人施設で音楽ボランティアをやっているので)他の人よりは詳しいと思うんですが
あんまり当時の歌は再現していなくて、「隣組」と「軍艦マーチ」くらいでしょうか。
いきなりフォークルの「悲しくてやりきれない」や讃美歌の「神の御子は今宵しも」が究極にけだるく流れ、
これは違うでしょ!って(私は)思ったんですが、音楽担当のコトリンゴというアーティストさんは絶賛されているので
まあこれはこれでいいんでしょうか?
タイトルの意味は、
「ありがとう、この世界の片隅にウチを見つけてくれて」という、夫周作への感謝のことばだったのですね。
自分の居場所を見つけて、(子宝には恵まれなかったけれど)戦災孤児を引き取って育てていく。
こんな人生を送ってきた91歳のおばあさんはきっと今も日本のどこかにいることでしょう。